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(24.12.23) BS世界のドキュメンタリー 「プーチンの野望 脅かされる民主主義」 その2-2

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  この記事は「プーチンの野望 脅かされる民主主義 その2-1」の続きです。

http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/241221-bs.html

 「スラブはスラブ」だとつくづく思う。「強権」と「民権」の間を揺れ動き、当初指導者は「民権」の代表として登場する。
しかし結局は「強権」発動をしてジャーナリストを殺害したり、選挙結果を自派に有利なように改ざんしたり、それでも駄目な場合は内務省治安部隊を派遣して流血の惨事を招くと言うのがお決まりのパターンだ。

 プーチンもそうだし、ウクライナのクチマ大統領もそうだった。
クチマ大統領は1994年から2004年のオレンジ革命までウクライナの大統領だったが、当初は西欧からの資本を導入して西側との親密な関係を築いたものの、いつもの縁故主義がはびこりウクライナは汚職の巣窟になってしまった。 

 これを暴いたジャーナリストが暗殺誰が命令したか証拠がなくうやむやになっている)され強権政治を発動したのですっかり西欧との関係が冷え込んだ。
クチマ大統領は「それなら頼るのはロシアだ」とプーチンに擦り寄ったが、それに反対しオレンジ革命で勝者になったのがユーシェンコだった。

 2004年に行われたウクライナの大統領選挙ほど「スラブはスラブ」だと感じたことはない。
ユーシェンコは明確に西欧との同盟を掲げ、EU、NATOへの加盟を表明していたので、プーチンにとり由々しき事態といえた。
なにしろウクライナはロシアの次に巨大な国土を持ち、人口は約45百万人、ソビエト時代から穀倉地帯と知られ、特に東部地区は鉄鉱石と石炭が産出していたので一大工業地帯になっていた。

ウクライナをアメリカや西欧に押さえられればロシアの未来はない。
ここには800万人のロシア人がいて、ヨーロッパ向けの主要な天然ガスのパイプラインが通っている。そして何よりわが黒海艦隊の基地があるではないか!!」


 2004年の大統領選挙では西欧派のユーシェンコとクチマ大統領の傀儡でロシア派のヤヌーコビッチの一騎打ちになった。
このときロシアはこの選挙に選挙参謀どうしたら票を操作できるかの参謀)を送りプーチン自身も7回も訪問して選挙のてこ入れを行った。
何でもいいからユーシェンコの選挙を妨害し、ネガティブキャンペーンを行い、それでも駄目なら暗殺しろ!!」

 クチマ大統領ユーシェンコの集会所をわざと封鎖したりして妨害したが、さすがに暗殺までは二の足を踏んだ。
クチマ大統領の弱腰に腹をたてたプーチンはKGBに命じた。
駄目だ、このままではヤヌーコビッチは負ける。何とか分からないようにユーシェンコを殺すか病気にさせてしまえ!!!」

 この事件ほど世界を震撼させた事件はない。2004年9月6日ユーシェンコは食事の後急激に体調が悪化し体中から吹き出物が出たが、大量のダイオキシンを飲まされたのが原因と判明した。
ユーシェンコは死地をさまよったものの何とか回復して2週間後の集会に出席し参加者の熱狂的な歓迎を受けた(このときの映像は私も見ている)。

 怒った民衆はユーシェンコに大量の同情票を投じたため、大統領選挙の出口調査ではユーシェンコの圧倒的な勝利だったが、開票結果はヤヌーコビッチの勝利となった。
不正は明らかだったのでふたたびウクライナは大混乱になってしまい、クチマ大統領プーチンにせっつかれて内務省治安部隊の戦車を派遣した。
しかしアメリカのパウエル国務長官からの電話等もあって、さすがに弾圧に乗り出さなかった。

注)クチマ大統領は優柔不断な性格でプーチンのように冷酷になることはできなかった。ロシアとアメリカの間で動揺し決断することができなかった。

 結局ポーランドの仲裁で円卓会議を開催したが、そこに出席したロシア代表が言い放った。
不正があったとしても10%程度だから、ここは選挙管理委員会の決定を重視してヤヌーコビッチを大統領として認めるべきだ

 しかし世界が注目する選挙結果で不正率10%の選挙を認めるわけにいかなかったので、最高裁判所が選挙の無効を宣言し再選挙を行った結果ユーシェンコが正式の大統領に就任した。
2005年1月のことである。

 このときからロシアとウクライナとの間では長く続く天然ガスの争奪戦ロシアがウクライナ向け天然ガスの供給を停止したので、ウクライナを通り他国に向かっていた天然ガスをウクライナが抜き取る争奪戦)が始まった。

注)ウクライナとロシアの天然ガス争奪戦は以下の記事に詳述してある。
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/2117-a928.html

 
ウクライナの選挙妨害に失敗したロシアはその後危機感を強め、国内の民主化組織の大弾圧に乗り出した。
右派的な若者10万人を集めて「ナーシ」を組織し、外国人の排斥運動をあおったため一時モスクワには日本人でさえ近づけないような有様だった(
出稼ぎの中国人に間違えられる)。
さらに国内に1000近くあったNGOや民主化組織を
海外から資金提供を受けている反ロシア的組織」として法的に取り締まった。

注)KGBはその証拠として「イギリスのMI6から資金提供を受けている民主化組織の秘密交信の現場」だという映像を流した。

 こうしてロシアの民主化運動はプーチンの手によって息を止められることになった。

なお「プーチンの野望」シリーズは以下に纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat52349785/index.html

 

 

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