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(24.6.16) 文学入門 柴田翔 「されどわれらが日々」

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 読後感が今と昔ではこんなにも異なるものだろうか。柴田翔氏の「されどわれらが日々」のそれである。
この本を私が最初に読んだのは大学生の頃だから今から45年ほど前のことだが、非常に感動した記憶がある。
しかし今回読み直してみてなんとも空虚な感じに襲われた。

 今回の読書会のレポーターはJJさんだが、JJさんは1960年の第一次安保闘争も1970年の第二次安保闘争も知らない世代で、かつてなぜあのような激しい学生運動が展開されたのか不思議に思っていたと言う。
そこでJJさんは今回この本を選択したのだが、この小説の舞台は終戦後10年経った1955年前後の日本で、ようやく終戦の痛みから立ち上がって高度成長を始めようとしていた直前の日本が舞台である。

 この小説の主人公は英文学専攻の東大大学院生でインテリでありまた登場人物はすべてインテリである。
そしてこの小説では主人公とかかわった人々の挫折を扱っているのだが、挫折をした学生が次々に自殺をしたり自殺未遂をするのには驚かされる。
何か最初から間違っているのではなかろうか・・・・」そんな感じがする小説だ。

 いまから思うと信じられないことだが、戦後日本では日本共産党中国共産党の影響の下に「農村から都市を包囲する中国式共産革命を目指していた。
この手段として東大をはじめとする主要大学の学生党員を農村地帯に下向させ、そこで旧陸軍の武器と火炎瓶で武装蜂起をする計画になっていた。山村工作隊と言われたが、襲う先は警察署や役所等の公的施設である。

 しかしこの方針は武闘派の徳田球一氏が中国で急死し、反武闘派の宮本 顕治氏等が権力を奪取したことにより、中国式武装蜂起路線は撤回された。それを正式に認めたのが日本共産党第六回全国協議会(六全協と言う)だったが、収まらないのは農村地帯で今か今かと武装蜂起を待っていた党員たちだ。

ぼくを含めて、党と革命に自分の生活の目標を見出していた学生にとっては、(六全協の決定は)ほとんど致命的なものに思えました」と言う衝撃を学生党員に与えた。
その後多くの学生党員が共産党を離れるか、あるいは新左翼として共産党とは別個の左翼運動を展開することになったのはこのときの衝撃の大きさによる。

 私はこの小説をそうした挫折文学として読んでいたが、今回読み直してみてこの小説は自殺文学ではないかと思うようになった。
なにか理由もなく観念の中で自家中毒を起こして自殺しているみたいだ。

 最初に登場する自殺者は東京大学法学部の学生で共産党員のたまり場だった歴史研究会(歴研という)のメンバーだった佐野の言う青年だ。
佐野は党中央の指令によって農村に潜伏し武力革命の指令を待ったが、六全協で突然にその指令が撤回され大学に戻ってくる。

 佐野は党のあまりに唐突な方針変更についていけず学生運動から離れ、大学を卒業するとS電鉄に入社する。
本人は挫折者として二度と社会の表に建たず、平凡な人生を平凡に送ろうと決心するが、仕事での実績をだんだんと認められて、実質的NO1の副社長の姪の結婚相手の候補にまでなり、将来が嘱望されてしまう。

 このあたりまでは元左翼運動の闘士によくあるパターンだ。一般に東大の学生は実務能力が非常に高い。まじめに仕事をしていれば自然に出世してしまうし、高度成長期の日本は過去に何の思想を持っていたかでなく、業務能力があればそれを評価していた。
学生時代は少しぐらい赤であったほうがいい」という感覚だ。

 
 しかしこの佐野と言う青年は認められることで自殺をしてしまう。その理由は「自分は裏切り者だ」とはっきり分かったからだと言うのだが、このあたりから私はこの小説に違和感を覚える。
この小説が書かれたのは1964年の頃でまだ左翼運動が華やかな頃だが、実際はその25年後には世界から社会主義国が次々に消え去り、残った中国は資本主義を採用した共産党独裁国家になってしまった。

 その後の歴史の経緯を知っているものから見ると、左翼運動そのものが間違いで、裏切るもなにも単に正常な生活に戻っただけにすぎない。
時代の流れに任せてS電鉄の重役になって相応の社会的貢献をすればいいと思ってしまうが、佐野青年は裏切り者であることが我慢できず自殺をする。

 私には違和感があるが、しかし社会主義を善とみなしていた佐野青年の自殺は分からないでもない。
だが、この小説の主人公の一時的恋人だった同じく東大生の優子の自殺になると理解不能だ。
主人公と肉体関係を持ってそのために妊娠したのだが、あえて言えばそれを苦に自殺するのだが、そんなことで自殺をするのだろうか。
本人は堕胎の手術をした後、その空虚さに耐えられなくなって手紙を残し
禁欲はいつも惨めで暗いのに、そして欲望を公然と認めて生きることは、夏の海に輝く太陽のように明るいはづなのに、その明るさの結末に、こうした屈辱を受けなければならないのは、一体なぜでしょうか」といって自殺をする。

 子供ができたのなら「できちゃった婚」をすれば済むことで、何も自殺をすることはないだろうというのが私の感想だが、1955年ごろはこうした婚姻は許されなかったのだろうか。

 主人公はその後節子と言う幼馴染と婚約して2年間ほど付き合うのだが、節子は主人公との生活が空虚なものと知り、主人公の元を去るために鉄道での自殺未遂をし、それに失敗した後は去っていく。
このあたりになると読むのがいやになるくらいの観念の応酬だ。
あなたが私との二年間を通じて何一つお変わりにならなかったとしたら、それは、ただひたすら、あなたの前にいた私と言うものが無であったことを語っているのでしょう。・・・・・逆に私が、自分が無であり、あなたをかえる契機たりえなかったことを、すでにそのときはっきり知った」ゆえに婚約を解消して別れるという。

 なんともひどい観念の遊びでこれが自殺未遂をしたり婚約を解消する理由になるのかと驚いてしまう。
柴田翔氏の「されどわれらが日々」はある特殊な時代、日本が戦後しばらくのイデオロギー過多観念過剰あった時代にのみフィットする小説で、たしかに「されどあなた方の日々」だったとしても今日的意味はまったくないように私には思われた。

またこの読書会の主催者の河村義人さんの書評は以下のURLをクリックしていただけれbあ読むことができます。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2012/06/8246239.html

なお文学入門の記事は「文学入門」のカテゴリーに纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat31264874/index.html


 

 





 

 

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