« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

(23.8.31) 日本復活か衰亡か? 野田新首相の誕生

23823_091  

 はたして野田新首相の誕生は日本の再生になるのだろうか、それともここ5年間続いたように1年後にはおはうち枯らした姿で退陣するいつもの首相と同じパターンになるのだろうか。
日本に長期政権が存在しなくなって5年が経った。
5年間で6人目の首相であり、各首相の任期はほぼ1年前後になっている。
そしてこの5年間は明確な日本の衰退と重なっており、1年で代わる首相に何か期待するほうがどうかしている。

 アメリカを始め各国の首脳もこの日本のあまりに早い首相交代に戸惑っており、そのたびに外交政策が変更するのにはさらに当惑している。
なにしろ何を約束しても次の首相が外交交渉で約束した国家間の取り決めを守るかどうか分からない。
だから何を決めても無駄だとオバマ政権は諦観してとうとう菅前首相をホワイトハウスに呼ぶことすらしなかった。
日本は無視しよう。これからは中国だオバマ政権の基本的姿勢である。

 今回の民主党の代表選挙はまったく魅力のないものだったが、それでも小沢・鳩山連合に押された海江田氏か、それとも菅氏の流れを汲む反小沢連合かの闘いの側面は無視できなかった。
私が最も恐れたのは小沢・鳩山連合に押された海江田氏が首相になることで、もしそうなったら鳩山氏の言う「民主党の原点に戻る」ことになるからだ。

 ここ2年間の民主党の原点とは目を覆いたくなるようなひどいものだった。
財源の裏づけをまったく無視したばら撒き政策で、おかげで国家予算の半分以上が国債発行によってまかなわれる異常事態になっている。
これを鳩山政権はまったく気にすることもなかったし、菅政権では消費税のアップが必要だとの認識を菅首相は示したが、民主党としては増税は絶対に認められないと言うものだった。

 外交政策においても鳩山元首相は何のビジョンも持たずに従来の自民党政権が築いてきた日米同盟を崩壊させることだけに熱心だった。
菅政権になって修正はしたものの、中国とロシアからは完全に足元を見られ尖閣諸島も北方4島も領有権問題では押しまくられている。

 これが民主党の原点なのだから、海江田氏が首相になったら日本の衰退はほぼ決定すると思っていた。
そうした意味で財政再建の必要性を説き、自民・公明との3党合意についてそれを守るとの立場の野田氏のスタイルは混迷する日本政治を救う一つの方向性を示している。

 経済についてみると日本経済は輸出主導型の経済運営が崩壊し、新しい産業が発生しない限り日本の再生はありえないのだが、新しい産業育成のためには安定した政権の強いリーダーシップが必要になる。
今までのような1年交代の政権運営で良いはずはなく、もし海江田氏が首相になれば自民・公明との権力争いが激化してすぐにでも解散総選挙になり、経済再建どころではなかった。

注)現在総選挙を行えば自民党の復活、民主党の大敗は確実なので、民主党としては選挙ができないが、追い込まれて選挙をせざるえなくなる。

23823_105  

 さらに日本の財政が破局的なことは誰でも知っているが、かろうじてこの状況が破綻しないのは財務省・日銀による金融支配が貫徹していて、国債消化がほぼ日本国内で可能だからである。
日本で商売したかったら、おれっちの言うことを聞いて国債消化に協力しろ。いやならどうなるか知ってるな!!!」財務省・日銀の脅しはみかじめ料を脅し取るヤクザとなんら変わらない。

注)もし言うことを聞かないと金融庁と示し合わせて徹底的な検査を行い、業務運営を麻痺させ、さらにあらゆるいちゃもんをつけて金融機関の免許を取り上げることもできる。

 日本だけがどんなに格付会社が日本国債の評価を引き下げてもレートも上がらず、国債消化も順調なのに世界が驚いているが、この財務省・日銀の脅しのシステムを理解すべきだ。
そしてこの脅しのシステムによって金融機関は1%程度の利回りしか上がらない国債投資に多額の資金を固定されるため、世界の常識に反して金融業が斜陽産業になっている。

 こうした財政破綻や経済破綻から立ち直るためには野田氏の言う財政再建が絶対に必要で、消費税のアップは避けて通れない。
また福島原発事故に伴う補償金等の支出のためにも増税は必要で、野田氏が増税論議を避けなかったことは評価していい。

 そして参議院を野党に握られている以上、3党合意に基ずく協力と、将来的な大連立(ただし民主党からは小沢・鳩山が出て行くだろう)以外に安定した国会運営も不可能なことも確かなのだから、坂本竜馬がいれば民主・自民の大連立を模索するだろう。

 今回の野田政権の誕生で民主党は首の皮1枚で残ったと言う感じだ。これからどうなるかは野田新首相の手腕によるが、安定した政権運営のためには大連立以外の選択肢がないことも確かだ。

 

 

| | コメント (4)

(23.8.30) ちはら台発掘ものがたり 草刈遺跡群

23829_009  

 とても興味深い催し物がちはら台のコミュニティーセンター(コミセン)で行われていた。題して「ちはら台発掘ものがたり」という。ここちはら台地区はURが開発をした住宅地だが、開発に先立って大規模な発掘作業が教育振興財団のもとに行われた。
発掘作業そのものは平成10年には終了していたのだが、そのとき発掘された土器類等を整理・分類して今回コミセンで展示会が開かれたものである。

 私はここおゆみ野の地区で発掘事業が行われていたのはよく知っており、最近では大膳野南貝塚の発掘現場を見てきたばかりだ。
しかしちはら台についてはまったく知識がなかった。
今回の展示は主として草刈遺跡群と言って、現在の京成ちはら台駅周辺にあった遺跡から出た出土品からなる。

 最初に驚いたのはここ草刈遺跡旧石器時代から始まり、縄文、弥生、古墳、奈良・平安を経て中世の始まりごろまで使用されおり、実に長期間にわたる遺跡が存在していたことだ。
ここちはら台は昔は住居に最適な場所だったんだ」しみじみと感じた。

 ちはら台に人が住み始めたのは今から3万5千万年前からだと言うから実に古い。最もこの時期は定住していたわけでなく木の実や動物の捕獲ができる時期だけこの地にとどまっていたのだそうだ。
当時の遺物としては黒曜石の鏃やじり)がたくさん見つかっている。

 定住が始まったのは今から4700年前縄文中期中葉という)頃からで、突如ここ草刈遺跡に人が集団で生活するようになったと言う。
その頃は草刈遺跡のすぐ下まで海が迫っており干潟が広がっていたそうで、縄文人は貝や魚、ドングリや芋類、そしてイノシシや鹿の肉を食べて生活していたと言う。

 縄文土器を使った鍋料理でこうした腹を満たしていたと言うから相当グルメだ。
村にはリーダーがおり、腰に鹿の骨で作った腰飾りをつけていた。
東京湾の千葉県側にはこうした村が40箇所できていたそうだから、かなり人口密度の高い地域だったことになる。
各村の間には行き来があり、その結果この時代の遺跡はほとんど同じような遺物が出土すると言う。

23829_008  

 今から2200年ぐらい前になると房総半島に稲作作りが伝わってきたと言う。当初は内房地域の河川下流の低地に広がり、それが徐々に内陸方面まで広がっていったのだと言う。
私が一番分からないのはこの稲作つくりの伝播方法だ。
一体なぜ稲作つくりと言うような高度な知識がこの房総という当時では僻地と言ってよいような土地に伝わったのだろうか。

 これは私の想像だが当初は九州に上陸した弥生人が稲作を始めたのだが、その土地で食い詰めた(農地をあてがわれなかった)人々が当時縄文時代人が住んでいた東へ東へと移住して混血を繰り返したのではなかろうか。

次郎、三郎、おめえたちの耕す農地はここ筑後川の流域にはもうねえ、東に行って農地を見つけて稲作をしろ
しかし一郎兄ちゃん、あっちには縄文時代人と言うおっかねえ連中がいて、弓矢で狩をしているよ
大丈夫だ、あいつらは低地には住まねえ。川の下流域はイノシシもドングリもないからだ。お前たちは下流域で稲作をして、できた米を縄文時代人に分けてやれば、あいつらも喜んで迎えてくれる。それに縄文時代人の女子(おなご)はほりが深くてべっぴんだぞ
なんて感じではなかったかと想像している。

 弥生時代に入るとここちはら台の人口は急増し、1000軒以上の家の跡が発見されており数千人規模の人々が住んでいたと言うから半端ではない。
こうなると現在の村程度の規模だし、当然村長は必要だし、占いのぼっ骨も発見されているから、当然占い師もいたことになる。
ほとんど邪馬台国の卑弥呼の世界で、「実は魏志倭人伝の世界は北九州でも大和でもなく、ここちはら台にあった」と言う新説を立てたくなるような規模だ。

23829_010  

 古墳時代になるとちはら台はさらに発展することになる。すでに古墳時代の初め3世紀中ごろには青銅製の鏡や鏃が多く出土しており、その多くがちはら台から出ているのだと言う。
また5世紀ごろにはカマドが伝播し、今日と同じような様式で料理ができるようになったのだと言う。
さらに最先端技術である鉄器製作のための鍛冶屋がこの頃から存在し、古墳の数も180基に達すると言う。

