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(25.6.16) 小説入門 三島由紀夫 金閣寺

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  今回の読書会のテーマ本には頭を抱えてしまった。三島由紀夫の「金閣寺」である。
私はこの小説を学生時代に読んだはずなのだが、詳細は全く覚えていなかった。おそらく途中まで読んでその難解さに辟易して読むのを止めたのだと思う。
私が今まで読んだ小説の中でこれほど難解だと思ったのは、他にカミュの「異邦人」ぐらいだ。

 この小説の主人公は実在の人物で、昭和25年の夏、京都の鹿苑寺金閣寺を放火し、焼失させた寺僧である。
三島氏はこの寺僧の精神の遍歴を描くことで自身の思想を披歴している。
三島氏はのちに1970年45歳で市ヶ谷の自衛隊駐屯地で切腹して果てたが、この僧の放火と三島氏の切腹にはどこか通じるところがある。

 この小説はとても難解なのだが、それには三つの理由がある。一つは使用されている語句が難しく、私の知らない単語がいくらでも出てくる。特に禅宗関係の言葉はさっぱり分からない。
開定、朝課、粥座、作務、斎座、薬石、開浴、開沈」と言った特殊用語は私の知識の中にはないので、いい加減に想像するより外なかった。

 二つ目は文体が恐ろしいぐらいに重厚だ。通常の感覚の人だったら決して記載しないような文章がながながと続く。たとえばこれは主人公が蜜蜂を見ているときの情景だが、読んでいると疲れてしまう。

私は蜂の目になって見ようとした。菊は一点の瑕瑾もない黄色い端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、決して金閣に変貌することなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、それは確固たる菊、一個の花、なんら形而上的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、溢れんばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた

 こんな文章が次々に続くのだ。
おそらく私だったら「目の前に蜂が一匹菊にとまって蜜を吸っていた」とだけ記すだろう。

 三つめはこれが思想小説だからだ。主人公と同じ大学に通う柏木という青年が副主人公として出てくるのだが、この青年は足に障害がある暗い性格の青年だ。そしてこの青年は認識によってすべての世界がなりたっていると説く。
認識とは別の言葉でいえば観念だが、世界はすべて観念によって成り立っていると主張する。

 柏木が主人公に自分の性体験を話す下りを読むと、実態ではなく自分の認識がすべてだと主張しているようだ。
しかし自分が純粋な欲望に化身することはできず、ただそれを夢みた。風のようになり、向こうから見えない存在になり、こちらからはすべてを見て、対象へ軽々と近づいていき、対象をくまなく愛撫し、果てはその内部にしのび入っていくこと。君は肉体の自覚というとき、ある質量を持った、不透明な確固とした「物」に関する自覚を想像するだろう。俺はそうではなかった。俺が一個の肉体、一個の欲望ととして完成すること、それが俺が、透明なもの、見えないもの、つまり風になることであったのだ

 これがセックス経験の説明だろうか。他者は存在せず、自分の認識しか存在しない。
主人公はこの柏木との討論に疲れていき、柏木の認識に引きずられそうになる。
次の場面は主人公が金閣寺を燃やす準備をすべて終え、最後の決断をする一歩手前の心象を記載したものだ。

「『私は行為の一歩手前まで準備したんだ』と私は呟いた。『行為そのものは完全に夢見られ、私がその夢を完全に生きた以上、この上行為する必要があるだろうか。もはやそれは無駄ごとではあるまいか。柏木の言ったことはおそらく本当だ。世界を変えるのは行為ではなく認識だと彼は言った。そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。・・・・してみると私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためではなかったか・・・・』」

 主人公は最後の最後になって認識と行為について悩み、そして最終的には行為を選択する。
これは三島由紀夫の最後と実に相似形をなしている。

 この小説を書いた後三島氏は急速に右傾化していき肉体の鍛錬をし、認識(小説)によって世の中の変革を試みるようになった。
しかしそうした認識による行為が無駄だと知ったとき、三島氏は楯の会を結成し、最後に腹を真一文字に掻っ捌いて市ヶ谷の自衛隊駐屯地ではてた。
寺僧が放火をすることで、柏木の認識を否定したのと同じだ。

 読み終わった感想は何と観念的で重厚で恐ろしく持って回った小説だということだ。ストーリーはドモリだった寺僧が、その劣等感から金閣を唯一の存在と認識し、それを焼失させるという行為で認識の完成を見るという内容だが、三島氏の精神の軌跡としては理解できるが、「そんな馬鹿なことはないよ・・・」というのが正直な感想だ。

なお、小説入門の記事は以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat31264874/index.html

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コメント

三島由紀夫という方は、もともと『詩作』という表現形式から文学に入ったらしいですね。
やがて壁にぶつかり、小説の方に転身したらしいですね。
長い文章なら誰でも書けますが、表わそうとする事象を象徴的な短い表現で簡潔に書く、しかもそこには韻律がある、
なんてことができる人は滅多にいませんからね。
私が遠い昔に、三島氏の文章を読んだ時は、そうした氏のジレンマみたいなものを自分に重ね合わせていました。
そして、私が彼(三島氏)でありたい、彼と一緒に倒れたい、と妄想しながら読んだ覚えがあります。

今日は山崎さんのおかげで懐かしい思い出がよみがえりました。
有難うございました。

(山崎)三太郎さんの「彼と一緒に倒れたい」と思うほど三島由紀夫に傾倒しているとは知りませんでした。

投稿: 三太郎 | 2013年6月16日 (日) 07時02分

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