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(23.10.25) 週間エコノミストの大転換 もはや貿易立国ではない

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 ようやく週間エコノミストも現実を見つめだしたのかと感慨深かった。
11月1日の特大号は「円高を生かせ もはや貿易立国ではない」と言うタイトルで、対外投資収益が日本再生の鍵になることを特集していた。

 日本では今でもマスコミのワンパターン円高脅威論で、たとえば「1円円高が進むとトヨタの収益は300億円低下する」等の説明をするのが常套手段になっている。
しかしこれは一方的な説明で輸出産業にとってはそうだが、一方輸入産業にとっては1円の円高で300億円の収益が上がるのだから、輸出だけを取り上げるのは片手落ちというものだ。

 ただマスコミが輸出産業に注目するのにも理由があって、リーマンショクまでは毎年10兆円規模の黒字を計上していたし、リーマンショック後の09年、10年5兆円規模の黒字だった。
貿易収支が黒字である間は確かに円高の影響は大きい。
しかし日本が黒字だったのはここまでで、11年に入り東日本大震災を契機にサプライチェーンが切断されて日本の輸出は大幅に減少し、上期の貿易赤字は約2兆円弱になっている。
だから計算上11年度は日本は円高のメリットを享受していることになる。

 この間日本輸出産業の多くが海外に生産拠点を移してしまい、たとえば自動車産業などは東洋のデトロイトとよばれるタイに生産を集中していた。
それがどのくらいすさまじい勢いで日本を脱出していたかは今回のタイの水害で明らかになった。
このタイの水害で7つの工業団地が冠水したが、そこに進出している日本の大企業は450社あまりに登り、自動車産業8社がここタイを東南アジアの拠点にしていたのには目を見張った。

 日本からはとうの昔に自動車産業が逃げ出していたのだ。トヨタのように「300万台を日本で生産することを死守する」企業は奇特な企業で、日本は輸出産業の生産拠点としては見捨てられている。

注)とどまることのない円高の更新、東日本大震災によるサプライチェーンの崩壊、相対的に高い法人税、TPP交渉に見られる農業重視の姿勢等、日本は輸出産業にとっては最悪の環境になっている

 問題は輸出立国路線が崩壊してしまった後の日本の生き方だが、それが今回週間エコノミストが特集した投資立国の道である。
これは当たり前のことで19世紀のイギリスがちょうどこの立場にあった。
当時の主要産業だった鉄鋼業や造船業等でドイツに追い上げられ、イギリスの残された道はそれまでかせいで来た収益を植民地に投資してその利息や配当金で生活することだった。
イギリスにとって投資こそが命だったが、そのためにシティを中心に金融業が隆盛を誇ったものだ。
成長した産業国家で貿易収支が赤字になれば所得収支で生きるよりほかに手段はない。

注)新たな産業を興すという手段はあるが、日本では新産業はまったく育っていない。
アメリカがなお覇権国家であるのはGoogle、facebook、Twitter、AppleのiPhoneといった新産業を興す力があり、この新産業と金融業で世界をリードしている。


 いわば株式投資投資信託金の購入からM&Aや直接投資をした企業からの配当金等で生きていくわけで、これは退職した老人が年金で暮らすのとなんら変わりがない
この資産運用をサポートするのが広い意味での金融機関だが、日本の現状はこの金融機関のノウハウが極端に低く、まともな収益を稼げないことにある。

 物つくりは実に上手だが稼いだ資金の運用となるとほとんど素人だ。
その理由は日本の金融機関が国債消化機関となっていて、自らがリスクをとって投資を行うことをほとんどしてこなかったからだ。
特に郵貯簡保は典型的なそれで、これで投資立国を目指すなどとは夢のまた夢だ。

 投資の仲介は広い意味の金融機関の仕事であるが、あまりに日本の金融機関のレベルが低いために現状ではシンガポールやアメリカの金融機関やヘッジファンドに席巻されている。
日本の金融機関は国債消化と融資以外のノウハウを持っていないといって言っていい。

 私はいつも残念に思っているのだが、日本では物つくりは高く評価されているが、金融業はベニスの商人のシャイロットのような胡散臭い商売と思われており、バブルの温床のように思われている。
しかし、輸出立国の時代が終わり、投資立国の時代になれば金融技術がなければ収益を上げることができない

 時代が変わり日本のありようが変わったのだから、物作り的な発想から脱却しなければ日本は生きていけないといえる。


本件と関連するブログは以下の通り
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-4a0a.html

 

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評論 日本の政治・経済」カテゴリの記事

コメント

>輸出立国の時代が終わり、投資立国の時代になれば金融技術がなければ収益を上げることができない。

いつもおもしろい議論を有り難うございます。管理人さんの議論は筋の通った話だと思います。しかし、筋が通っているということとその筋が正しいというのは別のことです。管理人さんの話は、結局モノを輸出できなくなったから、次はカネを「輸出」しないといけないという議論と同じです。これは日本人は、何かを輸出しなければ食べていけないという発想であり、輸出立国論と同じなのです。日本が内需中心の経済国であるという言葉の意味は、モノであろうがマネーであろうが、輸出しなくでも成り立つ経済であるという意味です。これを最初に言ったのは松下幸之助氏ではないかと思います。つまり日本ははるか昔から内需中心の国であるということです。何も今になって貿易立国でなくなった訳ではありません。そのように考えると、海外で収益をあげなければ、日本は成り立たないというのはおかしな議論と言う気がします。では江戸時代は貿易がなかったから、貧乏であったし、明治維新後には貿易が再開されたから、豊かになった、という議論もあります。すなわち、貿易立国論と殖産興業論は同床であり、「追いつき追い越せ論」がその根底にあるのではないでしょうか。だからこそ、輸出論者は韓国や中国と同じ土俵で戦おうとし、また戦わなければならないと考えるのではないか、と考えます。

投稿: 縄文人 | 2011年10月25日 (火) 07時59分

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