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(24.3.31) BS歴史館 聖徳太子は存在したのか

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 今回のBS歴史館は英雄伝説シリーズの第二回目として「聖徳太子は存在したのか」と言うテーマだった(これは1月に放送されたものの再放送)。
私などは「存在したのは当たり前じゃないか。その証拠に日本の紙幣はしばらく前までは聖徳太子のオンパレードだったじゃないか。日銀が俺たちをだますことはあるまい」と思ったものだ。

 今回のメインゲストは作家の童門 冬二氏と歴史家の北村多加史氏だった。
童門氏の基本的立場は「聖徳太子は集合代名詞であって、われわれが現在知っているような事績は7世紀前後の推古朝官僚群の事績だ」と言うものであり、一方北村氏の基本的立場は「聖徳太子の事績には誇張があるが、聖徳太子が厩戸皇子(うまやどのみこ)「574年から622年」であり、皇子が多くの事績を残したことは間違いな」と言う立場だった。

 私などはかつて歴史を習ったときに、「厩戸皇子」と「聖徳太子」ではあまりに言葉のイメージが違うのに驚いたものだ。
一方は厩(うまや)の前で生まれた皇子であり、一方は聖のごとき徳を備えた皇太子なのだから、「何で厩戸なんてひどい名前を付けたんだ、親の顔が見たいと思ったがこれは誤解だった。
当時は動物名を付けるのは強い男をあらわしており、蘇我馬子入鹿なんて名前のオンパレードだった。

 今回この歴史館では聖徳太子の事績なるものをあげてその一つ一つを検討していた。一般に言われている事績は以下のとおりである。

① 憲法17条の制定
② 冠位12階の制定
③ 仏教の導入
④ 隋に遣隋使を派遣
⑤ 斑鳩の宮の造営

 この中で最も槍玉に上がったのが憲法17条の制定である。この制定が厩戸皇子だと言うことは厩戸皇子が死んでから約100年後にあらわされた日本書紀720年)にしか記載されていない。
日本書紀そのものは国家公認の歴史書で、実際はその前にもいくつかの歴史書が編纂されていたが(日本書紀の編纂者は以前の歴史書を当然見ていた)、残念ながら現在に残っていない。

 歴史家で日本書紀解読の第一人者と言われている森教授によると、巻き22の推古朝の部分はある特定の書き手が書いており、それは漢字の間違いの特徴から分かるのだと言う。
だから「聖徳太子時代の憲法17条そのものの写しでなく、100年後にそのときの文体のセンスで書いたもの」だと言う。
だから憲法17条は制定当初のままではなく、変更が加えられている」と言うのが森教授の立場だった。

 憲法17条とは実に奇妙な制定法だ。現在的な感覚ではとても憲法とはいえない。
童門氏が「これは現在で言えば国家公務員法だといったのでようやく理解できた。

 一条は現代語訳にすると「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ」というものだ。http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm

 これを読むと当時の推古朝の有様が良く分かる。当時は天皇が一応頂点にいたが実際は豪族間の共同体であり、諍いが絶えずほとほと困りきっていたようだ。今の民主党と同じだと言えばイメージがわくだろう。
お前ら、少しは協調したらどうか」と意味だ。

 今回のBS歴史館を見て一番印象的だったのは「歴史書は勝者の歴史書であり、日本書紀は大化の改新で勝利した中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足の勝利宣言だ」と言う指摘だ。
敗者は豪族の雄蘇我氏であり、勝者は天皇家と後の藤原氏である。

 日本書紀では蘇我氏は散々な書き方をされており、特に蘇我氏甘樫丘(あまかしのおかに朝廷を凌駕する宮殿を造り天皇家を滅ぼそうとしたと記載してあるが、発掘調査では平屋建ての建物が数棟あるだけだった

 だが天皇家としたら滅ぼした蘇我氏が極悪人でないと困るのでそのように記述したのだという。
しかしそうなると推古朝の事績が実際は厩戸皇子蘇我馬子共同作業であったことが問題になる。
極悪人だが立派な政治家だった」では具合が悪い(日本書紀以前の歴史書には共同作業と書かれていたはずだ)。
そこで日本書紀ではすべての事績を厩戸皇子のものとし蘇我氏をはずした。しかも都合のいいことに厩戸皇子の子の山背大兄王は蘇我氏と仲たがいしてその後滅ぼされたので、どのように高く評価しても現政権には支障がない。
すべては厩戸皇子の事績としよう。そして聖徳太子としてあがめるようにするのが人身掌握術だと言うことになった。

 これを歴史家の北村氏は「許される嘘」と表現していた。

なお日本史に関する記事は以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html



  

 





 

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