« (24.11.4) NHKメイド・イン・ジャパン 復活のシナリオ第二話  ダイキン・トーレ・三洋電機のそれぞれの対応 | トップページ | (24.11.6) あたしが大臣よ、私の言うことを聞きなさい!! 田中真紀子大臣の性(さが) »

(24.11.5) NHK 発見 幻の巨大軍船 モンゴル帝国の攻撃終末点

Dscf5876

  軍事用語で「攻勢終末点」と言う言葉があるがその意味は「それまで連戦連勝だった軍事攻勢がある地点に達するとピタッと進撃が止まり、その後は後退に次ぐ後退を迫られる地点のことをいう。
最近の戦争では日本軍のガダルカナルがそれに当たり、ヒットラーのドイツ軍ではスターリングラードで、古くはナポレオンのモスクワがそれだ。

 今回のNHKスペシャル「発見 幻の軍船 モンゴル帝国VS日本」はそれまで連戦連勝だったモンゴル軍が日本に攻め入ったものの突然進軍がとまり、それ以上の拡大ができなくなった攻勢終末点だったことを教えてくれた。
通常攻勢終末点に達する理由は補給路が伸びきった場合がほとんどだが、モンゴルのそれは騎馬軍団(陸軍)が海軍に変身しようとして失敗した事例だ
馬がいけないところは蒙古軍はからっきし弱い。

 昨年の10月、佐賀県と長崎県にはさまれた伊万里湾鷹島沖200m水深23mの地点で沈没した蒙古軍の軍船が発見された。
その軍船は外航船として建造された長さ27m、乗員100人程度が可能な立派な軍船で、船底にキール竜骨)という舟を安定させる装置があり、外板二重にして強度を保ち、キールと外板との間には漆喰で水漏れを防ぐ構造をしていた。
こうした建造方法は当時の国宋の外航船の建造方法だと言う。

 資料によると2回目の元寇1281年6月 弘安の役)は船舶4400隻、14万の軍勢で押し寄せてきたと言う。1隻当たり32人が乗り組んでいたことになるが、乗組員以外に武器、馬(蒙古軍の将校用)、食料、それに占領政策後の建設用資材(レンガ)まで運んでいたのだからこの程度の人数が妥当なのかも知れない。

 日本側に残された唯一と言っていい資料「蒙古襲来絵詞」では軍船は10人乗り程度の小型船として描かれているが、実際は最大100人程度を乗せられる大型船だったことになる。

注)絵詞はかなり忠実に戦役を再現しているが、軍船については作者はまともに見ていなかったか、押し寄せた船舶は小型船(上陸用船舶)だったのかもしれない。

 1274年に第一回目の蒙古襲来(文永の役)があり、このときは蒙古軍が博多の街を焼き払って1日で撤収している。軍隊の指揮官は蒙古人だったが兵隊は蒙古の軍門に下った高麗人2万6千人で、人数や一日で撤収したところから本格的に占領をする意思はなく、蒙古の力を見せ付けて属国になることを迫ったものと思われる。

注)蒙古は1266年(軍団で押し寄せてくる8年前)に使節を日本に派遣し属国になるよう強要したが、鎌倉幕府はこれを無視した。そこで1274第1回目の日本征服軍がやってきてその力を見せ付けた。
翌1275年、蒙古は再び使節を鎌倉に派遣し属国になるよう強要したが、当時の執権、北条時宗は使節を斬首した。


 クビライが2回目の遠征(弘安の役)を命じたのは本格的な占領以外に日本を屈服させる手段はないと腹をくくったからだ。
1279年に宿敵南宋を下して捕虜(南宋の軍人)が多数いたのと、属国高麗の軍隊を自由に使用できたので、今度は14万の大軍宿泊施設屯田兵の施設)まで用意して押し寄せてきた。

お前たちは捕虜の分際で本来ならば全員斬首にすべきだが、日本を征服すればその土地をお前たちのものとし、日本の住民を奴隷として扱うことを許す。生きて南宋に戻れると思うな」クビライはそう宋兵に激を飛ばしたはずだ。