 私がとても不思議に思うのはどのような経路で鏡が伝えられ、又カマドや鍛冶屋や古墳が作られるようになったのだろうか。
パンフレットを見ると「1600年前のニュータウン」がちはら台に存在したと言うのだが、ニュータウンを支えた技術群はどの様にして伝えられたのだろうか。

もうしあげます、大和と称するところから変な光るものや、ハウスキッチンや非常に硬い刀剣を持った使節団と称するものが来ていますが、どのような対応をすればよいでしょうか
まあ、何か知らないが遠くから来たと言うのだから会うだけは会ってみよう


わが大和の大君がちはら台の大君に鏡と刀剣とグルメ料理を授けるように私、大和の臣たけるに命じて派遣したのでございます
大和か何か知らないが、この鏡と称する光るものと刀剣はすばらしいものじゃの。これをもらってもいいのか
はい、一つだけお約束いただければ
約束とはなんじゃ、早く申せ

今後は大和政権の一員として国造(くにのみやっこ)となり、争いごとが発生したときは大和の一員として共に戦うことをお約束ください
国造なんて称号がなくても俺は一向に構わないのだが、もし断ったらどうする
そのときは隣のおゆみ野の族長次郎に国造になっていただきます。ちはら台の族長がおゆみ野の族長の下になってもよろしいのですか
何でもいいのだが、次郎に負けるのだけは嫌だ。なら大和の国造になろう
なんて感じだったのだろうか。

 その後、奈良・平安時代になっても規模は縮小されたがここ草刈遺跡には人がすみ続け、ここは草刈村と言われていたと言う。
主な産業は農作業の他に屋根瓦を製造するための瓦窯が有ったと言うから相当先進的な地域だ。
この瓦は上総国分寺屋根瓦を飾っていたと言う。

 そしてここちはら台の高台は中世になると人々がより便利な平地に降りていってしまったため、うち捨てられ再び脚光を浴びたのは平成のURによる住宅開発までほぼ1000年の眠りについたことになる。

注)なお、おゆみ野大膳野南貝塚遺跡については以下参照http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/2337-3bf6.html

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

(23.8.29) 温暖化と異常気象 中国とアメリカはいつその非を悟るのか?

23823_126  

 このところの異常気象は常識を通り越している。
私はこの8月の7日から北海道で2週間かけトランスエゾと言うウルトラマラソンを走ってきたのだが、その前半の1週間はあまりの暑さに辟易した。
スタート地点は宗谷岬で日本の最北端なのに、気温・湿度とも私が住んでいる千葉とほとんど変わらず、「ここが本当に日本の最北端か!!!」と思われるような天候だった。
地元の宿の主人も「こんな暑い日は北海道では珍しい」と驚いていたくらいだから異常気象といっていい。

 異常気象は北海道だけでなく日本全体を覆っており、特に雨の降り方が変わってきた。
かつては日本の雨はやさしく降るのが特色だったのに、数日前に日本各地に降った雨はスコールのような雨で、1時間に100mmと言うから傘をさしてもまったく無駄なような雨だ。
幸いにも日本の治水事業は世界のトップ水準にあるので大きな被害は出ないが、外国においてはたちまちのうちに大被害になってしまう。

 中国や北朝鮮といった治水事業が遅れているところは、豪雨になると洪水になり、一方日照りが続くと旱魃になってしまう。
この春頃まで中国南部は大干ばつに襲われていたが、その後一変して大洪水になっていた。
北朝鮮も洪水に悩まされており、韓国は食糧の人道的援助に乗り出していた。

 アメリカにおいてもハリケーンが段々と凶暴になっている。2005年に発生したハリケーン・カトリーナカテゴリー5と言う最強のハリケーンだったが、ニューオーリンズ一帯が水没してしまい、2500名に登る死者・行方不明者が出ている。
このときの災害復旧費用も膨大で約5兆円規模の財政支出がなされていた。

 現在ハリケーン・アイリーンがワシントンやニューヨークと言った東部沿岸を直撃しているがこうした場所にハリケーンが上陸することは過去ほとんどなかったために、カトリーナで懲りたオバマ大統領は非常事態宣言を出してハリケーンに備えている。

23823_135_2  

 しかし中国やアメリカが異常気象に悩むのはいわば自業自得と言える地球温暖化対策を一切せずに二酸化炭素をばら撒いてるからで、この2国で世界の二酸化炭素排出量の40%を占めている。

 石原都知事の言う「天罰」で、中国やアメリカはその災害復旧費用が膨大になり、それよりも温暖化対策に乗り出すほうが費用が安価だと認識するまでこの異常気象に痛めつけられたほうが良い。

 幸いに日本は治水事業に不必要なまでの予算をつぎ込み、何の目的で造っているのか分からないような 八ツ場ダムまで建設しているくらいだから、洪水に強い。
少々の豪雨があってもさして被害が発生することはない。

 一方中国は治水や灌漑事業にようやく緒に就いたばかりで、メコン川の上流にダムを造って水をせき止めれば下流域のタイやベトナムやラオスからクレームがつく。
中国南部から北部に灌漑用水を引いたのに頼みの南部が大干ばつになっては役立たない。
おまけに黄河がひえあがっている。
本来は温暖化対策に真っ先に乗り出してよさそうなものだがそれでもなかなか懲りない。

 外部の環境、特に水資源や空気のようなものを経済学で外部経済と呼ぶのだが、中国とアメリカはこの外部経済をどんなに汚しても「蛙の顔にションベン」だったが、徐々に「天に向かって唾する」ような状況になってきた。
外部経済を収奪して経済成長を図るメリットと、異常気象からの逆襲のデメリットがどちらが大きいのは分からないような状況になってきている。

 日本でも福島原発事故の収拾がつかず、総額で20兆円規模の復旧費用が必要となって初めて原発による電力供給の危険性を悟った。
中国もアメリカも福島原発事故レベルの環境破壊が進み異常気象が続けば、日本が原発事故で悟ったように、二酸化炭素を際限なくばら撒くことの非を悟るのだろう。

注)本件に関連する記事は「評論 地球温暖化」にまとめてあります。

 

 
 


 

 

 

| | コメント (0)

(23.8.28) トランスエゾ始末記 その3 北海道について

23823_074_2   

 私は北海道がことの他好きだ。過去4回トランスエゾで北海道を走り回ったり、個人的に徒歩旅行をしたり、大雪山系知床山系利尻山を登山しながら北海道を満喫したが、そのたびにここ北海道は本州や九州や四国と異なるエキゾチックな思いに駆られた。

 特に札幌や旭川と言った大都市を離れるにつれて北海道の特色がよくでてくる。北海道の東部や北部は極端に人口が少なく農家や漁家も点在しており、そうした町には人影もまばらだ。
まるで人がいないかのような錯覚に襲われ、ここが日本であることを忘れさせる。

 トランスエゾと言う競技は北海道の中でも人がまばらで、幹線道路から離れた農道や川の堤や生活道を走らされるので、観光地めぐりと異なった北海道そのものを教えてくれる。
この会の主催者である御園生さんは特に辺鄙な砂利道を好んで走らさせるので、走るほうはかなりテクニックを要する。
砂利道で飛ばすと必ず足を痛めるため、歩くかなるべく平坦な場所を見つけながらゆっくりと走らなければならない。

北海道はいいなあ、こんな素敵な景色と誰も通らない道だなんて素敵でしょう
御園生さんは自動車に乗ってサポートしてくれるのだが、正直言うと走るときは景色を見ているわけではなく地面ばかり見ているので、どこを走っても同じだ。

注)集中して走っているときは景色を見ている余裕はない。景色をしみじみと見るのは疲れて歩いているような時で、過去飛ばして走っていた頃は通った場所の記憶がほとんどなかった。

23823_106  

 今回は何回もリタイアしたり、ゆっくりと時間をかけて走ったので北海道をしみじみ眺めることができたが、その一番の印象は北海道の衰退だった。
日本全体でも人口は停滞し減少に転じているが、北海道の地方都市や農村や漁村の衰退はそのはるか前から劇的に進行していた。

 札幌を中心とする大都市に若者は出てしまい、地方都市は火が消えたように寂しい。一部の都市はそれでも街中を花で飾ったり、町の目抜き通りから電柱を撤去したりして美しい町並みを演出しているが、そうした気力がなえてただ町そのものが消えるのを待っている地方都市のほうが圧倒的に多い。

 そうした町には商店もほとんどなくあっても店を閉じている。そこそこの町にはセイコーマートと言う北海道を中心に展開しているコンビ二があり、私は大変お世話になったがコンビニも成り立たないような町も多く存在する。

 そしてなにより北海道は公的な交通網が失われつつある。JRは赤字線を次々に廃止しているが、残った幹線も途中の小さな駅には駅舎以外に何もない。
そうした場所に駅があること自体不思議に思ったが、そこはかつては開拓団が入村し多くの人々がいた場所だった。
今では廃屋がその往時を忍ばせており、そうした駅を利用する人は私のような北海道にあこがれて旅をする鉄道フリークだけのようだ。

