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(25.4.14) BS歴史館 シリーズ外圧Ⅱ もう一つの外圧 露寇事件 その1 

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 私は長い間江戸時代とは全く変化のないつまらない時代で、まともに研究する対象にならないのではないかと思っていたが、それがひどい誤解であったことが最近分かってきた。
徳川260年の平安とは幕府要人の懸命な努力によってもたらされたもので、単に平和を望んだから平和だったというような代物ではない。
実際は江戸時代は非常にダイナミックな時代だったといえる。

 18世紀の最後の10年から19世紀の最初の10年20年間の日本は、この平和がすんでのところで破られそうになった時期でその外圧はロシアだった(20年間とはロシアによる開国要求の時期)。
その間日本は1806年9月、現在の樺太、択捉島、利尻島でロシア軍船の略奪にあっており、死者3名、そして備蓄米600俵がロシア兵によって強奪された。

 規模としてはそれほど大きなものではなく、襲われた場所も当時の人々にとってそれがどこかわからないような場所だったが、幕閣を上げて大騒ぎになった。
我が国がオロシャ国の攻撃を受けている!!!」
元寇以来約550年後外国からの侵略に遭遇したことになる。

注)ロシアはラッコをはじめとする毛皮の確保のために太平洋側まで進出した。当時ラッコの毛皮の値段は金の値段に等しくロシア帝国の重要な輸出品になっていた。
ロシアの目的はもっぱら毛皮の獲得で領土的関心はなく、日本との通商(休憩地)を確保したいと思っていた。

 この時代日本の国境が明確に定まっていたわけでなく、蝦夷地や択捉島や樺太の海岸伝いに日本の商人がアイヌとの交易場を設置していたに過ぎない。
こうした場所は冬場は猛烈な寒さとブリザードが吹きすさぶ場所で、交易がおこなわれる夏場を除けば人などはほとんど存在しない。

 一方なぜロシアがこうした場所を襲ったかというとロシア国の政商で外交官のニコライ・レザノフを幕府がコケにしたからだ
レザノフは日本襲撃(これを露寇事件という)の前、1804年に長崎の出島にロシア国皇帝の親書を携えて来日していた。
日本との通商を正式に結びたいとの内容だったが、幕閣はレザノフを約半年の間長崎の出島に待たせた後実にそっけない返答をレザノフにした。
我が国は中国、朝鮮、琉球、オランダ以外とは通商交渉をしない。だからさっさと帰って二度と日本に来るな

注)この時初めて幕府は中国、朝鮮、琉球、オランダ以外とは通商も交易もしないと正式に外国に表明した。それまではキリシタンの国は日本に来てはならないという立場だった(キリシタン禁令をしていただけで鎖国とは幕府は意識していなかった)。

 レザノフは侍従長も歴任した皇帝の覚えめでたい側近で、ロシア皇帝が大株主となっている露米会社の総支配人で、かつロシアの外交官だった。
貿易にかかる絶対権限を持っていたレザノフを幕閣は冷たく追い返したのだが、これでレザノフは切れてしまった。
ようし、それなら日本の北方をかすめ取ってやる
軍艦2隻で1806年から2年にわたり、現在の北方領土周辺を荒らしまわった(本人は命令しただけ)。

 驚いたのは幕府で、そもそも襲われた場所がどこか幕閣には正確な知識がなかった。当時こうした場所は北海道の松前藩高田屋嘉兵衛のような蝦夷地貿易を行っていた政商以外には全く知識がなかった(アルジェリアの砂漠の真ん中の石油プラントについて外務省が全く知らなかったのと同じ)。
なんでもいいから北方の領土を確定してそれを守ろう

 慌てふためいた幕府は松前藩の領地以外の蝦夷地をすべて直轄領にして、さらに1807東北4藩津軽、南部、秋田、庄内)に蝦夷地警護を命じた。
東北4藩は約3000名の警護兵を蝦夷地の主要な交易所に派遣したのだが、宗谷斜里といったオホーツク海側に派遣された部隊はその冬を越すことができなかった。

 たとえば斜里に派遣された南部藩士105名は冬の装備をせずに出兵したため、翌年の春までに74名が寒さと栄養不良で病死し、残ったのはわずか31名という惨憺たる結果になってしまった。
レザノフに3人殺された防備のために派遣された南部藩士は、冬将軍によってほとんどが殺害されたことになる。

注)冬の装備をせずに蝦夷の東北部や北部に進出するとほとんど生き残ることができない。かつてのナポレオンやヒットラーやシベリア出兵の日本軍は戦闘でなくほとんどは飢えと寒さで兵士が死亡した。

 あまりの惨状に松前奉行の進言でこの防衛計画は放棄されたが、それでも問題が起こらなかったのはレザノフがその後襲撃命令を撤回していたからだ。
頭にきたが、まあこれ以上日本を挑発するのはよそう・・・・

 露寇事件ペリーが来日する約50年前の事件である。このころから幕府は海外から異国の襲来があることを認識したが、実際の対応は鎖国体制を強化して国内に閉じこもることだった(露寇事件以降幕府は初めて意識的に鎖国体制をとった)。

 私はしみじみ思うのだが、日本人は外国人が嫌いなのだ。できるだけ外国人とは付き合わないようにしてそれでも付き合わざる得なくなればいやいやながら開国するというパターンをとる。
現在でも看護師などを海外から入れることを厚労省はどうにかして抑えようとしているし、TPP交渉についても国内を開放することはできるだけしないようにする。
また日本はアメリカによって守られているのにそのアメリカの軍隊を毛嫌いしている。
日本人ほど外国人との付き合いを嫌がる国民は少ないのではないかと私は思っているが、それはたぶん日本が島国で他国と付き合わなくても生きていけたからだろう(その2に続く)。

なお日本史シリーズは以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

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