« (23.9.2) ためしてガッテン もみ出し&マッサージ ホントの実力大検証 | トップページ | (23.9.4) NHKワールド・ウェーブ 世界の高速鉄道計画 新幹線が日本を救う »

(23.9.3) NHK世界のドキュメンタリー 石油支配 OPEC 50年の闘い

23823_020  

 以前録画をしていた「石油支配 OPEC 50年の闘い」と言うドキュメンタリー番組を見直している。この番組は2010年に放映され、さらに今年の7月に再放送されたものだ。
この番組を見て1973年世界史の分水嶺であったことをしみじみと感じた。
それは今では第一次石油ショックと呼ばれているが、石油とその価格を誰が支配するかの闘争史だった。

 私が今とても残念に思うのは当時ブログと言うようなシステムが存在していたら、この世界史の分水嶺を私がどのように感じ見ていたかの記録を残せたはずなのにと言う気持ちだ。
1973年は私が社会人になって3年目のことだが、当時は下っ端の金融機関の職員として預金の勧誘を行っていた頃だ。
熱意と体力だけが勝負と言うような仕事の世界にいたのだから、この世界史の分水嶺の意味を知る由もなかったし、またたとえ知ったとしてもブログのような個人的見解を世の中に公表する手段はなかったが、それにしても残念だ。

 今回このドキュメンタリーを見て当時の石油ショックを思い出した。それはこの年にはじめてOPECがメジャーから価格決定権を取り上げ、一方的に石油価格を値上げを実施した年だった
それまで1バーレル2~3ドルだった原油価格を10ドル~12ドルにおよそ4倍の価格アップを図ったあの時のことである。

注)それまでは反対に石油メジャーが一方的に価格を決定していた。産油国は不満だったが、「値上げの前には事前通告をしていただきたい」と言う申し入れをするのがやっとの状況だった。

 この結果世界中がパニックに陥り、日本ではトイレットペーパーがなくなると主婦がスーパーに押し寄せたし、物価が狂乱物価といってよいような上昇をした。
今では原油価格が100ドル前後で推移しているのだから、10~12ドル程度の価格はとても上昇と言えるような水準ではないが、当時世界中がパニックに陥ったのはそれまで原油価格は傾向的に低下していたからだ。

注)なおこの年を境に10%以上だった日本の高度成長が終わり、安定成長と言われる5%程度の時代に入っている。この石油ショックが日本の時代にかげりを出させた最初の事件だった。

23823_022  

 この価格低下に不満を持っていたリビア、イラクと言った石油産出国が武力を背景に石油採掘事業の国有化を進め、さらにOPECと言う生産カルテルを結成して石油価格を支配していたメジャーに対抗した。

注)OPECそのものは1960年に設立していたが、本当の意味でOPECが力を発揮したのは石油採掘事業の国有化を推し進めた後の1973年のことである。この年第4次中東戦争(エジプトとイスラエルの戦争)が勃発し、OPECはエジプトを支援するため石油価格のアップとアメリカや西欧に対する禁輸措置を取った。

 なおリビヤやイラクが石油事業の国有化をできたのはソ連の支援を得ていたからで、メジャーは国有化の背後にソ連がいることで泣く泣く採掘権を放棄した。


原油価格は誰が決めるのか。それはOPECだ
1973年以降サウジアラビアのヤマニ石油相の一挙手一動が新聞の紙面に踊った。
そして当時言われていたことはOPECには強硬派穏健派があり、強硬派の筆頭はイランで穏健派の筆頭がサウジアラビアと言われていた。

 イランは常に石油価格の大幅上昇を主張し、一方サウジアラビアのヤマニ石油相は段階的な値上げを主張していた。
なぜサウジアラビアが大幅な価格上昇に反対したかの理由は当時私には分からず、ヤマニ氏が先進国の味方のように見えたが、実際はヤマニ氏は先を見ていた。

せっかくメジャーから石油採掘権を取り上げ、価格決定権を獲得したのに原油価格が上昇してしまうとメジャーが黒海やアラスカやメキシコでコスト高の原油採掘を可能にしてしまう。そうなるとOPECの価格支配権が失われてしまうではないか
ヤマニ氏はOPECの力を維持するために価格上昇に反対したがイランをはじめ他国は聞く耳を持たなかった。
うるさい、そんなことよりも今石油代金がほしいんだ

 特にイランは石油価格のアップを声高に叫んだが、これはパーレビ国王の戦略だったのだと言う。パーレビ国王はアメリカの支援でソ連よりの左派政権を倒し、一時亡命していた外国から再び国王に返り咲いたのだが、それは1953年のことである。
その後軍備拡張に乗り出し、特に友好国のアメリカから大量の軍用機や武器を輸入していた。
アメリカも中東の警察官の役割をイランに期待し大量の武器をイランに輸出していたが、その代金決済は石油代金だった。

 今でこそアメリカとサウジアラビアの関係は蜜月状態だが、当時アメリカはイランと蜜月状態で一方サウジアラビアとは対立していた。
OPECが力を持っていた1973年以降約10年間のことである。

注)イランのパーレビ国王は1979年のイラン革命で再び王位を奪われ、ホメイニ氏が帰国して国政を担当するとアメリカとの敵対政策をとるようになった。イランから追い出されたアメリカはその後急速にサウジアラビアに接近した。