注)こうした駅には記録帳のような帳面が置いてあり、この駅を訪れた人が旅の思いを綴っている。
「こんな誰もいない駅を見たのは初めてだ。周りを見ても人家が見当たらない。静寂そのものだ」なんて記載されている。

23823_119  

 JRだけでなくバスの便も極端に悪い。かなりの町の間のバスでさえ、朝2本、夕方2本、昼間1本程度の本数しかない。
今回私はトランスエゾで何回かリタイアしたのだが、一番困ったのがそこから決められた宿に行く方法だった。
この競技ではリタイアした後は回収車はないので自力で次の宿まで行かなければならない。

注)毎日の走行距離は平均80kmだから50km地点でリタイアすると、後の30kmを何らかの公的な手段で宿にたどりつかなくてはならない。

 ところがJRもバスも数時間後ぐらいにしか来ないのだ。
こんなことなら走った方がましだ」そう思うほど公的手段による移動は時間がかかる。
私はある漁村でリタイアした時、次のバスが4時間後だと言うので愕然とした。
近くの家に行って「これ以外の移動方法がないのか」聞いたところ、信じられないことにそこの主婦が自家用車で途中まで乗せてくれた。
北海道では自家用車で移動するのが普通で、公的手段は運転免許のない学生や老人の乗り物になっていた。

 私には北海道が未来の日本を暗示しているように見えてならない。
美瑛のような観光地は駅前も美しく整備され、観光客も多く訪れているが、観光から外れた場所はただ衰退しているだけだ。

 かつて北海道は農業と観光と土建業と自衛隊で維持されてきたが、農業は酪農を中心に衰退しており、廃屋となった牛舎があちこちに点在している。
土建業は不要な道路や港湾をこれ以上作るだけの力が日本政府自体になくなってしまい、誰も使用しない道路建設もできなくなってしまった。
自衛隊も仮想敵国がロシアから中国にうつったため、徐々に隊員のシフトが行われている。

 残されたのは観光業だけだが、スイスがそうであるように観光業だけで北海道経済を支えるのは難しいだろう。
何か新たな産業が起こって北海道を救うことができるのだろうか。そうあってほしいがそうでない可能性のほうが実際は高そうだ。

注)スイス経済の本当の力は金融業にある。

 

 

| | コメント (0)

(23.8.27) NHKスペシャル 円の戦争  もう一つの不思議な通貨戦争

23823_005  

 なんとも不思議な番組が放映された。NHKが終戦特集として放映した「円の戦争」と言う番組である。この「円の戦争」とは日中戦争(昭和12年~)から太平洋戦争(昭和16年~)にいたる約8年間の戦費、その中でも中国戦線の戦費をどのようにして調達したかをあぶりだそうとして追ったものである。

 しかしこの番組は非常に理解するのが難しく、想像力を駆使して不足の情報を補わなければならなかった。
理由は二つあって、一般に戦時経済についての知識が私を含めて不足していることと、さらに戦時経済そのものが秘密のベールにつつまれていて今回明らかになった内容を含めて情報が極端に少ないことによる。

 しかしそれにも関わらず当時欧米諸国から見たら最貧国の日本が約8年間にもわたって戦争を継続できたからくりがあるはずで、この番組ではそのからくりが銀行間の「預けあい」というシステムにあったと述べていた。

 当時大日本帝国には3つの発券銀行があり、日本銀行、朝鮮銀行、台湾銀行がそれである。それぞれが円を発行しており等価100日本円=100朝鮮円)で交換されていたが、なぜ発券銀行を別にしたかの理由は「植民地経済が悪化したときにそれをすぐに切り離すことができるように」との理由からだったという。

注)現代的なセンスからは、統一通貨円で日本、朝鮮、台湾に円圏を確立して経済統一を図るほうが合理的に思われるが、当時は3地域の経済の発展状況が相当異なっていたため、別個の経済圏としたほうが合理的と判断したのだと思われる。 

 しかしこの個別に円を発行できるという独自性朝鮮銀行の独走を招いた。それは朝鮮銀行勝田総裁が朝鮮銀行を朝鮮のみならず満州、北支を含めた中国全土の共通通貨発券銀行にしようとの構想を持っていたからだと言う。

 これはちょうど関東軍高級参謀板垣征四郎石原 莞爾が中国全土を日本の支配下に置こうとして満州事変(昭和6年)から日中戦争へと戦線を拡大していった裏の資金調達の事情と一致すると言う。
私は満州事変も日中戦争も日本の国家予算で実施していたものと思っていたが、実際は関東軍は現地での物資調達が可能な仕組みを考案していたという。

注)当時の大蔵大臣高橋是清は軍部を抑える手段として、軍事予算を絞り込んでおり関東軍は自由に活動できる資金を国家から支給してもらえなかった。このため独自で資金調達をする必要に迫られていた。

 石原 莞爾の言う「戦争を持って戦争を養う」と言う思想だが、はっきり言えば「必要なものは現地で収奪する」と言う思想である。
これは近代戦争としては異例とも言っても良い手法で、アメリカ軍などは武器・弾薬・食料を含めてすべて本国からの輸送によっており、戦費はすべて国家予算で統制されていた。

23823_004_2  

 
一方日本は満州事変にしろ日中戦争にしろ、政府や大本営の不拡大方針を無視して現地軍が戦線を拡大させているため政府は予算をつけない。だから関東軍は資金を自分で捻出せざるをえずその財布は「預けあい」と言う方法を編み出した朝鮮銀行だったという。

 なぜ「預けあい」と言うような方法を考案したかの理由は朝鮮銀行といえどもなんの根拠もなく通貨を発行することはできないからである。発券するにはそれなりの根拠が必要で、反対に言えば根拠さえあればいくらでも発券できる。

 番組ではこの「預けあい」の仕組みを図解していたが、いまひとつ理解ができなかった。
通常「預けあい」と言うのは現在の経済用語でスワップといい、信用がない通貨と信用がある通貨を互いに交換して助け合うことで、最近ではリーマン・ショック後の韓国政府を支援するために、円とウォンのスワップ協定が結ばれた事例がある。

注)韓国のウォンが急落して決済通貨として利用できなくなった場合、韓国政府はスワップで手に入れた円を市場で売却してドルに変えてそのドルで決済をするという仕組み。

 朝鮮銀行が編み出した預けあいとは、朝鮮銀行別会社として設立した中国連合準備銀行(連銀)と言う銀行との間で朝鮮銀行券と連銀券の預けあい(スワップ)をおこない、連銀は朝鮮銀行券を担保に連銀券を発行したのだという。

注)実際は軍部の印刷所でこの連銀券を発行していたので軍票となんら変わらない。

 何のことかさっぱり分からないが、「連銀券の後ろ盾は朝鮮銀行であり、さらに朝鮮銀行の後ろ盾は大日本帝国だから連銀券を信用しろ」と言うことのようだ。
そして関東軍はこの連銀券を使用して現地で主として食料や衣類等の現地調達が可能な物資の調達を行った。

注)小銃・機関銃・大砲といった装備や軍用トラック等は現地での調達は不可能なので、国家予算で支給されていたが、一方食料・現地の住宅・衣類・荷物を運ぶための荷駄・兵隊の遊興費等は連銀券で支払をしていた。

 当時中国には軍閥が割拠して軍閥ごとに通貨通常は軍票と言う)が発行されており、1000種類に登っていたが、この中で最も信用されていたのは蒋介石が発行した通貨元であったと言う。
なぜ通貨元が最も信用されていたかと言うと、元を支えるためにイギリスとアメリカが資金援助していたからで、元の最後のよりどころはポンドとドルだったことが分かる。

注)蒋介石の通貨の信用は元をポンドやドルが後ろ盾になっていると言うところに有った。一方関東軍が発行した連銀券は朝鮮銀行券に換えられなかったので、紙切れと同様とみなされまったく信用がなかったという。

 日本の戦争は特に食料調達については現地主義であり、はっきり言ってしまえば連銀券軍票)と言う紙切れで収奪していたことになる。
この金額がどの程度になるかは難しい計算だが、明確に分かっている日中戦争から太平洋戦争の8年間の軍事費7559億円現在価値で約300兆円)のうち40%120兆円預けあいで調達したことになるのだそうだ。

 だから日本軍が主として中国戦線で費消した戦費のうち、120兆円相当は中国人からの収奪だったと言うことになる。
うぅーん」唸ってしまった。

 当時の国民党も共産党も日本軍もそれぞれの通貨を発行して食料等を現地調達していたのだが、収奪された中国の民衆はたまったものではなかっただろう。その中でも国民党が発行した通貨元が相対的に信頼を得ていたと言うことのようだ。

 この番組で紹介された預けあいと言う仕組みは単なる技術的な勘定処理の手段で、はっきり言ってしまえば連銀券はいくらでも増刷できる紙切れに過ぎないのだから、そうした意味ではタダで強奪しているのとなんら変わりがない。

