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(24.1.5) 忠臣蔵異聞 吉良上野介殿は歴史的冤罪

 


  正月になると恒例のように忠臣蔵がドラマ化される。かつては東映映画の看板番組だったが、今年はテレビの大型企画として民法チャンネルで2日、数時間にわたって放送されていた。

 私が小さい頃見た東映映画では吉良上野介は東映の悪役俳優が演じていたが、その人が演じるというだけで吉良上野介が悪者であったことがわかったほどである。

注)当時は悪役俳優は本当に悪い人だと思っていた。

 しかしこれはひどい誤りで、歴史上吉良上野介ほど誤解された人はなく、はっきりいえば冤罪で殺された人だ。
私がこのことを知ったのは井沢元彦氏の「逆説の日本史」14巻「文治政治と忠臣蔵の謎」を読んだからで、それまでは普通の日本人として吉良上野介を嫌っていた。

 なぜ吉良が罪もないのに浅野内匠頭に襲われたかは「歴史的謎」であって、通常言われているような吉良の浅野いじめはなかった井沢氏は論証している。

 それはいじめの内容を吟味すればわかるのだが、当日の天皇の勅旨接待の最高責任者だった吉良上野介が、接待をぶち壊しにして将軍の激怒を買うようなことはありえないというのが井沢氏の説である。
通常吉良は以下のようないじめを浅野にしたと言われている。

① 玄関を金屏風で飾るべきところ墨絵でよいとした。
② 料理は普段の料理でよいのを精進料理と指定した。
③ 増上寺に迎えるにあたって畳替えが必要だがその必要はないとした。
④ 服装は大紋だが長裃(ながかみしも)でよいとした。
⑤ 指図書を内匠頭にわたさなかった。


 上記がいじめの内容だが、こんなことを式典の総責任者が実際の担当者にするかというのが井沢氏の疑問である。
これでは式典をわざわざぶち壊すようなもので、総責任者の吉良の首が飛んでしまう。
浅野内匠頭は接待係の担当者であっても、あくまで式典の責任は吉良にあり、それが高家筆頭という役割だからだ。

 いじめがなかったという傍証として、浅野家の勅旨接待は2回目で内匠頭が17歳のときに行っていることをあげている
だから式典の内容については熟知していたはずで、本人が忘れていたとしても部下が必ず書き留めていたはずだ(2回目の接待係は15年後)。

 井沢氏は浅野家は一度接待係をした経験から吉良上野介に相応の指導料を払わず、賄賂を値切ったのではないかと推定している。
私は接待について知っているからこの程度の指導料でいいでしょう

注)なお誤解のないように言うと当時は賄賂という後ろめたい感覚はなく、指導料といういたって普通の付け届けの感覚だった。

 
吉良は4200石取りの小身でこの指導料で食っている身だから「カチン」ときたのはあったとしても、だからといって式典をぶち壊すようなことはできない。
細かく指導しなかったとしても、間違ったことを教えるようなことは立場上できない。

 だから吉良が浅野に好意を持たなかったとしても別に意地悪をしていたわけでもないのに、殿中で突然浅野から切りつけられた
しかもその場にいた梶川与惣兵衛(劇では「とめてくださるな梶川殿、武士のなさけでござる」となっているあの梶川であるの記録では急に背後から襲いかかったとなっている。
ほとんど通り魔的犯行で、吉良はあわてて逃げたが浅野は4タチも吉良に浴びせながらの殺害することができなかった。

 これには当時の人々があきれ返ったというが、小刀で相手を殺害する場合は切りつけてはだめで刺し殺さなくてはならない。これは武士の常識だったから浅野内匠頭は武士としての基本的ノウハウがなかったことになる。

 結局浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけたのは、一方的な被害者意識にが嵩じて、通り魔的に吉良上野介に切りかかったのでほとんど弁明のしようもない。

注)これによく似た犯行は秋葉原での無差別殺傷事件があるがそういった類の事件だと井沢氏は見ている。現在だったら警察がすぐに精神鑑定を依頼する事件だとの認識だ。

 当日切腹、領地没収になったがこれはいたし方ないことで、式典を無茶苦茶にした責任は重い。
この浅野内匠頭の犯行原因を特定することは誰もできなかったようで、のちに大石内蔵助が吉良低に討ち入りをしたときの趣意書が残っているが、そこには「当座しのびがたきの儀、ござ候か」(きっと我慢できなかったことがあったのだろうが、詳細はわからない)と書かれている。

 大石内蔵助でさえ、理由がわからなかったほどの突発的な犯行というのが実態で、ほとんど通り魔的な犯行と言ってよい。
可哀想なのは吉良上野介だ。一方的に切り付けられそして浅野内匠頭が切腹になったのは幕府の命令なのに、今度は大石内蔵助ら四十七士によってなますのように切られてしまった。

 これは通り魔的犯行にあった被害者が、犯人のボスが死刑になったのをうらんだ部下に再び襲われ殺害された事件である。
今だったら四十七士の犯行は「逆恨みによる凶悪犯罪」としてマスコミに取り上げられるだろう。


 さらに言うと、なぜ討ち入りが成功したかの理由は私は吉良上野介の石高が4200石で、まともな家来がいなかったことと、敵討ちがあるとは思っていなかったのだと推定している。
いわばほぼ無防備の老人を47人が寄ってたかって殺したというのが実態で、襲った側にほとんど損害がなかったのが何よりの証拠だ。

 そんなわけで吉良上野介が余りに可哀想なので、恒例となった忠臣蔵番組を私は見ないことにしている。

なお日本史についての記事は以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html

 

 

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コメント

実におもしろい・・・

投稿: 燈明日記 | 2012年1月 6日 (金) 11時08分

浅野内匠頭は少し知能が低かったという説があります。
確かにそのように考えると辻つまが合うと思います。式典の責任者である吉良上野介にしてみれば、無能な内匠頭には何もしないで、そこにじっとおとなしく居てくれれば良いと考えたのかもしれません。
たとえば、認知症の老人など子供以下の知能ではないかと思っても、自分が馬鹿にされているとか、無能扱いされているといった周囲の態度には非常に敏感に反応します。そういうことは認知症に陥っても感じることができるのです。
内匠頭の場合、役に立たない人なので仕方なく無視されていたのではないかと思います。しかし、この周囲の態度に彼は敏感に反応したという事ではないかと思いますけどね。

投稿: 縄文人 | 2012年1月 7日 (土) 15時02分

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