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(24.12.26) BSドキュメンタリー 「プーチンの野望 新たなる冷戦の火種 グルジア」 その3

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 私が北京オリンピックに浮かれていた2008年8月、世界ではグルジアロシアの間で南オセチア紛争が勃発した。
当初グルジアもロシアも「相手が先に攻撃を仕掛けてきた」と主張していたのでさっぱり分からなかったが、実際はグルジア大統領サーカシビリがロシアの挑発に乗って南オセチアに進軍したと言うのが実態だった(日本がルーズベルトの挑発に乗って真珠湾を攻撃したのとよく似ている)。

 当時私はグルジアの地理的位置も定かではなかったが、ロシアとトルコに挟まれ黒海に面した国で人口約4百万人、観光と農業以外には目立った産業のない、はっきり言えば何もない国だ(日本には大相撲で黒海と言う力士がいたので割合と知られている)。
しかしここは1991年のソビエト崩壊以来常に紛争地域で在り続け、グルジア内部にグルジア人オセチア人オセット人)、アブハジア人アブハズ人)の民族対立があり、実質的に南オセチアとアブハジアはロシアの庇護の下に自治州を形成していた。

 この状況を何とか打破して南オセチアとアブハジアをグルジアの元に取り返そうというのが、民族主義者だった大統領サーカシビリの悲願だった。
サーカシビリはアメリカのパウエル国務長官の評では「直情激高の人物」でアメリカの軍事援助を受けて領土奪還紛争を起こそうとしていた。

 民族紛争が実に厄介なのは南オセチアにもオセット人だけでなくグルジア人もおり、アブハジアにもグルジア人が住んでいたことだ。
ちょうどユーゴスラビアの内戦のような民族浄化紛争に発展しつつあり、これをロシアが平和維持部隊を派遣して(南オセチアとアブハジアに派遣)、かろうじて内戦を抑えているような状況だった。

 サーカシビリにとって我慢ならないのは平和維持部隊がロシア軍であったことで、「これではニワトリの番をキツネにさせているようなもの」と言うのがグルジア側の認識だった。
実際ロシアの平和部隊の任務はグルジアの攻撃から南オセチアとアブハジアを守ることだったと言える。

 この時期ロシアにとって最大の懸念はロシア周辺諸国であるポーランドチェコそしてグルジア等にアメリカのミサイル防衛システムが配備されることで、こうなったらロシアはアメリカに完全に喉元に匕首を突きつけられることになる。
誇り高いプーチンがそうしたことを認めるはずがなく、ミサイル防衛計画を排除するためにはグルジアに軍事行動を起こすつもりだった。

 2004年ごろから急速にグルジアとロシアは緊張関係が強まり、2006年にはロシアの軍人をグルジアがスパイ容疑で摘発すると、ロシアはすぐさまロシアで出稼ぎをしていたグルジア人を強制退去させた。
そして南オセチアとアブハジアに実質的に軍事援助をして完全独立をそそのかした。

 これに反発してグルジアはアメリカの支援で軍事行動を起こそうとしたが、パウエル国務長官はその動きを牽制していた。
アメリカにとって国益にならない戦争は支援しない。グルジアはアメリカの参戦を期待しないでほしい
ただその代わりにアメリカはグルジアとウクライナ)をNATO加盟国にすることでロシアの軍事攻撃を防ごうとしたが、これにはドイツとフランスが反対した。
だめよ、グルジア紛争をNATOに持ち込むなんてとんでもないメルケル首相が言い放った。

注)結局グルジアとウクライナは将来NATOに加盟させるがそれは紛争がなくなってからということになってしまった。

 こうしてサーカシビリは追い詰められていった。南オセチアとアブハジアのグルジア人は民族浄化の標的にされ、ロシア軍はこの両地域保全のために軍備増強に走っており、一方NATOの加盟は実質的に不可能になっていた。
このままでは南オセチアとアブハジアは永久にロシアのものになってしまう。今はちょうどオリンピックが開催されていてプーチンは北京だし、メドベージェフは休暇中だ。このときを逃したらチャンスはない。俺は男だ!!」
2008年8月7日グルジアの真珠湾が始まった。 

 だがこれはプーチンがまさに望んでいたことでロシア軍は直ちに反撃し、攻め込んだグルジア軍を蹴散らして、さらにグルジアの首都トビリシに進軍を開始した。
まったく歯が立たなかったサーカシビリサルコジに泣きを入れて停戦を計ろうとしたが、その条件はグルジア軍の一方的撤退と、南オセチアとアブハジアの独立を認めることだった。
サーカシビリはアメリカの支援を受けることなく一方的に敗北したのである。
プーチンの強いロシアの前にアメリカはグルジアを支援できず、ロシアは確かにこのとき復活していた。

 こうしてロシアとアメリカは新しい冷戦時代に入ることになった。

注)2003年のイラク戦争以降石油と天然ガスの価格が高騰し、ロシアは財政的に完全に立ち直り軍備も増強していた。サーカシビリは運がなかったといえる。
ロシア経済の実態は以下参照
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/201124.html

なお、「プーチンの野望」シリーズは以下に纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat52349785/index.html

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