日中戦争で日本が中国人から嫌われた理由も当然と思われる番組の内容だった。

 

 
 

 
 

 

| | コメント (0)

(23.8.26) トランスエゾ1100km始末記 その2 走者列伝

23823_028  

 私自身は今回のレースを最後にウルトラマラソンからは引退することを決めているが、2週間走ってとても参考になったランナーが二人いた。
今後トランスエゾのような2週間にわたるステージマラソンの参加希望者のために、この二人の走者のノウハウを記載しておく。

① Today姉さん(おそらく30歳代の幼稚園の先生)

 Today姉さんとは後半の有る80kmのステージを一緒に走った。「今日は一緒に走りましょう」と言って走ってみたのだが、実に興味深い走りをしていた。

 トランスエゾの制限時間は時速約5.5kmで走ったと仮定して設定されている。したがって5.5kmで休むことなく走れば制限時間ギリギリに到着することができる。
しかし通常の走者は私を含めて最初は時速7km程度の速度で走り出し、最後は歩いて4km程度に落ちるが、それでも制限時間の1時間から2時間前にはゴールに到着するような走り方をする。

 しかしこの走りは「最悪」なのだとToday姉さんは言う。
Today姉さん過去2回1100kmを完走しており、今回は暑さのために完走を逃したがベテランだ。
山崎さん、1100kmを走るためのコツは絶対に早く走らないことです。時速を5.6km程度にして、制限時間の15分前に到着するように設定することです。そのためにはチェックポイント(約5kmごとに設けられている)ごとの通過時間を計算して、その時間通り走ることが大切です

 Today姉さんによると時速7kmや8kmで走ると最初の数日は可能でも、足に過度の負担が出てきて1週間を過ぎると疲労や筋肉痛や水豆やアキレス腱が痛んで走れなくなるのだと言う。
片道ならば飛ばすことができても、往復では絶対に耐えることができません。山崎さんは早く走りすぎます。私のように5.6kmで走っていれば、通常の気候の下では完全に完走ができます。それと足を蹴って走るとアキレス腱をいためるのですり足にすることがコツです

 Today姉さんの走りは一見すると速歩にような走りだが、じつに堅実で確かなものだった。今回は完走を逃したが(コースを間違えてしまったためで、制限時間ギリギリの設定なので一度コースアウトするとリカバリーが効かない)非常に参考になる走りだった。

23823_046_2 

② 後半兄さん(40歳代のサラリーマン)

 後半兄さんの走りには度肝を抜かれた。この人は1100kmで唯一完走をした人だが、この人もToday姉さんと同じように制限時間ギリギリ、それも数分を残すようにして走っていた。

 普通の人とまったく違うのは前半が遅く、後半に一気に挽回すると言う走りで、私も100kmステージで一緒に走ってみたがその時間管理にはびっくりした。
100kmでは最初の50kmまでは時速5km程度で実にゆったりと走っている。
こんなに遅くては制限時間をオーバーするのではないですか?」聞いてみた。
山崎さん、これで十分なのです

 私は信じられなかったがほぼ50km程度まで時速5kmで後半兄さんと一緒に走っていた(正確に言うと私は速歩で歩いていた)。
ところが50kmを越したあたりから後半兄さんは急に速度アップをはじめ、時速約6kmで走り出した。
確かに前半5kmでも後半6kmになれば、平均5.5kmだから完走できる。

 この速度アップに私は耐えられずこのステージをリタイアしたが、その速度のギアチェンジにはびっくりした。
通常の人はほとんどが前半型で後半は速度が落ちるか歩くのが普通だ。
しかし後半兄さんは後半になればなるほど速度アップをして、制限時間ギリギリに到着するのだ。

 Today姉さんは平均速度型だが、後半兄さんは完全に後半型でこうした走りをする人を始めて知った。
山崎さん、私は朝は身体が動かないのです」恐ろしいランナーだ。

23823_055  

 今後トランスエゾ、それも1100kmに参加する人のためにアドバイスすると、最悪の走りは早く走りすぎることだ。私もいつもこれでつぶれている。
平均時速の少し上ぐらいに抑えて、体に対する負担を最小限に抑えて、粘るのがコツだ。
ただしこの走りをすると到着時間がギリギリになるので洗濯や食事をする時間がかなり制限される(私はそれが嫌で時間的余裕を持たせようと早く走ってしまった)。

 洗濯は洗濯機を使わず水洗いで済ませたり風呂をさっと出たり、食事に時間をかけずに寝てしまうのが大事で、そうしないと睡眠不足に悩まされることになる。

 私から見るとToday姉さんの走りがウルトラマラソンの最も理想的に走りに見えた。体に負担を与えずに耐えるのだが、時間が長いだけ耐える力は相当必要なことも確かだ。意志力さえあれば確実に完走できる走りと言える。

 

 

 

| | コメント (1)

(23.8.25) 擬似金本位制度の復活 すべての資金が金に流れる

23823_014  

 私がトランスエゾ1100kmを走っている間に、世界経済には激震が走っていた。
金価格が急上昇していたのだが、世界の投資家がドルやユーロや株式を見限りもっぱら金に資金を移し変えていた。

 おかげで金価格は8月に入って急上昇をし始め、長らく1トロイオンス1500ドル前後だった金価格はとうとう1900ドルを突破してしまった。
8月だけの上昇率は16%UPだから半端ではない。
金のネックレスや地金を持っている人はここぞとばかり高値売却のために田中貴金属の店頭に並んでいる。

 なぜ金価格が上昇したかの理由はアメリカ経済の長期低迷が明確になり、FRBのゼロ金利政策が今後とも続くことが明確になったためである。
FRBはドルを垂れ流す。ドルを持っていても減価するばかりだ」と中国やロシアといったアメリカ国債の保有国がアメリカ国債の購入を控えて金の購入を始めた。

 金価格の上昇や下落に最大のインパクトを持つのは個人の金の購買ではない。また工業用金の需要も毎年ほぼ一定だから、もっぱら金価格の急上昇や下落は政府筋の大量の金の購入や売却による。
実際金価格は1980年から2000年の間に600ドルから270ドルまで下落したのだが、その最大の理由はヨーロッパを中心とする政府筋の金の売却が原因だった。

注1)世界の金の供給量は毎年4000トン前後と少ない。この少ない市場に100トン単位で金の購入や売却が行われると金相場の急上昇や急落が起こる。
そうしたプレーヤーは国家と国際機関しかない。


注2)なお現在の国家別金の保有量は以下の通り。
① アメリカ 8133トン、② ドイツ 3401トン、③ IMF 2814トン、④ イタリア 2451トン、⑤ フランス 2435トン、⑥ 中国 1054トン、⑦ 日本 769トン


 しばらく前までは中国を中心とする新興国の経済成長が世界経済の牽引役になると言われていたが、その前提条件はアメリカやEUもそこそこ経済成長が図られると思われていたからだ。
しかし明白になってきたことはアメリカもEUも日本の失われた10年と同じ状況に置かれ、日本と同様にまったく経済成長が望めない経済構造になっていることだ。

注)アメリカはサブプライムローンの重石が取れず、EUはサブプライムローンに加えて不動産投資の重石が取れない。これが解決しない限りアメリカもEUも経済成長は望むべくもない。

23823_013  

 こうなると中国やインドがどんなにがんばっても世界経済の牽引役としては不足だ。中国需要で引っ張られてきた石油も鉄鉱石からも資金が流出し、資金は金と通貨であれば円とスイスフランに向かっている。
円が買われるのはなんとも不思議だが、ここ20年間の間に金融機関の不良資産の償却が済んでいて腐った在庫が少ないことが評価されている。

 現在はアメリカを始めとする先進工業国の停滞、新興国の興隆といった世界経済のパラダイムの変換の時期なのだが、かといってアメリカに代わって中国が世界を取り仕切るほどの実力はない。
通貨であればドルに代わる通貨が存在しない
そのため最後の通貨と言われる金に資金が集中することになった。
なにか昔の金本位制度が復活したみたいな状況だ。

 今後とも金価格は傾向的に上昇するだろう。ドルに代わる通貨制度ができるまでは金以外に適当な通貨などないからだ。
こうした状態を擬似金本位制度と言い、21世紀のおそらく前半はこの擬似金本位制度の時代と言って良いだろう。

注)本来の意味の金本位制度はすべての通貨が金の裏付けの元に発行される制度で、通貨は兌換券と言われていつでも通貨と金の交換ができた。
一方現在の通貨は金とはまったく切り離されて発行されているが、あまりの通貨の下落に嫌気をさした資金が最後のよりどころを金に求める擬似的な金本位制度になっている。

 なお本件と関連する記事は「通貨の権威失墜と金相場の上昇」を参照。

 

 

 

 

| | コメント (4)

(23.8.24) トランスエゾ1100km始末記 その1 ウルトラマラソンよ、さらば!!

