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(24.12.13) 小説入門 山本周五郎 「赤ひげ診療譚」

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 今から思うと滑稽だが私が高校生の頃、進歩史観に取り付かれていた。
すべてが進歩に向かって一直線に動いており、科学も経済も歴史もそして人間でさえ進歩するものだと思っていた。
もちろん文学も直線的な動きをすると思って教師に質問したものだ。

先生、なんで私たちは古典を学ぶ必要があるのでしょうか? 文学も進歩しているのなら昔の遅れた古文など読まずに、現代小説を読めばそれが一番なのではないでしょうか?」

 教師は呆れて言ったものだ。
文学と言うものは形式があり、ある形式はある時点で最高の発展をするが、その後衰退し又新たな形式が現れる。
そして文学ではある形式と他の形式に優劣が付けられない以上、最高も最低もない

 私はその時教師の回答に不満だったが、その後文学に親しむにつれて教師が言っていた言葉が正しいことに気がついた。
たとえば和歌は平安朝に最高に達しその後は衰退したし、俳諧は江戸時代松尾芭蕉を頂点にその後衰退した。
近代詩は明治時期以降進歩は完全に止まっているし、そして現在は小説がその意味を失っている。

 私が最近の小説を読まないのは読んでも無駄だからで、そのことを再確認したのは前回読書会で川上三映子氏の「乳(ちち)と卵(らん)」を読んだからだ。
氏は最近の売れっ子作家で芥川賞作家だが、その内容のなさにおどろいた。

注)私が驚いた内容の詳細は以下に詳述してある
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-a2bb.html

 また最近ノーベル文学賞にノミネートされている村上春樹氏の「」と言う小説も読んでみたが、まったく感心しなかった。ただフィーリングだけで書いてあるような小説だ。

注)村上春樹氏の「蛍」に関する感想文は以下参照
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ed1e.html

 「小説はもう読んでも仕方がないのではなかろうか・・・・・・・・・」と思っていたが、駄目なのは最近の作者の作品でさすがに隆盛期の小説は読みがいがある。
今回の読書会のテーマ本は山本周五郎氏の「赤ひげ診療譚」で昭和33年の作品である。
この作品はその後映画やテレビで放映されてとても好評だったから見た人が多かったと思う。

 私は前に山本氏の「青べか物語」を読んで昭和初期の浦安という漁村を理解したが、今回この「赤ひげ診療譚」で江戸の下町に住んでいた庶民を理解した。
山本氏の描く江戸や昭和初期は実に生き生きしており、そこに生きた人々の息吹を感じさせてくれる。

注)「青べか物語」についての感想文は以下参照
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/221023-f1a8.html


 私が高校生の頃は左翼全盛時代で教師も好んで唯物史観を教えていた。江戸時代の農民や庶民は武士に虐げられ、年貢の徴収は過酷を極め、年がら年中一揆が発生していたと言うような話だったが、まったく無味乾燥な話だった。
しかし実際はそこに生きた人々がいてその人々の喜怒哀楽があったのだ。

 この小説は8つの短編でできていてそれぞれが完結しているが、短編は時間軸で継続されている。
主要なテーマは若くして長崎のオランダ医術実際はドイツ医術)を習得した安本登が、意に沿わない小石川養生所に配置されたところから物語が始まり、安本登の精神の成長を描いている。

 安本登にとってこの養生所は場末の病院で、幕府の御目見医イメージとしては東大病院の助手)になるつもりだった安本登は落胆してやけになり、医療行為をそっちのけに酒浸りになる。
しかし自身が狂女の診断を誤り殺されそうになったのを、診療所の所長の新出去定に助けられたり、また腹を縫合する場面で気を失ったりして自分が実際の実務においてはなんら能力がないことを悟っていく。

 当初は診療所のユニフォーム(筒袖)を切ることを断固拒んでいたが、この筒袖こそが江戸の貧しい庶民にとって唯一の救いのシンボルであることを診療所所長の新出去定の往診の助手をしながら悟るようになる。

 私はこの8つの短編の中で「ばか」が一番好きだ。庶民の中でも最下層に住む五郎吉の家族夫婦と子供3人)が出てくるのだが、このうちの次男長次7歳)と安本昇は仲良くなる。
長次は家計を助けるために銀杏の実を拾って売ったり、また炊事用の木材を拾い集めたりするのだが、あるとき大店のひさしの下にひかれている木材をくすねて、意地悪い長屋の女に目撃される。

 このため長次は泥棒と問い詰められ、窮した家族は猫いらずで一家心中を図り、子供3人は死亡して親だけが生き残ると言う筋だ。
長次の薪集めは貧乏所帯では止むおえざる所業なのだが、しかし指摘されれば死を持って償うと言う悲しい庶民の姿があり、長次安本登に「先生自分は泥棒をした、ごめん」と誤る姿が痛々しい。

 こうした経験をつみながら安本登はこの小石川診療所での医療行為の重要性に目覚めてゆき、1年後に幕府の御目見医になる内定をもらったときそれを断って診療所で働く決意を述べているところでこの小説は終る。

はっきり申し上げますが、私は力ずくでもここにいます、先生の腕力の強いことは拝見しましたが、私だってそうやすやすとは負けはしません、お望みならば力ずくで私を放り出してください
おまえはばかなやつだ
先生のおかげです
ばかなやつだ」と去定はたちあがった、「若気でそんなことを言っているが、今に後悔するぞ
お許しがでたのですね
きっと今に後悔するぞ

 すばらしいエンディングだ。私は思わず泣いてしまった。小説はこうでなくてはならないと言うような見本だ。
そしてこの昭和の30年代から40年代が日本の小説のピークであったことを確信した。

注)なおこの小説では精神的病がしばしば出てくる。たとえば「狂女の話」では幼児期にいたずらされてそれがトラウマになって人を殺す女性だし、「鶯ばか」には見えない鶯の音を聞いてうっとりする男性が出ている。
昭和33年の頃はまだ精神疾患に対する現在のような認識がなかった時代であり、それを正面から取り上げた先駆的な小説でもある。


文学関連の記事は以下に纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

 

 

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