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(23.10.13) 激走モンブラン 2011 ウルトラトレイル・デュ・モンブラン

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 2年まえにNHKのワンダー・ワンダーで放送されて始めて知ったウルトラトレイル・デュ・モンブランの2011年夏の競技を再びNHKが放映してくれた。
このトレイルランはモンブラン周辺の山岳地帯を駆け抜けるレースで総延長166km、越えなくてはならない2000m以上の峠が7つ、制限時間は46時間と言う世界で最も厳しくそして最も景色の美しいレースである。

 ウルトラトレイルと言う競技は最近注目を浴びている競技で、一般のマラソンが平坦な道を走るのに対し、山の中を駆け巡り足回りの靴も服装も特別なものを使用する。
日本でも奥多摩で開催されている日本山岳耐久レース73kmおんたけウルトラトレイル100kmと言うようなレースがあるが、いずれも大きな峠を2回程度越えれば済むので、このモンブランのように7回も峠を越すことはない。
モンブランのトレイルは累積標高差9500m以上(富士山を2.5回登るのに等しいと言うのだから気の遠くなるような山岳レースだ。

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(鏑木選手の激走

 この競技には日本のウルトラマラソンのエース、鏑木(かぶらぎ)毅選が毎年エントリーをしている。鏑木選手は常に上位にいるのだが、2009年の大会で3位まで順位を上げてきており、万全の準備をして望んだ昨年2010年の大会はがけ崩れが発生したため31km地点で競技そのものが中止になった。
鏑木選手は中止の知らせを聞いてあまりのショックに泣き出していたが、1年間そのためにすべての人生をかけていたのだから泣くのも当然だ。
したがって2011年の大会は2年ぶりの大会であり42歳になった鏑木選手としたら、最後の優勝チャンスと思われる大会だった。

注)年を取ると身体にトラブルが発生することが多く、鏑木選手は2年前から左足に故障を持っている。

 この大会で過去2連覇しているのはスペインのキリアン・ジョルネ選手23歳)で今回もキリアン選手が優勝候補筆頭だった。
キリアン選手は若さを武器に最初から飛び出していって他を寄せ付けず優勝してきたから、今回もキリアン選手の独走と鏑木選手は予測し、その後を追うことにしていたがこれが思わぬ誤算になった。

注)鏑木選手の走りは最初はゆっくり入って後半追い上げるパターンになっている。

 この大会が世界のトレイルランの最高峰と認められるようになり、それまでは主としてヨーロッパと日本の選手がエントリーしていたが、今回はアメリカやその他の国の強豪選手がすべて集まったような大会になっていた。
ローカルな大会が世界大会に変身していたのだ

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(真ん中がキリアン選手)

 そのため選手層が厚くなってレベルが上がり、キリアン選手を含めた6選手がトップ集団を形成して80km地点頃まで併走していた。
2009年の鏑木選手が3位になったときは、この地点で鏑木選手は4位の位置にあったが、今回は14位とはるかに出遅れていた。
2009年と鏑木選手の通過時間はほとんど変わらないのに順位は大幅に下なのだ。

6選手が併走していると聞いて耳を疑った。ここまでレベルが上がったのか・・・・・
そうつぶやいていたが映像で見ていても鏑木選手の心の動揺が伝わってきた。
鏑木選手は2009年よりも時間を短縮しようとしてあせりだし、そのため事前に頭に描いていた優勝イメージが崩れていった様だ。
途中で格下と思われるドイツ選手と無理なデッドヒートをしていたが明らかにあせりの結果だ。
こうして疲労を重ねついにハンガー・ノックという低血糖状態に陥ってしまった。

注)抜かせる選手は無理に抜くことをせず、相手が落ちてきたところを捕らえるのが鉄則。まだ相手が元気なときに抜かそうとするとデッドヒートになって体力を消耗する。

 99km地点のグラン・ユル・フェルという2537mの最もきつい峠では鏑木選手は完全に身体が動かなくなっていた。
足が踏み込めない・・・・・山を走るための筋肉が失われたみたいだ・・・・腰から下が耐え難いほど痛い・・・・・・・・・・」ハンガー・ノックに陥ると身体が動かなくなる。