23823_031  
宗谷岬の朝焼け

 人間には体力的にも精神的にも限界があるのだとしみじみ知らされてしまった。
鉄人なんていわれて有頂天になっていたが、私のウルトラマラソンの引退の時期が来たようだ。

 この8月7日から20日までの2週間かけて行われたトランスエゾ1100kmの結果は当初の予定から見ると散々な結果に終わってしまった。
この競技は北海道の最北端の宗谷岬から南端にある襟裳岬の間を往復する競技だが、信じられないことに開始3日目で私はダウンしてしまったからだ。
前半1週間は軽くクリアし、後半の100kmステージが山場だと思っていたのにはるか手前で墜落してしまった。

 今年の北海道は猛暑で特に前半は私が住んでいる千葉と同じような高温と多湿状態が続き、走っていると体中がから汗が吹き出ていた。
通常北海道の北部は30度を越えることが少なく、またたとえ越えたとしてもからっとした天気なのだが、今年の北海道は千葉とほとんど変わりがなかった。

 汗が滝のように流れ、水分をいくら補給してもすぐに補給が必要になり、水や清涼飲料水を自販機を見つけるたびに飲んでいたが、あまりに水を取りすぎてすっかり胃をいためてしまった。
毎日の走行距離は約80kmで、大体朝の4時半ごろ出発し、夕方の7時半頃に宿に到着しなければならない。制限時間は平均時速約5.5kmで走ったと仮定して設定されており、かなり緩めなのだが実際何日も走ってみると段々走れなくなって次第に時速5.5kmに近づいてくる。
この間絶え間なく水分を流し込み、それでも足りないときは水道の水を頭からかぶりながら走った。

注)北海道の農家では家の外側に必ず水道があるので、農家に頼み込んでこの水道を使わせてもらう。

23823_037  

 毎日のパターンは夕方宿にたどり着くとすぐに食事をし、着ていた衣類を洗濯して、さらに制限時間の15分後から約30分あまり翌日のコース説明やランナーの感想を順番に述べるミーティングがあり、その後睡眠に入る。
したがって早めにつけば十分時間的余裕があるのだが、一方制限時間いっぱいにつくと睡眠を削らなくてはいけなくなる。

注)衣類の洗濯が特に大事でそれをしないと自分でも我慢できなくなるくらい臭くなる。なおこの競技では食料は基本自己調達なので途中のコンビニ等で食料を仕入れてくる必要がある(ただし宿で食事ができる場合も有る)。

 過去の参加のときは私は制限時間の約2時間前に到着することを目標に走っていたが、今回は暑さと疲労でほとんどが制限時間いっぱいの到着になってしまった。
しかも清涼飲料水のがぶ飲みがタタって胃の疲労で食事をまったく受けつけなくなってしまった。

 ランナーはよく知っているが、極度に疲労した後は水物以外身体が受け付けない。毎日ゼリーや牛乳類だけで走っていたが、3日目に暑さのために気持ちが切れてしまった。
ああ、やだ・・・ 何でこんな暑い北海道でマラソンをし続けなくてはならないんだ。それに腹ペコだ・・・・・・

 すっかり気持ちがナーバスになって、3日目の80kmの途中、留萌と言うところでリタイアしてバスに乗ってしまったが、走り出してから約50kmの地点である。
この種の競技をしたことのある人なら誰でも知っているが50km程度までは体力で押し切れるが後は気力の勝負になる。気力がなえるとなんとも走りようがない。

 この競技は完走を前提にして、走行時間で競われる。最も早い時間で完走した人がチャンピオンだ。したがって途中リタイアした人は本当はそれ以上参加しても無駄なのだが、わざわざ北海道まで行ってすぐに帰るわけにも行かないので、その後も走ることは許される。その場合は走った距離だけを加算して番外として一応評価される。

 今回トランスエゾ1100kmに参加した人は5名で、そのうち完走者は1名だった。トランスエゾはこの往復以外にも片道コースTO 襟裳、TO 宗谷 という)があってそれぞれ10名程度の参加者がいる。しかしいずれにしても総勢30名以内の実にこじんまりとした大会で、この種の大会に出る人は日本のマラソンランナーの中でもマイナーな部類に入る。
はっきり言ってしまえば「マラソンオタクの特殊な人の集まり」と思えばいい。

注)トランスエゾに参加する人はほとんどが萩往還や川の道と言った250km程度の競技に参加している。

23823_048  

 私は3日目にリタイアした後も走り続けたのだが、走行距離は900kmを少し越えた程度で終わってしまった。3日目以降も100kmステージやその他のステージでリタイアしているので1100kmにははるかに届かなかった。

 だが正直にいえば私のウルトラマラソンの挑戦はこれで終わりになったと思う。体力も気力もなえて、とても走りとおすことができない。今回完走したTさんの走りを身近に見ていて分かったが、Tさんは最後の1分まで完走を諦めずに走っていた。
そうした気力がないとこの種のマラソンは無理だ。

 今回のトランスエゾではちはら台走友会Twitter姉さんや謙会長、それにジュンジュン姉さんや小太郎姉さんやタミタン姉さんやその他大勢の人から激励を受けていたのにまったく申し訳ない。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と言ったのはマッカーサーだが、私も今回のウルトラマラソンの失敗を契機にウルトラマラソンへの挑戦を終わりにすることとする。

 長い間応援をしてくださってありがとうございました。

別件)今回おゆみ野四季の道、およびおゆみ野四季の道その2のカウンター10000を加算しました。

 

 

 


 

| | コメント (2)

(23.8.23) 夏休みシリーズ NO17 自然のリズム

 夏休みシリーズはこれが最後だ。明日からはまた気合を入れてブログを書くことにしよう。


23725_121

(19.10.18)自然のリズム

 最近の眠たさはどうしたことだろう。時間があれば寝ているみたいだ。
もともと私は良く寝る方で、暗くなると眠たくなり、明るくなると目が覚めていた。自然のリズムに非常に忠実なので、夏場は睡眠不足になって、冬場は冬眠している熊みたいに良く眠る。

 実際私の寝る時間は早いのだが、だいたい8時か9時ごろには寝てしまう。社会人であった頃はさすがにいつも8時に寝るわけにはいかなかったが、引退したら社会とのしがらみがなくなったので確実に8時か9時には寝ている。

 かみさんから「お父さんは幸せでいいわね」と半分皮肉混じりにいわれるが、一方朝起きるのは夏場は特に早い。
明るくなると目が覚めるので、3時から4時ごろまでには必ず起きていたが、日の出が遅くなるにしたがって起きる時間が遅くなった。

 この自然のリズムにあわせて寝たり起きたりする生活はとても快適なのだが、一方このリズムが壊れると体調だけでなく精神的にも不安定になってしまう。
先日の甲州夢街道215KMのように、夜を寝ないで走ったりするとその後のリカバリーにやたらと時間がかかるのもリズムが壊れたせいだ。

 社会人であった頃、夜の付き合いを最低限に抑えたのも自然のリズムを維持したいからだった。それでも若い頃は2次会や3次会につきあわされたが、年を重ねるにしたがって誘いがなくなった。
山崎は夜の付き合いが嫌いなようだ」周りが悟ってくれた。

 このリズムが維持できている時の私はハイテンションで非常に陽気だ。四季の道の清掃活動をしているときも、会う人ごとに「おはよう」なんて声をかけているので、今ではほとんどの人が友達みたいになった。
ランニングしているときも「こんにちわ」ランだ。

 作業効率もやたらと上がるので、何をしてもすぐに終わってしまう。最もかみさんに言わせると「お父さんは何でも早いけど、ミスが多いのよね」ということのようだが、作業もるんるん気分だ。

 こおして大げさに言うと61年間も自然のリズムに合わせて生きてきたので、いまさらこの生活パターンを変えることはできそうもない。
いっそのこと「自然リズム教の教祖になって、教えを説いてしまおうか。

自然の声に耳をかたむけなさい。あなたの心も肉体も自然のリズムをもとめているのです。こころ安らかな生活は自然の声の中にあるのです
 さっそく亀ゴンが信者になってくれて、毎日寝ている。

質問者「先生は自然リズム教をはじめたそうですが
教祖「先生ではない。教祖様といいなさい

質問者「では教祖様、信者はいるのですか
教祖「亀ゴンがいる

質問者「亀ゴン以外は誰がいるのですか
教祖「亀ゴンの妹がいる

質問者「人間の信者はいないのですか
教祖
くどい、亀だけだ

| | コメント (0)

(23.8.22) 夏休みシリーズ NO16 携帯電話

 今日は千葉に帰る日だ。飛行機を使うと5万円台なので、JRを使用して3万円台で帰ることにする。ただし時間はたっぷりかかってほぼ1日仕事だ。


23725_124 私は長い間携帯電話を使用しなかった。一番の理由は電話が嫌いだからだが、このとき初めて携帯電話を使用することにした。

(19.10.8)携帯電話 その2

 普通の人にとってはなにげないことだと思うが、私にとって携帯電話を購入するのは悪戦苦闘の連続だった。

 最初に分からなかったのは、どの携帯電話会社と契約したらよいかということで、かみさんや娘や息子に聞いて、どうやら最も費用がかかるのがNTTドコモで、最も安いのがソフトバンクだと言うことが分かった。

