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(24.4.12) BS歴史館 平清盛 勝利と敗北の経済戦略

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 最近の私のお好みの番組はBS歴史館だ。再放送だったが「平清盛 勝利の鍵は経済戦略」と言う番組が放映された。
一般的に平清盛の評判は良くない。「おごれるもの久しからず」なんて平家物語に書かれているので、私などは長い間平清盛はいやなやつだと思っていた。

 
 最近NHKの大河ドラマでも「平清盛」をやっているが、ここではなんともむさくるしい男に描かれている。
兵庫県知事なんかはすっかりおかんむりで、「神戸のイメージが壊れる」と何度も番組にクレームを付けている。
私もこの番組の主人公のむさくるしさには辟易している一人だから、「もう少しどうにかならないだろうか」と思っているが、実際の平清盛は実に優しい男だった。

 優しすぎて平家一門を壇ノ浦で全滅させてしまったのだが、最大のライバル源義朝を討ち取ったまではいいが、その子供の頼朝義経を生かしたのが原因だ。
理由は父の後妻の池禅尼が自分の死んだ子に頼朝が瓜二つだったので助命を嘆願したからである。
清盛は当初拒否したが「私が後妻だから話を聞いてもらえない」と池禅尼がさめざめと泣いたので、当惑して清盛は頼朝を伊豆に島流しにすることにした。
なんとも優しい男だ。

注)徳川家康を見ても分かるように敵方の男子は絶対に許してはならない。中国では九族皆殺しが普通だ。

 今回のBS歴史館のゲストは歴史学者の高橋氏本郷氏、それに異色の会計士で「平清盛 経営者平清盛の失敗」と言う本を書いている山田真哉氏だった。
私はこの3者のなかで山田氏の話がもっとも面白かったのだが、その趣旨は「経済改革を実施して貴族社会を葬ろうとしたが、その改革が急進的であったことと、当時西日本に発生した大飢饉の影響で経済改革に失敗した」というものだった。

 平家の隆盛親子3代にわたる努力の結果であったが、ちょうど奥州藤原三代と同じように3代で滅びている。
祖父の正盛、父の忠盛、そして清盛に続く平氏は貴族の番犬として頭角を現した。
もし貴族社会が安定していれば平氏の出る幕はなかったが、平氏にとって幸いだったのは天皇家が内紛の只中にあったことだ。後白河天皇崇徳上皇が対立し、それに藤原摂関家が割れて上皇側がクーデタを起こし天皇位の奪還を図ろうとした。

 もっともクーデタを起こすと言っても天皇家も藤原家も軍備は持たないから、源氏、平氏といった武士集団を傭兵にして互いに戦うことになる
これを保元の乱1156年)と言ったが、この戦いは後白河天皇側が勝利した。
後白河天皇側に平清盛、源義朝といった当時最大の軍閥がついたからである。
これが一回戦でその3年後、平清盛、源義朝が王者決定戦を行ったのが平時の乱1159年)である。

 平氏がなぜそれほどまでに軍事力を蓄えることができたかと言うといち早く宋との貿易に目を付けたからで、博多の宋商人を通じて宋の白磁や書物を取り寄せそれを貴族に献上することで国司に任官していたからだ。
清盛の父、忠盛美作、備前、播磨、越前、尾張5カ国の国司を兼ねていたがいづれも米が取れる豊かな国だった。

注)当時の上級貴族は宋の白磁と書物が何より好きだった。書物が好きだったのは当時の日本のインテリは貴族と僧侶だったから。

 清盛は父が残してくれた財力を元に武士団を養成し、保元・平治の乱に勝ち残って、完全に平氏の天下にすることができ、自らは太政大臣という貴族社会のトップに上り詰めた。
平氏にあらずんば人にあらず」と言われたあの時代のことである。

 
 さらに清盛は自身の地位を完全にするため経済改革を実施した。

① 一つは対宋貿易を博多の宋人から取り上げ、いまの神戸市にあった大輪田の泊を対宋貿易の拠点にすえて、貿易の利益を平家一門の財力の基盤にしたこと
② 宋の銅銭を大量に輸入して、それまでの物品貨幣(絹織物と米)に変わって銅銭を通貨にしたこと
③ 反対する貴族を一掃(40名)し、32の知行国の国司を平家一門で占めたこと

 この中で出演者が揃って高く評価したのは貨幣経済への移行である。
それまでの物品貨幣絹織物や米はかさばるし、持ち運びは不便だし、品質が一定していないので一つ一つ品質チェックが必要とされた。
これでは流通業など成り立つわけがない。

 一方銅銭になれば品質が一定で持ち運びも簡単であり、品質チェックは要らないし数えるのも簡単だ。
これで一気に流通経済が花開くことになった
資料によると約150年後の鎌倉末期には土地取引の約8割が貨幣で決済されていた。

 だがしかし急進的な改革には反対者が多い。貴族はそれまでの絹織物が通貨として役立たなくなったことで資産が暴落したし、東国では貨幣経済をまったく受け付けない貧しい武士集団が商行為を憎んでいた。
もし清盛の改革が運に恵まれていたら、平家の隆盛はそのまま続いていたろうが、まったくの不運は清盛の晩年に西国を中心に大飢饉が発生したことだ
養和年間の大飢饉1181年~1182年)がそれで、鴨長明方丈記の中で都の左京だけで42300人の餓死者が出たと記載したあの飢饉のことである。

 これで平家の財力はいっぺんで吹っ飛んでしまった。平家武士団は米を売り払って有り余るほど銅銭は持っていたが、食料がなくなるといくら銅銭があっても米を買うことができない。再び世間は物々交換の世界に逆戻りして西国の武士団は腹ペコの状態になってしまった。
一方東国は相対的に飢饉の度合いが軽かったのと、物品貨幣の世界だったので十分米を蓄えていたので飢餓まぬがれることができた。

 ゲストの山田氏は「この飢饉が貨幣経済の平氏を滅ぼしたのだ」と説明していたが、「なるほどね、物がなければ貨幣経済は成り立たないのか・・・」と納得してしまった。
優しさゆえ頼朝と義経を助けたこと、および貨幣経済の導入に失敗して平家は壇ノ浦に消えたのだが、なんとも哀れな話で「諸行無常の響きあり」と言う感じだ。

なお日本史については以下に纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat41526340/index.html

(別件)今回「おゆみ野四季の道」のカウンター10000を加えました。





 

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