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(24.7.18) シリーズ 消費社会はどこへ 電球をめぐる陰謀 商品は意図的に老朽化されている

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 海外のドキュメンタリー番組は当たり外れが大きいが、現在NHKが放送している「シリーズ消費社会はどこへ」はなかなかの番組だ。
第一回は「電球をめぐる陰謀」でフランス・スペインの2010年の作品だが、20世紀を通じて最も重要な商品だった電球1925年から国際的なカルテルが結ばれて寿命を1000時間に制限してきたと言うのには驚いた。

 私は裸電球はそもそもフィラメントの関連から寿命は長く保てないのだと思っていたがそれはまったくの間違いで、1895年に製作された裸電球が、アメリカのリバモアにある消防署で今も使用され続けていると聞いて再度びっくりした。この電球は100年以上も寿命を保っている。

 1925年以前は電気メーカーは電球の寿命を長くすることに懸命に取り組み、平均寿命が2500時間になっていた。
このあまりに丈夫な電球の出現によって電球が売れなくなり、当惑した世界の電機メーカーがスイスに集まって秘密会議を開き、今後電球の寿命を1000時間にするように国際カルテルを結んだ。それをボイホス・カルテルと言う。

 このボイホス・カルテルの伝統がその後の世界の資本主義の根底を支えるようになり、電球以外の商品もメーカーは意図的に製品が一定時間で壊れるように設計していると言う。
これを「意図的な老朽化政策」と言うのだが、現在の資本主義はこの隠れた思想の上に成り立っている。

 番組の冒頭に出てきた事例ではプリンターの寿命を印刷枚数で決定し、その枚数に達するとプリンターが動かなくなるように設計されていた。
お客さん、買い替えのときが来ました。修理部品がないので買い換えてください」と言うわけだ。

 実は私も経験的にとても不思議に思っていることがある。それは電気製品クーラー、テレビ、パソコン、プリンター、電話機等)が平均して10年経つと壊れることだった。もちろん修理部品はもうないから買い換えることになるのだが、これはすべて物理的な磨耗のせいだとばかり思っていた。

 だが、最近の電気製品は電子部品の塊の様なものであり、パソコンでも磨耗と言えるのはディスクぐらいなものなので、「なぜ電気製品の寿命は10年か?」とても不思議に思っていたものだ。

 番組ではメーカーの技術者が盛んにより壊れやすいものを作るために研究している有様が出ていた。
たとえばデュポン社は当初絶対に破れないナイロンストッキングを開発し、それで自動車を引っ張ることもできたのに、「これでは消費者が一生に一回だけナイロンストッキングを購入すればよい」ことに気付き、急遽破れやすいナイロンストッキングの開発を行っていた。

 アメリカの大恐慌時代バーナード・ロンドンと言う実業家が「商品にはすべて寿命を設定して、使用できるか否かにかかわらず寿命が来たらすべて商品を廃棄処理することを法律で定めよう」と提案していた。
こうすれば企業の生産も労働者の職場も維持できると言う訳だ。
この提案は受け入れられなかったが、現在のコンビニスーパー賞味期限を設け、食べられるか否かに関係なく廃棄処分をしていることと何か深いところで思想が似ている。

 思わず笑ってしまったのは旧共産圏諸国では「意図的な老朽化」と言う思想がまったくなく、ひたすら長持ちする製品が作られていたことだ。
たとえば東ドイツの冷蔵庫は25年の寿命を保証していて、実際に使ってみるといくらでも使用が可能になっている。
旧東ドイツでは冷蔵庫を作るための資源が常に足りなかったため、長寿命型の開発が好まれいつまでも使える商品に人気があったのだそうだ。

 一方アメリカや西欧や日本では戦後は常に大量消費がもてはやされ、機能的には従来の商品でまったく支障もないのにテレビ広告等でダサイと思わせる消費の誘導がなされている。
携帯電話でまったく支障がないのにスマートフォンを持っていないと片身が狭いと言う感じだし、古い車をいつまでも乗っていると「山崎さんの家計はやっぱり厳しいのね」なんて思われてしまう。

 フランスの経済哲学者のセルジュ・ラトーシュが「限りある地球で限りない成長が可能だと考えるのはエセエコノミストか愚か者だが、現実はエセエコノミストと愚か者ばかりの世界になっている」と嘆いていた。

 私もこのブログで日本がもはや経済成長をすることなく、新しい中世といった静かでものを大事に使う文明に入っていくと主張しているが、なかなか賛同を得ることはない。
成長なくして財政再建なし」などと常に政治家が言っているので一般の人が惑わされるのは無理からぬところもあるが、実際は日本の経済成長は1990年を境に止まっている。

注)日本が新しい中世に入っていくと言う私の主張については以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-4a0a.html

 いつまでも「意図的な老朽化」の企業戦略に惑わされることなく、地球資源の限界を考慮して足るを知る生活を営むことが私たちに今求められている。倉本 聰氏が描く「北の国から」の五郎のような生活だと言ったらイメージがわくだろうか。

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コメント

2001年に買ったキャノン製のプリンターを使い続けた。その製品はよく動いてくれるなと感心するくらい丈夫だったが、このプリンターが不思議な壊れ方をしたので、私は、数日考えた末、コンピュータ制御できる機械はその製品の寿命を自由に制御できるのだと気が付き、世の中が恐ろしくなる不思議な感情を抱きました。

投稿: pij | 2012年7月18日 (水) 13時25分

なんだか読んでいて驚いています。電子部品の塊では昔のように修理も不可能なのでしょうか?最近の電気製品は壊れやすいような気さえします。
こんな時代 <地球資源の限界を考慮して足るを知る生活を営む>なので本当にそう思います、。

投稿: みさき | 2012年7月18日 (水) 18時16分

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