 前にも記したが、私は電話と言うものを基本的に使用しない。固定電話でさえFAX兼用の操作が複雑な電話は敬遠するくらいで、通常はパソコンのメールで十分間に合っている。
それが、携帯電話を購入しようと決心したのは、このブログを常時携帯電話で見られる環境を作りたかったからで、そのためのテスト環境が必要になったからだ

安くて、インターネット環境がいいのが一番だから、ソフトバンクにしよう
いさんで、ソフトバンクモバイルのオンラインショップを覗いてみたが、頭を抱えてしまった。どうやら端末の機種とサービスの組み合わせで、購入機種を選ぶのだが、書かれているサービスの内容がさっぱり分からないのだ。

 約1日かけて、サービス内容と機種の機能を確認して、どうにか私が求めている購入機種が見つかった。
しかしそれからが大変だったのだ。携帯電話一つ買うのにこんなに苦労するとは思わなかった。他の方はまったく苦労しないのだろうか。

 まずオンラインショップでは「本人確認」が非常に厳しいことを知らされた。
必要事項を記載して、最後の画面で「本人確認」画面が出てきたが、私は免許証をファイルで送付することにしていたものの、まだこの作業をしていなかったことに気がついた。
まずい、ファイルがない」さっそく作ろうとしたら、今まで入力していた項目がすべて消えてしまった。
ありゃ、また最初から打ち込みかよ

 がっかりしたが仕方ない。再度打ちこむことにしたが、またファイルを作成するのは手間なので、今度は「本人確認」はFAXで送付することにした。
すべてが完了し、免許証をFAXで送ってすべて済んだと思ったら、翌日ソフトバンクから「画像が不鮮明なため「本人確認」ができず、販売できない」との通知が来た。
なんだい、我が家のFAXでは画像不鮮明なのかよ

 すっかりオンラインショップには嫌気がさした。それならと直接ジャスコに出向いてここで手続きすることにしたが、こんどは店員から慇懃に断られてしまった。
客様、残念ですがお求めの機種は当店においておりません。新たにできた○○店まで起こしになれば端末があるかもしれません

うぅーん、販売店には機種がなく、オンラインショップは「本人確認」の手続きが面倒だ」ふてくされてしまった。

 一日置いて気を取り直してから、4回目のトライをおこなった。
最初に免許証のファイルを作成し、ようやくオンラインショップで購入ができたが、こんなに手間隙がかかるとは思わなかった。
他の方はどのようにして購入しているのだろうか、私のようにこんなに苦労を重ねて購入しているのだろうか、聞いてみたいものだ。

 今は目の前に送られてきた携帯電話があるが、分厚い説明書や、6つもある付属部品の取り扱いについて、悪戦苦闘している。
電話という文明の利器を避けてきたつけをいっぺんに払わされているような感じだ。
グラハム ベル様、あなたの偉大さは分かりましたので、私をこれ以上いじめないでください

| | コメント (0)

(23.8.21) 夏休みシリーズ NO15 甲州夢街道215km

 トランスエゾ1100kmは昨日で終了したが、まだ北海道にいる。体力が回復しないのでのんびりと海岸べりに横たわっている。帰りは22日の予定なので、夏休みシリーズは23日まで続く。

23725_130

私の趣味はウルトラマラソンである。この記事は講習夢街道215kmを走ったときの記録である。

(19.10.3)甲州夢街道シルクロード215km 結果報告 その2

 昨日(1日)までは両足の大腿部の筋肉痛がひどく、一歩歩くたびに悲鳴をあげていたのだが、さすがに今日(2日)は痛みが和らいできた。まだ普段どおりの歩きには程遠いが、痛みが引いてくれただけでもうれしい。テンションも上がってきたので、気持ちが前向きになってきた。

 実を言うと何回もこのレースにでる事をブログで宣言してきたし、事前の練習についても詳細に記載していたので、「もし完走できなければどうしょうと心ひそかに悩んでいたのだ。
しかし、その悩みも消えた。ふらふらだったがなにしろ約34時間で完走できたし、速報を見ると完走率は約50%で、二人に一人はリタイアしているのだからなかなかのものだ。
61歳でなかなかやるじゃないか」急に有頂天になってしまった。


(注)正式結果がでました。
      出走者 209名、うち完走者109名  完走率 52.1%
      私の正式時間  34時間12分41秒  58位

 このレースの主催者は海宝道義さんという。ウルトラマラソン界では最も著名な人の一人で、94年、95年とトランスアメリカマラソンで完走している。
トランスアメリカはアメリカの西海岸ロスアンジェルスから東海岸のニューヨークまでの4700kmを64日間で駆け抜けるレースで、その後海宝さんは競技者と言うよりも競技開催者として有名になった。

 海宝さんの主催する競技には多くのボランティアがスタッフとして参加しているが、海宝さんの人柄を慕って参加している人が多く、とてもフレンドリーなクルーになっている。
エイドの設定も競技者の立場に立ったメニューが十分に用意され、最近目立っている金儲けのための競技開催とは際立った一線を画している。参加していてとても気持ちがよい。

 この夢街道は甲州街道の終点、下諏訪の諏訪大社の前から出発して、日本橋までの215KMを走るものだが、諏訪大社の標高が約600mだから、基本的には下りになっている。
走っていても下りが多く、そうした意味では走りやすいのだが、途中に2箇所厳しい峠越えをしなければならない。笹子峠と大垂水峠で、特に笹子峠が厳しい。甲州街道最大の難所と言われた笹子峠は標高が約1000mである。

 笹子峠を通過する時間帯は夜だったが、ほとんどの人が歩いていた。2~3時間あるいて、まだかと思う頃にようやく頂上に到着した。下りは駆け下りるだけだが、懐中電灯の明かりだけでは道路の状態がわからず、足先を上げて走らないと転ぶ
私は経験上このことを知ったが、それまではよく転んだものである。

 次の難所、大垂水峠を越えると約160km地点で、あと50kmになっているのだが、実際はここからが難しい。ほとんどの人が身体が動かなくなっており、精神力だけで動いている。

 私も両足の激痛に悩まされたが、しばらく我慢して走るとマヒして感覚がなくなるので、あとは精神力でカバーした。
実を言うと私自身は精神力が弱いほうだが、今回ばかりはブログで宣伝したためなんとしてでも完走しようと言うバネが効いたようだ。
まあ、山崎さんたらブログでは格好つけていただけなのね」なんてコメントされたら大変だ。

 この日は東京は土砂降りの雨で、合羽を着てはいるが体温の低下に悩まされた。走っているときはなんでもないのだが、歩くと寒さがひとしおだ。
私は途中のコンビニで傘を購入して歩いていたが、途中で完全に足に来ていた走者に会った。身体がふらついており振るえまできている。
私も実はこの走者と同じ状態だったのだが、私の場合は筋トレが効いていて、たとえふらふらになっていても身体を支えることができていただけマシだ。

 しかしまあ、なんとしても完走できたことはうれしい。200kmを越すレースの対処方法も分かった。また病みつきになりそうだ。

 最後に来年度、このレースで完走したい人のためのアドバイス

快適に走りきるためには、事前に100Km走を2本程度走っておく。

とりあえず完走を目指すなら、私のように50km走を3本程度走る事で可能だが、最後の50kmは死の苦しみになる。ここは精神力でしのぐより手はない。

| | コメント (0)

(23.8.20) 夏休みシリーズ NO14 ブログは実に面白い

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは浜頓別から宗谷岬までの約65kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。
23725_133

 
私はすでに4年以上も毎日ブログを記載しているが、なんともこのブログとの相性がいい。これがなかったら私は外部に自分の意見を発信することもなく人生を終わっていただろう。

(19.9.30)ブログは実に面白い

 私がこのブログを立ち上げたのは昨年の11月であり、本格的に更新を始めたたのが今年の1月からである。したがってブログ経験としてはほぼ9ヶ月なのだが、その間毎日更新をしているうちにブログというものの本質が分かってきた。

 実際やってみるとこんなに面白い作業はなく、一人で作者と編集者を兼ねているようなもので、最近はさらにジャンルも写真や作詞にまで広がって総合芸術みたいになってきた。
しかもこおしたことを、一人で何でもできるというのがブログの本質で、大げさに言えばレオナルド・ダ・ビンチになったような感覚だ。
これはルネッサンスと同じではなかろうか。表現芸術のルネッサンスだ」興奮してしまった。
 
 しかもこうした作業環境はまったくタダなのだから、一昔前の人がこの状況を見たら腰を抜かしてしまいそうだ。
すべてがタダになっていくのがブログの世界だ」再び興奮してしまった。

 ブログ経験から言うと、ブログを立ち上げるのはそれほど難しいものではない。誰でも立ち上げることだけならすぐにできる。難しいのは継続することで、そのためにクリアーしなければならない課題がある。

 ブログを立ち上げるときは、コンテンツの課題と技術的な課題がある

 コンテンツは本人が世に問いたいことの内容だから、それがなければそもそもブログを立ち上げることすらできない。ただなんとなく日記を書いていると三日坊主に終わってしまう。
だから最重要事項ではあるが、あくまで個人の資質等にかかわる問題なので、ここではこれ以上論じない。

