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(25.4.8) BS歴史館 外圧シリーズ 蒙古襲来

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  突然宇宙人が襲ってきたらどのように対応したらよいのだろうか。鎌倉幕府執権北条時宗の置かれた立場はちょうどそのようなものだったらしい。
ただし本当に突然かというとそれは正しくなく、第一次元寇文永の役 1274年)の6年前から元のクビライハンは5度にわたって親書を日本国に対して送り付けている。

 は当時南宋を滅亡させて中国を統一しようとしており、軍事力で朝鮮半島の高麗を服属させ、北ベトナムの大理や南ベトナムの安南も服属させることに成功していた。
南宋包囲網は確実に狭まっており、あとは南宋との関係が深いと思われていた日本を服属させれば完全に南宋を孤立化してしまうことができた。

 しかし日本は海のかなたの国で蒙古が得意とする騎馬戦術は使えない。陸の帝国にとって海は非常に厄介だ。したがって日本を攻めて服属させるより外交交渉によって日本の中立か、あるいは対南宋攻略軍に参戦してもらえれば恩の字と考えていた。
このため国書を毎年のように日本に送り付けてきたのだが、日本はこれを完全に黙殺した。

 なぜ日本が黙殺したかというと日本側の事情は、当時はまだ日本国という概念を明確に持った主体がいなかったからだと思う。鎌倉幕府は東国の武士団であり、一方京都の朝廷は西日本の荘園領主にすぎない。大きく日本は二分されていた。
使いは当然大宰府ここが古代より外交の窓口であることは知られていた)にやってくるがここには鎌倉幕府の出先機関鎮西奉行が置かれていたものの、これは外交機関というよりも鎌倉幕府の九州出張所のようなものであり外交権を持っていなかった。

 国書は鎌倉幕府に届けられたが、幕府にとっては「何かわからない国から国交を求めてきているが、俺たちは関東を固めるのに忙しいので知らない」という立場だった(外交など考えたこともなかったため国書を朝廷に転送している)。
一方朝廷は遣唐使の伝統はあったが「南宋とは異なり蝦夷の国だし、まあ攻めてくるというのは脅かしに過ぎないだろう。何しろわが国は神国だ」程度の意識だったらしい。

注)もっとも当時の最高のインテリであった関白近衛基平は日記に「国家の一大事」と記載しているから、それなりの危機感はあった。

 
 クビライハンにとってはいくら外交使節団を送っても返事がないので、ここはひとつ実力のほどを見せつけないと埒が明かないと判断したようだ。
高麗に命じて900隻の船を建造させ、高麗軍を主体とした3万3千の勢力で博多に押し寄せた。
これが第一次元寇文永の役)で、蒙古の目的は限定戦争で日本に実力を認識させて蒙古の軍門に下ることを目的としていた。

 高麗兵を主体とする蒙古軍は博多湾に上陸し博多の街を灰燼に帰した後さっさと引き上げた。
これで日本も蒙古の実力を知ったろう。高麗と同様属国になると言ってくるに違いない

注)私は文永の役もその7年後の弘安の役も台風が押し寄せて蒙古軍は海の藻屑となったと思っていたが、この弘安の役の時は蒙古は限定戦争の目的を達したのでさっさと引き上げたというのが実際のようだ。

 この文永の役鎮西奉行の指揮のもとに戦った御家人この時は鎌倉幕府の御家人が主体に戦った)は蒙古軍の繰り出す近代兵器てつはう(大砲)」の威力に度肝を抜かれた。
朝廷は震え上がり蒙古の撃退を北条利宗に命じたが、利宗は国家総動員法の制定を朝廷に求めた。
幕府の御家人だけでの防衛では日本を守ることはできません。朝廷と寺社の武士団に対しても指揮権をこの時宗にお与えください

 時宗文永の役の2年後には博多湾を囲む約20km石の防塁を築かせたが、これは幕府の御家人と朝廷や寺社の武士団の共同作業だったという(費用は武士団が自己負担した)。
この防塁が実に効果を発揮し、第二次蒙古襲来弘安の役 1281年)の時は蒙古軍の兵士の上陸を阻止している。

注)この危機を利用して北条時宗は幕府が全国の武士団に対して命令できる指揮権を手に入れ、これ以降幕府は全国政権になった。

 1回目と異なり2回目の元寇の目的は明白に日本の征服にあった。それというのも1279年には念願の南宋の攻略に成功し、日本と友好関係を結ぶ理由が蒙古側にはなくなっていたからだ。
この時元は高麗900隻の軍船と4万の兵を供出させ、滅んだ南宋3500隻の軍船の建造と10万の兵の供出を命じている。

注)蒙古の勢力拡大方法は、滅ぼした国の兵をもって次の国を滅ぼすというもので、これであれば蒙古人の損害はほとんどなかく、かえって戦闘で(滅ぼした国の)厄介な兵隊が死んでくれるので好都合。
この弘安の役は南宋の兵士の後始末の意味合いが大きかった。

生きて南宋の土地を踏めると思うなクビライハンはそう南宋兵に訓示した。
だが元にとっては不幸、日本にとっては幸運だったことは3500隻の軍船の建造が遅れたり兵士が十分そろわなかったり、指揮官が交代したりして、結局博多に襲い掛かったのは高麗兵4万、船900隻だけだった。

 防塁に阻まれ上陸がままならないまま、高麗軍(東路軍は一旦平戸の沖合の鷹島に退き、遅れてやってきた南宋軍江南軍)と合流して再度博多湾の上陸を試みることにした。
俺たちだけで攻めるのは無理だ。南宋の10万の兵さえ来れば日本など一撃のもとに征服できる

 しかし偶然とは恐ろしいものだ。1281年7月1日、この地方を暴風雨が襲った。鷹島に停泊していた高麗と南宋の船舶約4400隻は互いに友綱で結ばれ甲板上を行き来できるほどに密集していたが、暴風雨によって互いにぶつかりへし合いになり、海の藻屑となってしまった。

注)中国では敵からの攻撃に備え、船を互いに縛りあって甲板上を自由に行き来できるようにして停泊するのがふつう。これは川などでは有効だが海で大荒れになった場合は被害が拡大することを認識していなかった。

 確かに日本に神風が吹いた。これは全くの偶然だが朝廷は自分たちの行った祈祷の結果だとして武士団の奮戦を認めなかった(北条時宗に恩賞をあたえなかった)。
もしこの10万の江南軍が上陸したら九州はおろか西日本一帯は中国と朝鮮の兵士によって蹂躙されていただろう。
そして元の属領になり西日本では中国語が話されていたことになる

 北条時宗の頑張りと、幸いに台風が襲来し必ずしも海戦を得意としなかった南宋と高麗の兵をサメの餌食にしてくれたので、日本は未曽有の危機から救われた。
朝廷の祈祷とは無関係で強運によって日本は救われたのだが、それがその後の神国思想日本は神によって守られた国)へとつながり神風特攻隊にまで影響を及ぼしている。

なお日本の歴史については以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

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