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(25.8.23) 夏休みシリーズ NO4 天才論

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(我が家のカメゴン。呼ぶと飛んでやってくる。犬と同じだ)

夏休みシリーズ
昔、天才論を書いていたので再掲してみた。

(20.1.15)天才について

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード 

 おゆみ野walkersのブログを見ていたら、Tさんが「天才は勝手に天才になる」(20.1.8)という天才論を掲載していた。
昨年末の金坂邸におけるクリスマスコンサート河合隼雄の「あなたが子供だったころ」に触発されて記載したという。

天才は教育で育てられるのか、それとも生まれつきか」というテーマだ。
私も金坂邸でのクリスマスコンサートに出席し、感動した一人なので「天才論」を書いてみることにした。

 おそらく天才について本格的な学問的アプローチを最初にしたのは、ドイツの心理学者クレッチマーだと思う。
彼の体格による性格3分類は有名だが、天才論の立場からすると「天才は有能な人の最もすぐれた人ではなく、まったく別種の人間で、その多くは性格破綻者だ」という認識の方が重要だ。

 クレッチマーは古今の天才といわれた人を体格により分類し、その生涯を調べることによって上記の命題を証明しようとした。

 確かに天才がいわゆる性格破綻者だった例は多い。
アマデウス」という映画を見た人は、モーツアルトが悪ガキで、酒癖が悪く、最後は名もない共同墓地に葬られたことを知っている。

 ゴッホは自らの耳を切り、最後は銃で自殺した。ダリの奇行も有名だ。

 現代数学の基礎の一つである群論の創始者ガロアは、ほとんど理由が分からない理由で決闘をし、21歳の生涯を閉じた。

 アインシュタインは一種の学習障害があり、幼児期には言葉を自由にしゃべれなかったし、簡単な数式の記憶がほとんどできなかった。
最初の妻との離婚は家庭内暴力だといわれている。

 夏目漱石斉藤茂吉は奥さんの目からはアホ扱いだ。

 調べてみると天才といわれる人が、性格破綻者かよく言って変わり者である例は枚挙にいとまがない。
クレッチマーは性格が破綻していない天才はダーウィンだけだと述べている。

 実は私は天才といわれる人は遺伝学でいう「突然変異した人間」だと思っている。ある特定の分野(音楽、スポーツ、芸能、学問)で突出した能力を示すが、他の分野では普通か、あるいは普通以下の能力のため、社会生活に支障が出ている場合が多い。

 野球選手の中では、イチローは天才だが、松井は有能な正常人だと思う。
なぜイチロー野茂が天才かというと、他に追随できる人がいないからだ。

 イチローのバットコントロールと守備は彼以外の人ではできないし、野茂のトルネードは野茂以外にできない。
そして二人ともマスコミからは毛嫌いされている。マスコミ向けのお愛想をまったくしないからだ。
社会性が極端に欠如している。

 一方松井は違う。松井はとてもすばらしいバッターだが、この程度の人はヤンキースの同僚にいくらでもいる。そして松井は信じられないくらい誠実にマスコミに対応する。社会性抜群だ
おそらく松井は大会社の社長になっても成功するはずだが、有能な人の最もハイクラスの人だと思えばよい。

 イチロー野茂は日本球界では相応のバッターやピッチャーだったが、それ以上の評価はなかった。
彼らが認められたのは、能力さえあれば評価するアメリカという環境があったからである。

 これは重要なことだが、天才は発見される環境が必要だ
特殊能力者をそれだけで評価する社会がないと、天才は埋もれるか、単なる変わり者扱いだ。
その点で、アメリカは天才に優しく、日本は天才に厳しい国柄だ。

 日本では能力以上に性格が重要視される。朝青龍の悲劇もそこにあり、横綱審議会から目の敵にされているが、朝青龍に言わせれば「俺は強いから横綱になったので、品性がいいから横綱になったのではない」というところだろう。

 これを幼児の英才教育に応用すると以下のようになる。

 ある特定分野(音楽、スポーツ等)で才能が感じられ、他の分野がまったくだめで、どうしょうもない悪がきか性格に問題がある場合は、天才性が認められるので、その分野の英才教育を施すことを進める。
ただし日本においては社会的評価は期待できないので、将来はアメリカ等で暮らさせる覚悟もいる。

 一方、たいていのことに能力を発揮するか、またはまったく発揮せず、性格的にいい子か特に問題のない子の場合は、天才性はない
だから通常の学校教育を行い、足らないと判断されれば予備校等の教育を加えるのがよい。
間違っても特殊な英才教育などしてはいけない。かえって性格が破綻し問題児になってしまう。

 このクラスの上質の人は、有名大学を卒業して、日本の指導者の一員になることが期待できるし、そうでなくても誠実な人生を送ることができる。

 だから英才教育はほとんどの人には必要なく、ある特定の性格破綻者だけに必要だと私は思っている。

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