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(25.2.17) BS歴史館 壬申の乱 初めてイメージがわいた!!!

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 BS歴史館で「壬申(じんしん)の乱」を放送していた。
壬申の乱」とは今から1300年以上も前に起こった古代最大の内乱で、この結果天智天皇の弟、大海人皇子が天智天皇の子供だった大友皇子に勝利し、天武天皇として即位した事件である。

 この「壬申の乱」は戦前はタブーでゲストで出演していた田原総一郎氏は「学校で教わらなかった」と証言していた。
何がタブーかというと天皇家の内乱だということがはなはだ具合が悪かったことと、万世一系の天皇家の神話にヒビが入るからだ。
なんだい、天皇家といってもいつも位の取り合いをしていたのか」なんて事を小学生や中学生に教えるわけにいかなかった。

 私もこの「壬申の乱」のイメージがいまひとつ分かっていなかったが、今回BS歴史館を見て、これが徳川家康豊臣秀頼実際に戦ったのは石田三成)が覇権を争った関が原の戦とそっくりなのに驚いた。
これは第一次関が原の戦いじゃないか・・・・・

 天智天皇百済を支援して新羅の連合軍と戦ったのだが、663年白村紅の戦いで完膚無きまでに叩きのめされて、このまま行くと唐と新羅に日本が占領されるのではないかという直前にまで追い込まれていた。
西日本各地に山城水城(みずきを築き、自身は飛鳥にいては海に近く危険と思って滋賀の大津まで都を後退させていた。

注)古代史の謎の一つになぜ大和と百済が連合したのかという疑問がある。この両者はとても近しい関係にあり、遠い祖先が同じであった可能性がある。

 全国の豪族に号令して本土決戦を呼びかけていたが、はなはだ豪族の評判は悪かった。
あれほど半島の戦争に巻き込まれるなと言ったのに、この有様だ。しかも俺たちに土地と人民を差し出せとまで言っている。それに比べると大海人皇子様は平和主義者で半島の経営からは手を引こうとなさっている

注)秀吉の朝鮮征伐失敗後の各大名の気持ちを平和主義者家康が汲んだのと同じ状況。

 天智天皇671年に病に倒れその後継者を指定しなければならなかったが、当時は直系の子孫が後を継ぐという原則はなく、実力本位の継承だった。
やはりここは大海人皇子様が後継者としてふさわしい」豪族の意見は一致していたが、天智天皇はなんとしても息子の大友皇子を後継者にしたかった。そのため大海人皇子を「後継者にする」と偽って呼び寄せ殺害しようとしたが、大海人皇子はそれを察知して吉野に逃れてしまった。

注)日本書紀では大海人皇子が天智天皇に呼び寄せられて「お前を後継者にしたい」といわれたのを断り、吉野に出家したとなっているが、私はすぐに逃げたのだと思う。天智天皇は大化の改新で蘇我入鹿を暗殺しているので、大海人皇子は「二度とその手は食うか」と逃げたはずだ。

 大友皇子が即位したが(日本書紀では大友皇子の即位は抹殺されている天智天皇の政策をそのまま引き継いだため、豪族間でははなはだ評判が悪かった。
この情勢に乗じて大海人皇子はひそかに全国に激を飛ばし大友皇子を追討する軍を起こして、特に東国の豪族集団を配下に置く戦略をとった。
なぜ東国かというと西国の豪族は白村紅の戦いに動員されて敗戦で消耗しきっていたからだ。

注)この点でも関が原とそっくりで朝鮮征伐に借り出されたのは主として西国の大名で、江戸に本拠地を持っていた家康は戦力を温存していた。

 672年吉野を出陣した大海人皇子は東国の豪族集団を味方につけるため鈴鹿峠関が原をまず押さえた。これで近江朝廷が東国の豪族と連絡を取る道が断たれた
反対に東国からはせ参じた豪族はすべて大海人皇子の配下に置かれることになりその数約3万といわれた。

注)これも家康が上杉征伐と称して集めていた秀吉配下の武将を徳川方につけたのと似ている。又決戦の場所が関が原だったこともそっくりだ。

 近江朝廷は西国の豪族に支援を求めたが、こちらは白村紅の戦いで手ひどい眼にあっていたことと、おやじの天智天皇の命令であったらそれでも聞くが子供の大友の皇子の命令は無視された。
こうして戦いは1ヶ月に及んだが、大海人皇子の一方的な勝利に終り、大友皇子は自害して果てた。

 何とも家康三成関が原にそっくりと思われるだろう。
そしてこの後大海人皇子が天武天皇になるのだが、このときから天皇という称号を唱える事になったという(これが現在の天皇制の始まり)。
評判の悪かった近江京を再び飛鳥京に戻し、実力で天皇専制政治を敷くことになった。
おおきみは 神にしませば 赤駒の はらばう田井を 都になしつ」と万葉集に歌われているが、飛鳥の湿地帯を開拓して都を作ったという歌である(ロシアのピョートル大帝が湿地帯にサンクトペテルブルグを作ったのと似ている)。

 日本は万世一系の天皇制の国といわれているが、それが本当にそうなったのはこの壬申の乱後からで、それまでは実力者が大王おおきみ)になる世界だった。
なお大海人皇子天智天皇の弟となっているが日本書記の創作である可能性が高く、はっきり言えば近江朝廷の実力者NO1,豊臣政権の大老家康のようなものであった可能性が高い。

 日本の歴史はいつも関が原で決するのは何とも不思議な気がするが、過去においては東国と西国の間に明らかな文明の違いがあって、その戦いを関が原で決していたのだと私は思っている。

なお日本の歴史については以下に纏めて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

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