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(24.3.15) 文学入門 井上靖 天平の甍(いらか)

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  今回の読書会のテーマ本は「天平の甍(いらか)」である。井上靖氏の著名な小説で唐の高僧鑑真和上が、日本に正式な授戒を授けるべく何回もの失敗を省みず渡日してきた話で、何度か映画化されている。
この本を選んだのは私で、私は井上靖氏の小説を高校生から大学生の頃にかけてむさぼるように読んだ。
特に氏の西域物は当時の私の心を強く打った。敦煌楼蘭風濤(ふうとうやそしてこの天平の甍といった小説である。

注)鑑真和上については以下のブログに詳しい
http://homepage1.nifty.com/tosyo/kokuhou19.html

 井上靖氏は京都大学に在籍していたが、京都大学の東洋史科は内藤湖南宮崎市定といったそうそうたる教授陣がいて、中国・西域史のメッカの様な状況だったから、井上靖氏はそこから大きな影響を受けた(井上靖氏自身は哲学科にいた)。
私は氏の小説を読みながら「私も京都大学東洋史科に入って、井上靖のような小説家になりたいものだ」と心底思ったものである。

 
 「天平の甍」で描かれた遣唐使とはなんとも不思議な制度だと思う。日本の側から見れば唐王朝の優れた政治制度や経済制度および仏教を学ぶために派遣した使節団と言う位置づけだが、唐側の受け止め方はまったく異なっている。

 唐から見ると唐帝国の冊封(さくほう)体制に組み込まれた東夷の和国が朝貢に訪れてきたと言う位置づけで、日本は新羅の次ぐらいの順位だったようだ(しばしば新羅と年賀の席で席順を争っている)。
客観的に見たら大和朝廷が唐と対等であるわけがなく、特に白村江の戦い663年)で唐と新羅の連合軍に大和と百済の連合軍が完膚なきまでに叩き潰されてからは、明らかに敗戦国として唐王朝に朝貢している(それまでは対等外交を求めていた)。
このとおりでございます。決して逆らいませんから良しなにお取り扱いください」と言う意味だ。

注)この大和朝廷の立場は第2次世界大戦でアメリカに完全に叩き潰された後の日本とまったく同じだ。現在日本は独立国と称しているが、安全保障をアメリカに頼っていて他国から見たらアメリカの属国と言う位置づけになっている。

 この「天平の甍」の遣唐使は第9次の遣唐使で、733年のことだった。当時国政は聖武天皇が担っていたが、聖武天皇ほど仏教の普及に勤めた天皇はいない。中央には東大寺法華寺を建立し、地方は国分寺国分尼寺を建立させたが、日本国中を仏教寺院だらけにした天皇だ。

 遣唐使そのものは上に述べたように朝貢使だったが、中国皇帝から「遠いから20年に一度でいいよ」と許可をもらっていたので、毎年の年賀に参加しないで済んでいた。実際唐と大和の間の大海原は危険で、海を越えて朝貢するのも命がけだったからだ。
通常船団は4隻で、1隻あたりの乗組員は100人超だから400名から500名の大使節団だった。
当時の日本の人口は約600万人程度だから、現在の人口比にすれば約10000人規模の使節団になる。

 しかもこの使節団4隻のうち1隻から2隻は遭難してしまうのだから恐るべき損失率といえる。10000人が出かけていって5000人が海の藻屑になると言うイメージだ。
この小説の主題は、鑑真和上を日本人留学僧栄叡(ようえい)と普照の熱意で日本に招聘する話だが鑑真の渡航も2回にわたって失敗し、3回目にようやく成功している(計画を入れると6回目にようやく成功した)。

 「そんなにまでして大和に仏教を広めてどうするの」と言うのは現代人の感覚で、当時は仏教と政治はほとんど分離できないほど結びついていたから政治体制を学ぶことと仏教を学ぶことはほぼイコールだった。
ちょうどイランの政治体制のようで国政の担当者と言えども宗教界の意向を無視できないのは、大和朝廷もイランも同じだ。

 日本の留学僧はちょうどアメリカの戦後のフルブライト留学生のような位置づけで、帰国すれば大和朝廷の政治・仏教政策部門で重きをなすのは確実と期待されていた。実際吉備真備や僧玄昉などは期待されたとおりの活躍をしている。

 いっぽうこの小説に登場する普照栄叡ようえい)などは、日本史に名を残すような人ではなかったが、唐から鑑真和上を招聘することだけで自分の歴史的使命を終えた人である(続日本紀にそのように記載がある)。

 井上靖氏はそうした縁の下の力持ち的存在の日本人留学僧をその筆致で生き生きと蘇らせてくれた。
氏の文章は簡潔で映像的なので、誰でも1300年の昔の留学僧が隣にいる様な息使いを感じることができる。

 第9次遣唐使船で渡唐した留学僧は4人で、普照栄叡鑑真和上の渡日にすべての人生をかけ、戒融は大唐帝国の隅々を放浪して行方不明になり、玄朗は中国人の妻を娶って僧籍を離脱して日本を捨てた。
そして第8次遣唐使船で渡唐した業行はひたすら仏典の写経にすべての時間を費やし、その写経本を日本に持ち帰ろうとしたが、本人もまた写経本も南海の藻屑として消えてしまった。

 この小説は時間をかけて丁寧に読むべき小説である。井上靖氏は手を抜かず1300年の昔の留学僧の実態を描いてくれたのだから、読むほうも井上靖氏の努力に報いる必要があるだろう。
そうすれば天平と言う時代を肌で感じることができるようになる稀有な小説だ。


この読書会の主催者、河村義人さんの感想文は以下をクリックしてください
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2012/03/24324-8376.html

なお文学入門の記事は以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html



(別件
昨日おゆみ野クリーンクラブのカンパを依頼しましたが、そっさく応じてくださった方がおり心から感謝いたします。花見までには塗装を終了させておきます。

なお、昨日の依頼文は今月いっぱい下記に継続して掲載いたします。


従来おゆみ野四季の道の清掃関係や塗装関係費は自費で調達してきましたが、生活費がかさみ思うに任せなくなってきております。
おゆみ野在住者で、かつ四季の道を日常的に利用されている方で、四季の道を世界でもっとも美しい道にする活動に賛同される方に、ペンキ代のカンパをお願いいたします。

① カンパは一人3000円(ペンキ1.8L 一缶の値段)をお願いできないでしょうか。年間のペンキは約20缶程度です。

② カンパの件数、金額は毎月1回このブログで報告します。また決算報告は年1回行います。

③ 賛同していただける方は以下の口座に送金いただければ幸いです。なお送金していただいた場合は同時にこのブログのメール機能を使ってその旨連絡いただけると幸いです。

・千葉銀行 鎌取支店(092)
・おゆみ野クリーンクラブ 普通預金口座(3743511)

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