この場を逃れるための何か適切な理由はないだろうか・・・・いっそがけ下に転落して怪我をすればレースをやめられるのではないか・・・・」こうした悪魔のささやきが脳裏を離れなかったとレース後述懐していた。

 順位はなかなか上がらず身体も動かなかったがレースを諦めなかったのは「自分は鏑木たれ」と言う言葉だったと言う。
日本のエースで優勝候補の一角にいるものが無様なレースができないという矜持が鏑木選手を支えていたようだ。

注)私もレベルは異なるがトランスエゾ1100kmに出ていたとき、後半になって身体が動かなくなってくると前から来る自動車に飛び込みたい衝動に何回も襲われた。
死んでしまえばこんなきついレースはしないで済む」と思ったものだ。

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キリアン選手のゴール

 鏑木選手の苦闘とは反対に首位のキリアン選手は見ていて快調そのものだった。その後先頭集団は3人になり、しかもスペインの同じクラブに所属して練習しているチームメートと言うから驚かされる。
3人は他の選手より圧倒的に軽装で、あたかも100km走をしているような軽々とした足取りで山岳地帯を走っていた。
しかも他の選手が必ずもっているストックも持たず、坂道の登りは手で足の膝を押すようにしてストックの代わりをしていたが、これは相当訓練された走り方だった。
まさにツール・ド・フランスの自転車競技のようにエースのキリアン選手を優勝させるために他の二人の選手がサポートしているように見えた。

注)山岳レースでは荷物を最小にした方が絶対に有利。寒さ対策の防風衣もキリアン選手は安手のビニールのようなもので間に合わせていたし、下は短パンで荷物はほとんど持っていなかった。

 キリアン選手はスキーの選手でもあるそうだが、下りのスピードは圧倒的であたかもスキーの滑降を見るような思いがした。
下りでは自転車と同じでブレーキをかけなければ重力にしたがって落ちていく。しかし普通の選手はスピードが上がりすぎると恐怖感から足でブレーキをかけるのだが、キリアン選手はカモシカのように駆け下りていた。
ああ、これじゃ他の選手がどんなに努力しても勝てないな」心底そう思わせる走りだった。

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鏑木選手のゴール)

 今回のキリアン選手の優勝タイムは20時間36分43秒で、コースが途中で変更になり170kmになったのに関わらず前回より1時間も短縮されていた。明らかにチームで走った成果だ。
一方鏑木選手は大幅に失速して23時間41分4秒で前回より1時間遅れ7位だった。

 今回のレースを見て、トレイルランが高速レースに変わり、鏑木選手が得意とした後半追い上げ方のレースではとても優勝圏内に入れないことが分かった。
フルマラソンの高速レースと同じで最初からトップ集団についていって、最後に残ったのが優勝者になるあのパターンがこの山岳トレイルランにもはっきりと現れていた。

 鏑木選手がこのようなきついレースでも諦めず7位に入ったのはとても立派なことだと思うが、一方でレースのありようが変わってしまったことも事実だ。
今後日本選手でこうした高速レースに対応できる選手が現れるだろうか。
それとも男子マラソンのようにとてもケニヤ勢にかなわず6位入賞できたら喜ぶような状況になるのだろうか。

注)なお私も当初この2011年のウルトラトレイル・デュ・モンブランに出たいと思ったが、出場資格が厳しく国内のいくつかのレースに出て5ポイントの得点がないと出場をうけつけてもらえなかった。
そのためおんたけウルトラトレイル(ポイント3)に出て、さらに日本山岳レース(ポイント2)にでようとしたが、すでに応募が締め切られていたため、ポイントが足らなくなって出場を諦めた。


なお2009年のモンブランのトレイルランの記事は以下の通り
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/21116-0939.html

 

  

 

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