 一方、技術的な課題は、非常に初歩的だが、実に重要な課題で、これは経験者に聞くのが一番だ。

 どのブログが最もユーザのためにすぐれているかとか、あるいはそのブログの弱点だとか、写真の掲載の仕方はバリエーションがあるとか、音声の発信の仕方とか、リンクをどうはるのが一番よいか等である。

 慣れている人にとってはなんでもないことだが、これらのことは初歩の人にとって判断をするのが難しく、そのための技術的サポートはやはり必要だと思う。

 いつかそうした内容について分かりやすい記事を書いてみたいのだが、いざ書くとなると時間がかかりそうだ。
それまでは、このブログ上に時々記事を書いて、ブログを立ち上げたいと思っている人の参考になったらそれで十分だと言うことにしよう。

| | コメント (1)

(23.8.19) 夏休みシリーズ NO13 やせる

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは美深から浜頓別までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_118

 私は引退してから非常にやせてきた。職場にいた頃は65kg前後はコンスタントにあったのに、この頃から60kgに急速に近づいてきた。ランナーとしては良い身体だが、はっきり言って貧相になってきた。

(19.9.21)やせる

 信じられないことが起こっている。体重が60kgを割ってしまったのだ。この体重は私が小学校6年生のときの体重と同じで、40年たって小学生に逆戻りしてしまった。

 つい数ヶ月前までは62~63Kgだったのだから、この数ヶ月で急激に体重が低下したことになる。理由は明白で甲州夢街道シルクロード215Kmのトレーニングと称して、この暑さの中を無理して走り回ったせいである。

 特に8月末から今日(
20日)まで、毎週1回は50km前後の長距離走を行い、長距離走をしないときは20km程度の中距離走をおこなったら、身体から脂肪がほとんど落ちてしまった。
体脂肪率は13前後になってしまい、鏡を見ると筋肉と皮という感じで、ランナーとしては申し分ないのだが、かみさんから言わせると
ひんそー、ひんそーして格好が悪い」のだそうだ。

 そおいえばかみさんと結婚したころは67kg程度あり、筋肉がもりあがって、小柄なシルベスター・スタローンみたいだったから、かみさんにそう言われるのは無理ない。

 私は当時から筋肉トレーニングをおこなっていたので、ボディービルダーのような身体だったのだが、今は不要な筋肉はすべて落ちてしまい、ランナーとして必要な最低限の筋肉しか残っていない。

 先日清掃活動をしていたら、時々四季の道で会う、1日20kmの散歩をしていると言うAさんから足をほめられた。
じつに、筋肉の張った立派な足をしてますね、うらやましい
足をほめられたのは初めてだが、何かとてもうれしかった。

まだまだ、足だけは若者なみだ」有頂天になりそうだ。

 実は最近老化現象になやまされている。頭ははげてしまい、耳は聞こえなくなり、老眼はすすみ、記憶力は衰えるだけ衰えた。さらに坐骨神経痛まで出ている。
こおした中で、若さを保っているのが足だけのようだが、何もないよりよっぽどマシだ。

よし、これからは足だけで生きよう」なんて妙に興奮してしまった。

| | コメント (0)

(23.8.18) 夏休みシリーズ NO12 失敗記 職業選択の巻

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは旭川から美深までの約100kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_114

 私は若い頃からボランティア精神が旺盛だった。人生をそうした職業について一生を暮らせられたらどんなに幸せかと思い、海外青年協力隊に応募したものだ。

(19.9.10)失敗記 その9

 若いうちは自分がどのような能力があるのかも分からないし、どのような職業を選んだらよいのかも分からない。しかし直感のようなものがあって、一度はそうした仕事につきたいと思うものらしい。
だが多くの人は直感ではなく、世の習いにしたがって職業を選び、年をとってから苦い思いにかられる様だ。
私の場合もそうだった。

職業選択の巻

 青年海外協力隊と言うものをご存知だろうか。20歳から39歳までの若者を対象に、主として低開発国に2カ年間、何らかの支援を目的に送り出す事業である。
若者であるからほとんどが技術者ではない。いわば情熱だけで現地に溶け込み、教育や簡単な医療や、スポーツの手助けをするボランティアだと思えばよい。ただし最低限の生活費は支給してもらえる。

 元々はアメリカで始まった平和部隊が手本で、日本では1965年から派遣が始まり、現在まで約3万人がアフリカやアジアや中南米を中心に派遣された。今現在活動している人員はおよそ2500名だそうだ。

 実は、私が大学を卒業したのは1970年であり、青年海外協力隊の創業期にあたる。
ある日、青年海外協力隊の募集要項をみて、勇んで応募に駆けつけた。海外で生活することも魅力だったが、何よりも低開発諸国の人々に役立つのだと言うことが、若者の心を奮わせた。

 事務所で「
是非、青年海外協力隊員として派遣してほしい」などと高揚した気分で応募の動機を話していたら、急にこの事務所のある人から別室に呼ばれてしまった。
その人は「
自分は君と同じ大学の先輩にあたる」と自己紹介をした後、信じられないようなことを言った。

青年海外協力隊に応募する人のほとんどが、いわば日本ではまともな職業に就けない人たちで、君のようにどのような会社でも入れる人間の来るところではない
だから君は日本の大手企業に入り、まともな生活をしなさい」と言うのだ。

 実際当時は高度成長期の真っ只中にあって、どこの企業も募集に血眼になっていた。望めばどこの企業にも入れたので、わざわざ海外の、しかも低開発国に行くのは「まともな職業に就けない人」か「つきたくない人」だったのは事実である。

 勇んでいただけ気持ちが落胆したが、結局私はこの先輩のアドバイスを聞きいれ、青年海外協力隊の応募はあきらめ、ある金融機関に就職した。
しかし61歳の今になって「
その選択が正しかったのかどうか」疑っている。

 その後の人生を振り返ってみると、私は会社人間としては異邦人だったし、出世とは縁遠い存在だった。いつも居場所の悪さを感じていたのも事実である。他に自分に適した仕事があるはずだと、シナリオライターを目指したり、国連職員を目指したりした。
しかし結局はこの金融機関に最も長く勤めた最年長の職員として退職した。本当に私以上の年配者は、この企業のトップただ一人だけだったのである。

 退職してから1年間立ったが、その間はボランティアしかしていない。主として
清掃ボランティアであったり、里山開発のボランティアであったり、小学校の草刈りやパソコンボランティアだが、実に楽しいのだ。
ボランティアだから報酬は期待できないが、一方ボランティアだから自由気ままにできると言うよさもある。

 こうしたことができるのも企業に37年間勤めて年金生活が可能になったからだともいえないわけではない。
一方、こんな楽しいボランティア生活なら、当初から青年海外協力隊に応募し、その後の人生をそおした活動に費やしても良かったのではないかとの思いにかられる。

 青年海外協力隊の事務所にいた先輩は、明らかに好意でアドバイスしてくれたのだが、私の場合は「不適切なアドバイス」だったのではなかったかと今にして思うのである。
こんなに楽しいなら、最初からボランティア生活すればよかった」そう思ってしまうのだ。

| | コメント (1)

(23.8.17) 夏休みシリーズ NO11 落書き消しのプロになるのは大変だ

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは富良野から旭川までの約65kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_101

私はここおゆみ野周辺の落書きを見つけては消し去るプロだが、当初はどのようにすれば落書きが消えるのか分からなかった。悪戦苦闘の末落書きの消し方をマスターしたが、こうしたことにもトレーニングが必要なことを知った。

(19.8.29)プロになるのは大変だ

 プロになるのは大変だ。例のおゆみ野四季の道の落書き消しのことである。
はちまんがた公園の落書き「
鎌取なめんな ○○復帰だ じごく見るなよ」は、剥離材でも手動のブラシでも落ちなかったので、電動ブラシで落とすことにした。

 知り合いのNさんが、新都市ライフ(UR都市機構の関連会社)の事務所から発電機を借りてきてくれた。電動ブラシも2台、Nさんが用意してくれた。
よかった、これならきっと消すことができる。パーフェクトだ
27日に二人で勇んで出かけたものである。

 発電機は初めて扱ったのだが、重さは本体だけで40Kg、ガソリンを入れるとさらに重くなり、一人で持ち運びをするのはとてもできない。私たちの車は四季の道に入る許可書がないので、近くの道路に車を止めて発電機を引っ張っていくのだが、それだけで汗びっしょりになってしまった。

 そんなにも努力をしたのに、やはり塗料が素材にしみこんでいる落書きは消すことができなかった。炎天下で約1時間ぐらい二人で電動ブラシで削ったが、水色の塗料がどうしても落ちないのだ。ほこりと汗で身体がべとべとになってしまった。
これは、他の方法を考えた方がよさそうだ。素材と同じような色の塗料で上から塗ってみたらどうだろか。D2で塗料を買って来よう
一旦作業を中止した。

