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(25.8.4) BS歴史館 謎の5世紀 ワカタケル大王とオワケの臣

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(トシムネさん撮影 妙高山)

 森浩一氏と言えば古代古墳研究の第一人者で、私は森氏の書いた古墳関係の入門書を読んで興奮し、仁徳陵をわざわざ見に行ったことがあったが、実際に見てみると古墳は小山と少しも違いないのにがっくりした記憶がある。
天皇陵のような大規模古墳は空から眺めて始めてその規模や形が分かるのであって、地上から眺めていては単なる森に過ぎない。

 今回のBS歴史館謎の5世紀に挑戦していた。この時代はまだ大和政権が全国統一をするはるか以前であって、大和政権に劣らない地方豪族が蟠踞していた時代だったが、詳しいことは分からない。
埼玉には行田市周辺埼玉(さきたま)古墳群というのがあり、地方豪族の拠点があった。その中の埼玉稲荷山古墳から鉄剣が出土し金象嵌の文字が記されていたので大騒ぎになったが、1978年のことだ。

 ここには115文字の漢字が記載されており、鉄剣が471年に作られたいきさつと関係者の名前が記載されていた。
埼玉の豪族オワケの臣と自身を含めてオワケ一族7代の首長の名、それと大和王権のワカタケル大王名、そしてオワケの臣がワカタケル政権で親衛隊の隊長をしていたと記されていた。

 ワカタケル大王とは5世紀を代表する大和王権の大王で、宋書倭国伝倭の五王として記載されているで、その奏上文には「征服した国東に55国、西に66国、海を渡って95国」となっている。
奏上文を読むと何ともすさまじいばかりの征服者で、当時の国が現在の村落レベルの大きさだったとしても、これほどの征服戦争を行ったというのは信じられない。
特に海を渡って95国というのは朝鮮半島のことだから、「本当かい?」と思わず聞いてしまいそうだ。

 ただしワカタケルが日本国内で侵略戦争をしていたのは事実らしく、ワカタケル様式鉄製の鎧ワカタケルスタンダード)が日本各地から出土している。
またここ埼玉古墳群だけでなく、九州熊本県の江田船山古墳からも銀象嵌の太刀が出て、ここにもワカタケル大王の名前が記されていたので、ワカタケルの支配は東は関東、西は九州中部まで及んでいたことが実証された。

 それにしても不思議な時代だ。この時代の交通は陸上交通ではなく船舶河川と海交通が主体で、そもそも陸上などとても歩けるような代物ではなかった。
私は登山をしているのでよくわかっているが道のないブッシュを進むのは並大抵の苦労ではない。方向も分からずつる草や木の枝に阻まれ一日に数キロ進むのがやっとだ。

注)中央政権を確立するためにはどうしても道路の整備が必要になる。古代ローマも中国の秦王朝も道路建設に熱心だった。日本では6世紀に入って律令国家が成立するまで道路は整備されていなかった。

 それに引き換え海上交通は見晴らしもよく大量の荷物や人間を運べるし、荒れていなければこれほど便利なものはない。そして海の交通は基本として制約がないから、決心さえすれば日本各地から朝鮮半島まで行くことができる(今でも北朝鮮の漁民が遭難すると日本の沿岸にたどり着いている)。

 埼玉古墳群を作ったオワケの臣は当時東京湾に注いでいた利根川を利用して現在の千葉県富津市鋸山周辺にいた地方豪族と深い関係があったらしい。
鋸山からは房州石と呼ばれる加工に適した石材がつい最近まで算出していたが、古代のこの時代も同じで、房州石を使用した石室が埼玉古墳群のひとつに存在している。
石材を運べるほどの船舶交通があったということで、この時代は意外に人の往来が激しかったようだ。

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(千葉県鋸山の石切り場。古代からここは石の産地だった)

 ワカタケルが全国制覇をしたというのも海の道をたどったからで、反対に地方豪族も自由に大和政権だけでなく朝鮮半島の地方政権と海の交易のネットワークを持っていたようだ。
埼玉古墳群からは朝鮮半島にある帯金具が出ているし、熊本の古墳群からはこれも朝鮮半島にあるが出土している。

 ワカタケル大王の全国制覇とは大和政権に従うとした地方政権から人質を取って、それを軍事力として使用していた関係らしい。
オワケの臣が大和政権の親衛隊の隊長を名乗っているのがそれで、征服した地方政権の軍事力を使って新たな地方政権を征服していったのではなかろうか。

注)蒙古軍の侵略戦争を見ても、古代では征服された部族の戦士は次の征服地への先兵になって駆り出されるのが普通だった。

征服した国東に55国、西に66国、海を渡って95国」の中身がそうしたもので、大和政権に臣従した場合はワカタケル大王の名を刻んだ鉄剣の所持が認められたというところだろう。
5世紀は不思議な世紀だ。古墳時代を通して日本には10万とも15万ともいわれる古墳があるが、それがもっとも集中しかつ大規模だったのはこの5世紀である。
この時代に大和政権の基盤は強化されたが、一方で地方政権は平然と朝鮮半島の部族と交易していたのだから、何とも牧歌的な時代だったと言えそうだ。

注)支配・被支配と言ってもまともな交通網も通信網もないのだから、大和政権は軍事力の提供以上の物は求めていなかったのだろう。だからそれ以外のことでは地方豪族は自由に他の豪族(朝鮮半島を含む)と交易をしていたらしい。

なお、日本史シリーズは以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

 

 

 

 

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