注)蒙古の戦法は占領した地域の軍隊を使って新たな土地を占領すると言う方法で、蒙古人は指揮官だけが従軍していた。

 しかし鎌倉武士も前回のように簡単に敗北することはなかった。博多に土塁を築き、堅固な守りをしていたので押し寄せた高麗軍900隻を1週間の戦闘で水際で食い止めた。
高麗軍は一旦軍をひき宋からの本隊3500隻と合同しで一気に博多を占領としようとしたが、このとき急に空模様が怪しくなったので、外洋を避けて伊万里湾に避難して天候の回復を見ることにした。

 伊万里湾の鷹島近辺に蒙古軍(実質は南宋と高麗の連合)14万が停泊していたのだが、ここは南風が強く吹くと今でも漁船は漁に出られないほど海が荒れる場所だと言う。蒙古軍にとっては運悪く、そして日本にとってはまことに運よくこの時伊万里湾に台風が押し寄せ南からの強風が吹き荒れた。

 軍船4400隻は互いにロープでつないで、あたかも大きな甲板のような形になって停泊していたところに台風が押し寄せたため、互いにぶつかりへしあいして傷つきほとんどの軍船が海の藻屑になってしまった。

注1)中国では停泊するときには舟を互いに結びつけ、一箇所にまとまって停泊するため、沈没するときはいっせいに沈没する。
また船の構造にも問題があり、本格的な軍船の建造が間に合わなかったため、沿岸船を修理して外航船として使用をしていた舟も多く、最初から強度は弱かったと説明されていた。

 この2回目の元寇で蒙古軍は攻勢終末点に達したのだが、それに懲りず1287年に軍船を擁してベトナムに侵略しようとした。
このときはベトナム軍がゲリラ戦(その後ベトナム軍は大国との戦争でゲリラ戦を用いて常に勝利している)で、蒙古の水軍を撃退している。
ベトナム軍の司令官チャン・タン・ダオ将軍は今でもベトナムの救国の英雄として寺社等で祭られている。

注)それに比べて北条時宗が日本では救国の将軍として十分評価されていない。理由は朝廷が「蒙古軍が敗退したのは朝廷の加持・祈祷によって神の加護があったから」だと認識していたからと思われる。
「神風のおかげじゃ」


 ベトナム史の研究家が「クビライが第3回目の日本遠征をできなかったのは、ベトナム戦争で多くの軍船と南宋の捕虜の軍団を失ったため」と言っていた。
確かにそうした面はあるが世界史的な視点で言えば蒙古は所詮陸軍国で海軍の運用ができなかったからと言えそうだ。

 今回の元寇の話はとても興味が持てた。かつて蒙古中国元)は日本占領計画を企てたが、鎌倉武士の奮戦と自然条件に阻まれて失敗をした。
現在の胡 錦濤の中国も日本占領計画に着手し、まず手始めに尖閣諸島、ついで沖縄の独立派をけしかけて、沖縄の日本からの切り離しを狙っているが、果たしてうまくいくだろうか。

 約730年前蒙古の野望は海の藻屑と消えたが、胡 錦濤の野望を打ち砕く北条時宗は現れるだろうか。

 
なお日本史にかかる記事は以下に纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html



 
 


 

|

« (24.11.4) NHKメイド・イン・ジャパン 復活のシナリオ第二話  ダイキン・トーレ・三洋電機のそれぞれの対応 | トップページ | (24.11.6) あたしが大臣よ、私の言うことを聞きなさい!! 田中真紀子大臣の性(さが) »

歴史 日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« (24.11.4) NHKメイド・イン・ジャパン 復活のシナリオ第二話  ダイキン・トーレ・三洋電機のそれぞれの対応 | トップページ | (24.11.6) あたしが大臣よ、私の言うことを聞きなさい!! 田中真紀子大臣の性(さが) »