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(24.1.11) 文学入門 プレーンソング 保坂和志

 


 なんとも不思議な本を読書会で読まされてしまった。保坂和志氏の「プレ-ンソング」と言う。
私は普段文学書をほとんど読まないから当然保坂和志氏も、この「プレーンソング」と言う小説も知らない。
プレ-ンソングとはある種の宗教歌のことらしく単純なメロディーが続く歌らしい。

 今回この本を指定したのはいつも風変わりな本を読ませてくれるOさんで、本来ならば一生読むことのないタイプの本だ。
この本がとても風変わりなのはドラマ性がまったくないことだ。
主人公の「ぼく」はサラリーマンのようだがいったい何をしているのかわからない。
10時ごろ出勤しても平気な会社と言うことになっているが、「ぼく」の社会的生活は一切語られない。

 ただ婚約者と結婚するために2DKのアパートを借りたが婚約が解消になってそのまま住んでいると言うだけだ。
そこに自主映画を製作しているわけのわからない知り合いがやってきては、「ぼく」の家に居候をする。

 アキラと言う青年とよう子と言う女性が転がり込み、二人は一応恋人同士なのだが、誰が「ぼく」の家にいようが別段恋の鞘当があるわけではなく、よう子は近所にいる野良猫にえさをやることだけに興味を示している。
食費やその他の費用はすべて「ぼく」が持っているのだが、「ぼく」はだからと言って生活に困ることもない。

 会社の先輩で石上という男性と「ぼく」は競馬にしょっちゅう行くのだが、それがこの小説の中で重要な位置づけにあるわけでない。
猫の話と競馬の話がすべてで物語性はまったくなく、ただひたすら猫の性格と石上式競馬必勝法が語られているが、それだけのことだ。

 考えてしまった。これが小説と言えるのだろうか。この「プレーンソング」は1990年に雑誌群像に掲載(書かれたのは1986年ごろ)されたのだが、保坂氏の処女作だと言う。
猫と競馬の話が延々と続くので読むのにはかなり我慢強さがいる。
また文体は冗長で4から5行は平気で続くから、何か取り留めのない話を聞いている感じになる。

 私の正直な感想はやはり小説も時代性を色濃く反映するものだと言うことだ。
この1990年前後は日本のバブルが最盛期にあって、経済発展に人々が舞い上がっていた時代だった。
株式投資と不動産投資がすべてで、「お客さん、今買わないと明日はもっと値上がりしますよ」と不動産屋のアンチャンがこの世を取り仕切っているほど鼻息が荒かった時期だ。

 そうした流れに抗してこの小説では、まったく意味もなく経済成長とは無縁に暮らしている「ぼく」とその友人たちを登場させている。
「ぼく」はさして金はないが、誰が何人家に転がり込もうが生活に困らないのはバブル時代の賜物だ。
現在であったらたちどころに困窮してしまって、シリアスな話になるがどのように生きても生きていけた時代だった。

 保坂氏は経済成長とは無縁の人々を登場させて、バブル時代の裏側を見せてくれたが、その裏側とは何の意味もない人生で、猫にえさをやっているだけの生活に過ぎない。
この本の読後感はカミュの小説異邦人に似ていた。
人生には何の意味もなく、自らの行為にも意味がない」と言ったあの異邦人である。

 小説も時代性をもつものだと思う。
今だったら「1%が99%の富を独占している」というような小説になるが、人生の裏側でただ意味なく生きており、それでも生きることができたとはなんとも1990年前後だとしみじみ思ってしまった。

またこの読書会の主催者河村義人さんの書評は以下のとおりですので参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/

なお文学入門の記事は以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

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