23823_025  

 1979年
から1980年第2次オイルショックと呼ばれている。1979年にイラン革命が勃発し、さらに1980年イラン・イラク戦争が勃発して10ドル程度だった原油価格が40ドル前後に4倍に上昇したからである。
そしてこの1バーレル40ドルと言う原油価格は同時にOPECの価格支配力の終焉を意味していた。

 なぜなら中東から追い出された石油メジャーはその後黒海やアラスカ、メキシコ等で盛んに石油採掘事業を展開していたが、コスト面でどうしても経営に載せることができないでいた。
しかし第二次石油ショックで原油価格が40ドルに跳ね上がると一気に中東以外の場所での石油採掘が採算可能ベースとなり、急激に産出量が増加し始めた。

注)73年から81年までの生産量の推移を見ると、OPECのシェアが51%から39%に低下し、一方非OPECのシェアが45%から61%に上昇している。

 ヤマニ氏の予測が的中したのは1983年のことで、この年メジャーは黒海原油の価格を29ドル55セントとOPECの公示価格30ドル90セントより安い価格を提示してOPECの価格決定権を奪い返した
当時のOPECの動揺は非常なもので、何日間も討論してやっと出した価格は28ドル78セントというOPEC創設以来始めての値下げ価格になった。
結局OPECが原油価格を支配できたのは1973年から1983年までのほぼ10年間だったが、その後もOPECは相応の価格決定権があるものと世界からは恐れられていた。

 ヤマニ石油相はいう。「だからいったじゃないか。OPECが力を持ち続けるためにはメジャーが石油開発をしても採算割れになる価格を維持するのがOPECが20世紀を通じて石油を支配するために必要だったのだ

 さらにこの年ニューヨーク商品取引所石油先物価格の取引が始まった。ここで扱われる原油はアメリカ中西部で産出されるWTIと言う種類の原油で、世界の総生産量のわずか0.6%のシェアしかないローカルな原油だ。

 しかしその後この原油価格が世界の原油価格の指標になったのには訳がある。
OPECが価格決定権をメジャーに再び奪われたものの、メジャーも継続して価格を決定するような力はなく、結局価格を市場任せにせざるえなかったことに有る。

注)石油先物価格の市場を育てたのはレーガン政権である。当時アメリカは不況のどん底にあり新たな産業の育成が必要だった。そのため石油価格を政府が決めていた規制を取り払い、自由に石油価格を決めさせる自由化措置を取った。
市場の取引量は飛躍的に増大し、世界の産出量に匹敵する金額の取引が行われるようになったが、実際のWTIのシェアはたった0.6%に過ぎない。
しかしこの取引量の多さが世界の石油価格の指標になり、アメリカは石油先物市場と言う新たな産業の育成に成功した。


23823_026  

 1980年代から2000年ごろまではこのWTIの石油先物システムがよく機能して、原油価格はほぼ20ドル前後で長期安定し、その間世界経済も順調に拡大した。
この原油価格安定の時代を崩壊させたのは日本である。
日本は1990年前後のバブル崩壊以降超低金利政策をとり続け、その間低利の資金を世界中にばら撒いた。

 この資金を使って世界の資源を買いまくったのがヘッジファンドで、特に中国が石油資源の確保に血眼になっていたため、資金を原油に集中的に投資した。
あのリーマン・ショック前の1バーレル150ドル前後の原油価格の時代である。

 今は原油価格は市場参加者によって石油先物価格として決定されている。生産者も消費者もこの市場の支配から逃れることはできない。
リーマン・ショック後世界中にアメリカとEU と日本の低金利資金がばら撒かれているため、日本一国が資金をばら撒いていた時代よりも市場の支配力は強くなっている

 OPECの時代は1983年には終わっていたが、その後も戦争や経済危機が発生するたびにOPECがどの程度石油を供給してくれるかは話題になった。
価格決定権はなくてもサウジアラビアを中心に供給力は維持していたからだ。

 今回のドキュメンタリーを見直して、かつて私が金融機関の職員として過ごした時代を思い出している。
当時は何が起こっているのかも分からず、OPECの存在を恐れを持ってみていたし、石油先物価格の市場がどのような意味を持つのか分からなかった。
もし私が当時からブログを書いていたら、内容はともかく私がどのように時代を見ていたか検証できるのに残念でたまらない。

 今65歳になり、神様のお迎えが近い年齢になってこうした世界経済の推移を追っているが、これを数十年前から行っていたら私の世界経済を見る目はもっと養われていたはずなのにと思うからだ。

なお、過去に記載してきた石油・ガス関連の記事は以下の通り
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat33369765/index.html

 

 

 

 

 

 

 

 

|

« (23.9.2) ためしてガッテン もみ出し&マッサージ ホントの実力大検証 | トップページ | (23.9.4) NHKワールド・ウェーブ 世界の高速鉄道計画 新幹線が日本を救う »

NHK BS世界のドキュメンタリー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« (23.9.2) ためしてガッテン もみ出し&マッサージ ホントの実力大検証 | トップページ | (23.9.4) NHKワールド・ウェーブ 世界の高速鉄道計画 新幹線が日本を救う »