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(23.10.26) 文学入門 岡 真史 ぼくは12歳

129

 今回の読書会のテーマ本は岡真史さんという少年の「ぼくは12歳」という詩集である。
この人の名前はほとんどの人が知らないはずだ。
それは当然で若くして詩才を発揮したバイロンハイネのような天才詩人ではなく、ごくごくどこにでもいる少年の遺書としての詩集だからである。

 この本を推奨したのは読書会の中でもことのほか詩に対して鋭い感受性をもつTさんだが、この12歳で自ら命を絶った少年の詩集を今回のテーマ本にした。
読んでみると分かるが、これは詩集と言うよりも小学校6年から中学1年生になって自ら命を絶ったときまでの詩の形式をかりた日誌といったほうがいい。

 ここではこの時期の少年が普通に感じるような異性に対するあこがれや、これから遭遇するであろう人生に対する少年らしい不安感のようなものを歌い上げている。
だからと言って深い絶望感などと言うものはなく、この詩集から「なぜ少年が自殺したか」の理由を見つけることは難しい。
誰にもある少年から青年になるときの通過儀礼のような心の高鳴りを感じるだけである。

 この詩集を編んだのはこの少年が自殺した後この詩集を発見し、「なぜ真史が自殺しなければならなかったか」を捜し求めた両親の已むに已まれない気持ちの所産である。
本来ならば本にして一般の人に見せるような物ではなく、秘められた秘密として一部の人の心に残される詩集だ。

 この本は真史さんの129編の詩の他に、作文や感想文も収録されており、その後に母親(岡百合子さん、作家)の「なぜ」という悲痛な文章が記載されてある。
さらに父親のかなり長いあとがきがあるが、父親は高史明氏という在日朝鮮人の作家である。

 私はこの少年の詩集を読むために父親の高史明氏の「生きることの意味 ある少年のおいたち」という本を読んでみたが、戦時下に生まれ敗戦を迎えるまでの高史明氏の悲痛なまでの貧しい生活と、それでも人間として生きようとした父親と本人と兄との生き様に息を飲んだ。

 今では在日朝鮮人韓国人)の生活は向上し、芸能界やスポーツ界や実業界でも多くの人々が活躍しているので、私などは在日の人々をとても才能豊かな人だと思っている。
かつてはひどい差別があったということも信じられないくらいだが、私の小さい頃は暴力団の団員に多くの在日朝鮮人韓国人)がいた。

 この少年が投身自殺をしたのは1975年のことだから、私がサラリーマンになって5年目の頃でその頃は高度成長期の真っ盛だった。
だから父親の高史明氏が経験したような極貧の生活とは無縁の生存権そのものが脅かされるような時代ではなかったが、そのためだろうか「獏とした不安」にかられてこの少年は自殺を図ったのだろう。

 この種の本の評論を書くのは難しい。それはこの詩集が本質的に遺書あるいは遺稿)だからで、遺書の詩のレベルを云々しても始まらないからだ。
さらに両親の心の痛みは悲痛を通り越しているので、それに対する批評も書くことがはばかられる。

 Tさんが選択するテーマ本にはいつものように悪戦苦闘させられるが、そうでもしなければ読むことのなかった本と言うことだけは確かだ。

なお読書会の主催者河村義人さんの、著者にささげる詩が以下にありますので是非参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2011/10/231030-7810.html


文学関連の記事はカテゴリー「文学入門」にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

(別件)「おゆみ野四季の道」「おゆみ野四季の道 その2」のカウンター10000を「おゆみ野四季の道 新」に加えました。

 

 

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