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(24.4.18)  中東の核の歴史 イスラエルの秘められた核の開発 その2

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  昨日に引き続きイスラエルの核開発の後編である。この番組は2001年にイスラエルで制作され元首相だったペレス氏がインタビューに答えている。
そうした意味では政権担当者としてのバイアスがかかっている可能性は否定できないがとても興味深い番組だ。
特にペレス氏の温厚そうな表情の下に隠れている狸おやじとしての側面が垣間見られるのが面白い。

 イスラエルの核開発は初代首相ベングリオンと国防省のペレス氏が推し進めた秘密プロジェクトでイスラエル外務省はこの核開発にタッチをしていなかった。
1957年からネゲブ砂漠のディモナに秘密の核施設が建設され、フランスから核科学者と技術者が派遣されたが、フランス側も知っていたのは国防省と核関連の技術者だけだった。

 1958年になるとフランスではドゴールが大統領になり、ドゴールはフランスのイスラエルに対する核施設建設を取りやめさせようとした。
しかしドゴールの命令は軍と原子力関連組織から無視され、その後も支援は続けられたと言う。
ドゴールが本当の意味でフランスの関与を知ったのは1960年のことで、この年にイスラエルに対する原子力関連物質の禁輸措置を発令している。
それでもフランスの科学者と技術者はディモナの核施設の建設を止めず、1962年核施設を完成させた。

 この事実は驚くべきことだ。ドゴール大統領が停止命令を出しても軍はまったくその命令に従わなかったと言うのだから不思議だ。
どうやらこれはドゴールと軍の出来レースで、アメリカからイスラエルの核開発に対する中止要請が来ていたため、表面的には応じた振りをしたのだろう。何しろドゴールはアメリカ嫌いの自尊心の塊のような男だった。
アメリカの顔は立てるがまともに聞くな

 1960年にアメリカの科学者によってイスラエルに核施設があることがすっぱ抜かれたが、この情報はCIAがフランスを揺さぶるために科学者に教えたものと思われる。
1961年ケネディが大統領になるとアメリカは核拡散に本格的に乗り出した。ケネディにとってはイスラエルの核開発もその例外でなかった。
ケネディはイスラエルに核施設を国際機関の監視下に置くように強く迫りディモナへの立ち入り調査を求めた

 このあたりからは現在の北朝鮮イランとの交渉と同じなのには笑ってしまう。
イスラエルはしぶしぶ受け入れには応じたが、当然のこととして国際査察団を出し抜いた
アメリカからの二人の科学者が案内された場所はレプリカの操作室で、実際は地下にプルトニウム抽出施設があったのだがここには立ち入らせなかった。
アメリカの科学者はすっかりだまされ、イスラエルの核施設は平和目的だとケネディに報告している(爆の材料であるプルトニウムの抽出はされていなかったと報告した)。

 もっともケネディはこの報告を信じてはいなかったらしくベングリオンがアメリカを訪問したときに核開発の目的の念押しをしている。
このときそれに答えたのがペレスで「イスラエルは中東で最初に核兵器を導入する国にはならない」と答えたが、これは答えようがなかったための苦し紛れの回答だったとペレスが述懐している。

これがその後イスラエルのあいまい政策」として定着していったが、「核は持っているが先制攻撃には使用しない」と言う意味だ。
ケネディは不満だったようだが、ユダヤ資金はケネディ当選の資金源だったからそれ以上の追及はしなかったと言う。

 1963年ベングリオンが政権を追われると、核開発プロジェクトのメンバーはすべて地位を追われた。核開発がベングリオンの秘密プロジェクトで外務省や他の省庁の口出しを一切認めていなかったことを、新首相エシュコルが嫌ったからだ。
これからは核プロジェクトを首相官邸の直轄プロジェクトとする

 ケネディはこの首相交代を狙ってディモナ原子力センターの実態をアメリカに報告するように迫った。
ベングリオンは頑固だったがエシュコルは言うことを聞くかもしれない・・・
政府内で報告派の外務省秘密派の軍が激しく対立し、結果的にはペレスの「あいまい政策」を踏襲することになった。エシュコルもタフだった。

 その後イスラエルは1966年に核兵器の製造能力を獲得した。
この翌年の1967年イスラエルは電撃的にエジプトに攻撃をかけ勝利したが(第3次中東戦争)核開発に成功した自信からだろう。
この頃からイスラエルは毎年2~3個程度の原爆を製造し貯蔵できるようになっていたが、実際はとりあえず原爆が出来たといった状況だったようだ(本当に炸裂するか実験をしていないので分からなかった)。

 第3次中東戦争で苦杯をなめたエジプトは周到な準備の末1973年に(イスラエルにまねて)電撃的にイスラエルに襲い掛かった(第4次中東戦争)。
不意を撃たれてイスラエルは初戦は大惨敗だったが、その後押し戻してイーブン状態で停戦に至ったが、イスラエルが初戦といえども大敗北を喫したのはこれが初めてだった

 にがい初戦の敗北からイスラエルは核を確実なものとするため、1979年に南アフリカの協力の下インド洋で核実験を行ったが、アメリカのカーター政権はこの核実験を異常な気象状況が発生したものと言うことで黙認した。
この核実験によって始めてイスラエルは実戦可能な核兵器を得たことになる。

 現在イスラエルの核兵器製造能力は上がり年間3~5発の核兵器を製造していると見られ、地下に200発の核兵器が保管されていると言う。
イスラエルは最初に核を使用しないとアメリカに約束したが、どのような場合に使用するかの基準が存在している(核兵器が有るかないか分からないのに使用条件があるのはおかしいが、このあたりがあいまいになっている)。

① アラブの軍隊がイスラエルの人口密集地帯に侵攻した場合
② 空軍が破壊された場合
③ 生物化学兵器による攻撃にさらされた場合
④ 核による攻撃を受けた場合

 実際第4次中東戦争ではイスラエル空軍はほとんど崩壊の瀬戸際まで追い込まれたが、ここで核兵器を使用しなかったのは実戦配備されていなかったからだ
また1991年のイラク戦争のときはスカッドミサイルによる攻撃にさらされたが、アメリカが核による反撃を許さなかった。

 現在イスラエルは核拡散防止条約の批准をしていないから、条約上は自由に核開発が出来る。
だれもがイスラエルに核があることを知っているが、政治上はあいまいにされている。このあいまい政策はその後北朝鮮イランに踏襲され、核開発をする国家の常套手段となった。
ペレスの追い詰められた苦し紛れの一言がその後の世界史を変えてしまった。

注)私は今回のドキュメンタリーを見て、こうした番組をもっと早くからチェックしていなかったことを悔やんだ。私がブログを記載し始めたのは5年前からだが、さらにその5年前からチェックをして分析を続けていれば世界情勢を確実に把握できたのにと思うと残念でならない。

なおこの記事は昨日の記事の続きです。読んでいない方は以下の記事を読んでください。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-c89a.html
 

 

 

 

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