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(25.3.2) BS歴史館 井伊直弼 鬼か改革者か  その1

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  私は高校時代まともに日本史を勉強しなかったので、特に幕末史などはあまりに入り組んでいて何がなんだか分からなかった。
今回のBS歴史館は大老井伊直弼(なおすけが取り上げられていたが、この時代の動きは実にめまぐるしいので事実を追うだけで息切れがした。そんな訳で2回に分けて記載することにする。

注)私の幕末のイメージは映画や小説によって形成されていて、新撰組や坂本竜馬についてはやたらと詳しいが井伊直弼についてはほとんど知らなかった。

 1860年3月3日大老井伊直弼水戸脱藩浪士18名(内1名は薩摩藩脱藩浪士の襲撃で殺害された日だが、なぜ水戸脱藩浪士なのかがさっぱりわからなかった。
水戸藩といえば御三家の一つで、水戸光圀なんかは最も人気のある殿様じゃないか。本来幕府を背負うべき立場の水戸藩がなぜ井伊直弼を襲撃したのだろう

注)大老とは独裁権のある老中で幕府が危機に遭遇したときに一時的に設置される。通常は老中会議の合議制。

 歴史の決着を見ると幕府を倒したのは長州と薩摩で、最初からこの両藩が討幕運動の先頭に立っていたと私は思っていた。
しかしそれは誤解で、井伊直弼が殺害される直前まではもっぱら幕府内部の対立が主流で外様大名の国政への参画は、南紀派一橋派の一方に加担するという形だった。

 南紀派とは幕府の閣僚譜代大名の井伊直弼等)を指し、なぜ南紀派といわれるかというと13代家定の後継者を紀州藩から迎えようとしていたからで、一方一橋派とは水戸藩主徳川斉昭を中心とした大名連合ここに外様大名が加担していた)で、跡継ぎを斉昭の息子一橋慶喜にしよとしていたからだ。
幕府内部のお家争いという側面が強く、水戸藩が外様大名の力を借りて将軍職に上り詰めようとしていた(水戸藩は御三家の中では格下で将軍になれないものと思われていた)。

注)幕府の閣僚とは実際に老中として役職を得ている譜代大名(安倍正弘等)と、役職にはついていないが溜まりの間にいる彦根藩(井伊直弼)、会津藩、高松藩の藩主を指す。
この老中と溜まりの間の譜代大名連合が実際の幕府を運営してきた。

 「どちらが将軍になってもいいじゃないか」と思うのは幕府の内実を知らないからで、南紀派は将軍は血筋で決めそれを幕閣大老、老中、若年寄等)が支えるのが家康公以来の祖法と考えており(だから守旧派ともいえる)、一方一橋派は能力者(この場合は一橋慶喜)が将軍になりそれを大名連合が支えるという構図を描いていた(革新派といえる)。

 現在的な感度では守旧派がけしからぬ存在で、革新派を応援したくなるがこの時代の主流の考え方は違う。
すべて祖法の通りというのが大事で、封建時代とは何も変らないことが最も大事な体制で、変革などというものは本来はあってはならないものと考えられていた。

 この南紀派と一橋派の対立は継嗣問題なのだが、問題が複雑なのがこの継嗣問題と外交問題がリンクしたからだ。
外交問題とは1853年にアメリカのペリーが日本にやってきて開港を迫っていて、開国か鎖国かが最大の外交問題になっていた。
幕閣は現在的なイメージでは内閣だから外交も現実的な対応をしようとする。
一方一橋派は徳川斉昭を中心としている政治から阻害されていた大名の集団だから、野党で精神論に傾く。
水戸藩主徳川斉昭の意見は過激で「外国と戦うことを決意して武家はもちろん百姓町人まで覚悟を決めなければならない」と主戦論を唱えていた。

注)現在のTPP交渉と同じで安倍政権は現実的な対応を取りたいが、政権から遠くにいる人は絶対反対と叫んでいるようなもの。

 時の老中首座安倍正弘は非常に不思議な人で、難局に立ち向かうためには旗本や御家人の中から特に優秀な人を抜擢したりしたが(勝海舟など)、一方で開国すべきか否かの意見書を大名等に提出するように依頼した。
広く意見を求めたのだからえらく民主的な老中だが、だがこれは信じられないような対応といえる。それまでは御三家をはじめ外様大名の幕政への口出しを一切禁じ、譜代大名だけが老中・若年寄として幕政を運営してきたスタイルが一気に崩れてしまった(幕府とは譜代大名が運営する政体)。

 意見書は700通あまり上申されたがほとんどが外国を打ち払えという主張の中で、  彦根藩主井伊直弼は「戦争はさけ、交易を行い、海外に進出して実力をつけその後攘夷を行うべきもの」という現実主義的対応の上申書を提出したので、これが安倍正弘の目に留まった。
彦根藩主の直弼は現実感覚の優れた藩主だ。いづれ幕閣に井伊直弼を推挙しよう

 この時代が特別に難しいのは急に朝廷の重要性が増して朝廷の同意がなければ国政を動かせなくなってきたことだが、元はといえば安倍正弘が広く意見書を求めたことに始まる(幕府が自分で開国か鎖国かを決められなくなって他の権威が必要になった)。

 アメリカのペリーは翌1854年に再び日本にやってきて通商条約の調印を迫ったため、致し方なく日米修好条約仲良くしましょうという条約)の締結までしたが、通商条約の締結は何とか拒絶している。
しかしこれで諦めるようなアメリカではなく翌翌年(1956年)にはハリスが来日して通商条約の締結を求めた。

 このとき幕閣(この時の老中首座は堀田正睦)信じられないような手段に出た。孝明天皇の勅許を得て通商条約を承認させようとしたのだ
これはうるさ型の徳川斉昭や他の大名を黙らせる手段として勅許を利用しようとしたのだが、孝明天皇はこの幕府の要求を差し戻した。
国家の重大事につき御三家以下諸大名で再度衆議したうえでもう一度言上せよ」勅許を得ることができなかったのだ。
それまで天皇の存在を屁とも思っていなかった幕閣にとってこれは晴天の霹靂だった。

 書いていても複雑すぎて「何がなんだかさっぱり分からん」という状況なので井伊直弼の幕政については明日記載する。

なお日本史については以下にまとめて記載してあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

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なお出版の経緯については以下に詳述してあります。

http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat53203102/index.html

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