 この日は、はちまんがた公園以外に、「扇田小学校の近くの道路下」「はるの道橋の下」「千葉南警察署近くの公園」の3箇所の落書きを消す予定にしていたので、そちらを先に消すことにした。

「扇田小学校の近くの道路下」の落書きは一旦は私が消しておいたのを、電動ブラシでパーフェクトに消そうとしたのだが、これも完全というわけにはいかなかった。
でこぼこのコンクリートにしみこんだ塗料は、どうやっても残ってしまう。コンクリートの粉塵をたっぷり吸い込んで気持ち悪くなってきたので、「
気にしなければ気にならない」程度で作業を中止することにした。

はるの道橋の下」は落書きを消した塗料の上に、さらに落書きをされていたので、とりあえずスプレーで落書きを消しておいた。
これは全面塗り替えが必要なので、機会をみて実施することにする。

千葉南警察署近くの公園」の落書きは硬いレンガの上にされており、塗料が材質の上に付着していただけなので、レンガ部分は剥離材で簡単に消えた(ただしレンガとレンガの間のコンクリート部分は剥離材では消えない)。
この種の作業はいたって簡単なのだが、欠点は剥離材の価格が高く、すぐになくなってしまうことだ。
一缶2000円程度で、通常1箇所程度しか消すことができない。
剥離材を使用する作業が増えると、年金生活者は破綻してしまう。
家計を考えながらボランティアをしなさい
かみさんからいわれそうだ。

 はちまんがた公園の落書きは、再度トライし試行錯誤をおこなったものの、最終的には同種の塗料を塗って文字を見えなくして終了した。
うぅーん、難しい」天を仰いでしまった。

 朝の10時から、午後の3時までかかったが、この日はひどい残暑で,Nさんが用意してくれた麦茶のボトルがなかったら日射病で倒れたかもしれない。ふらふらになったが、Nさんはさらにこれから仕事があるのだから大変だ。

完全に消し去ることができるかと思っていたが、なかなかそお言うわけにはいかないな
作業の割には成果が今一で、勇んでいた分気落ちした

 まあ、それでもあまり気を落とすのはやめよう。落書き消しの道も険しいのだ。これからも「すべてこれ修行」と思って精進することにしよう。

(注)はちまんがた公園の落書きについては、クリーンクラブのF姉さんが緑土土木事務所(
F姉さんから土木事務所でなく緑公園緑地事務所が正しいとのコメントが入っています)に連絡してくれたので、事務所が28日に全面塗装をして、落書きを消してくれた。
はちまんがた公園については、F姉さんがチェックしてくれているので、今後はF姉さんに任せることにしよう。

今回の作業結果を写真で掲載しますので、どの程度落書きを消し去ることができるのか確認してください。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19828

なお、本件と関連するブログは以下のとおりです
・落書き消しは大忙しだ

| | コメント (0)

(23.8.16) 夏休みシリーズ NO10 朗読のスパルタ・トレーニング

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは新得から富良野までの約75kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。
23725_096

 ちはら台走友会のメンバーの女性でちはら台のコミセンで朗読会を開催しているYさんから、乙川優三朗の磯笛と言う本の朗読を頼まれた。当初はなんてことはなかろうと安請け合いをしたのだが、徹底的にYさんに絞られた。朗読のおくの深さをしみじみと感じてしまった。

(19.8.24)スパルタ トレーニングが始まった

 トレーニングを受けている。例の乙川優三朗(おとかわ ゆうざぶろう)著、磯笛という短編小説の朗読のトレーニングである。場所はちはら台コミュニティーセンターだ。

 Yさんはこの道のプロで、普段はとても優しい感じの女性なのだが、こと朗読になると相手が誰であっても容赦はしない。私のように61歳になった老人までもスパルタ教育でしごくのだからすごい。

 考えてみれば朗読なんて中学生の時を最後にしたことがない。その後は黙読中心で、しかも年齢を重ねるにしたがって漢字を読みではなく形で理解するようになっていたので、いざ音に出すと意外と間違った読みをしてしまう。

 Yさんは私が少しでも間違がったりすると、小学校の先生のように丁寧に間違いを指摘する。
山崎君、もう一度読んでご覧なさい
山崎君、内容をちゃんと理解して読むのよ。字面だけ追ってはだめ
山崎君、言葉にも感情があるの。棒読みになってるわよ

 自分の朗読を録音して聞いてみたが、会話部分はともかく、説明文はただ読んでいるだけで、聞いてもちっとも面白くない。
聞いてる人はあくびがでそうだ」がっかりしてしまった。

 Yさんによると「まともな朗読をするためには、1週間に2回、2時間ずつのトレーニングが必要です」というのだ。えらいことになった。
こちらはボランティアの朗読だから、適当にとちってもいいと考えているのだが、「努力をすれば必ず報われます」なんて人生訓まで言われてしまった

 間違わないように読もうと緊張したり、精一杯抑揚をつけようとして胃の調子がおかしくなった。例によってしくしく痛むのだ。楽しい定年生活はどこにいってしまったのだろう。
かみさんは「鼻の下が長いからこうなるのだ」なんて言って、まったく同情してくれない。

 9月末の朗読会までは約束だからがんばるが、朗読は今回限りにさせてもらおう。
山崎君、とてもよかったわよ。またがんばろうね」なんていわれても、「ぼくちゃん、もう朗読はしないの」ときっぱり断ろう。

 その時はできるだけ鼻の下を短く見せることが大切だ。

このブログと関連する記事は以下のとおりです
磯笛の街 外川(とかわ)
これはピンチだ
朗読 本の世界へのいざない

| | コメント (0)

(23.8.15) 夏休みシリーズ NO9 犬のウンチに切れそうだ

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは忠類から新得までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_081

 私は毎日四季の道約6kmの清掃活動をしているのだが、最初は犬のウンチの処理にてこずった。今では何気なく処理をすることができるようになったが、そうなるまで数年の訓練が必要だった。

(19.8.14)犬のウンチに切れそうだ

 夏休みに入ってから、四季の道の犬のウンチの処理に追われている。どうやら夏休みの期間中は、子供か学生が犬の散歩をさせるらしく、大人と違って犬のウンチの処理をしないことが原因らしい。

 四季の道のなかでも、千葉南警察近くの秋の道に毎日のようにしているウンチはサツマイモのように巨大で、量も半端ではない。昨日(13日)は8個もあった。

 ほっておくと自転車や靴で踏まれて、路面が黄色く染まってしまうので私は見つける都度処理しているが、だんだんと気持ちがナーバスになってきた。
なんで、私が毎日、この巨大なウンチ処理をしなければならないんだ。いい加減にしろ」大声を出しそうだ。

 この巨大ウンチをみるたびに「もう知らん。飼い主の責任だ」と思う一方、「この道を気持ちよく散歩したりJOGをしたりしている人のために何とかしなければ」という思いに気持ちが引き裂かれる。

 結局ウンチ処理をすることになってしまうのだが、やはりこのままでは私自身が切れてしまいそうなので、対応策を考えることにした。

 当面は、小谷小学校のつつじと同じように、ウンチ場に注意文書をはっておくことにした。
いつもこの場所で犬の糞をさせている方へ。毎日私が清掃していますが、老人なので限界です。どうか自分で処理をお願いします。(写真添付)」
 
これでしばらく様子を見てみよう。

「亀ゴン、この巨大ウンチにはもう我慢できない。切れてしまいそうだ。もう犬のウンチ処理なんてしたくない
先生、まず冷静になってください。先生は四季の道の清掃担当のアンカーなのです。先生が切れてしまったら、おゆみ野クリーンクラブの他のメンバーはどうしてよいか分からなくなります

もうアンカーなんかいやだ
人には定められた運命があります。先生が四季の道の清掃を始めてから13年。その間先生の活動に賛同してくれるメンバーが7名も増えたのです。いまさらアンカーを降りるわけにはいきません

でも犬のウンチ処理が私の運命なんてひどすぎる
「とりあえず、注意文書を作って、秋の道に掲載しましょう。これで効果がなかったら次の方策を考えましょう

うぅーん、 亀ゴンは本当に冷静だ

| | コメント (0)

(23.8.14) 夏休みシリーズ NO8 失敗記 真珠腫性中耳炎の巻き

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは襟裳岬から忠類までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_057

 おそらく私の人生での最大の失敗はこの真珠腫性中耳炎になったことだろう。最近では手術をした右の耳はほとんど聞こえず、左の耳もかなり危うくなった。人との会話にも支障が出ていて聞いているそぶりをすることが多くなっている。

(19.7.23)失敗記 その8 

 健康に対する過信は、限度を越えるとその後の人生に大きなマイナスの影響を残す。私の中耳炎から真珠腫(しんじゅしゅ)性中耳炎への移行、そして手術の過程はまさにそうしたものだった。

(真珠腫性中耳炎の巻き)

 私は若かった頃、極度に健康に自信があった。どんな風邪でも一日布団に入って寝れば直ったし、そもそもほとんど病気になることはなかった。
若者は病気にならないし、ほっておいても直る

 私が大学1年のとき、愛知県常滑市で水泳部の合宿がおこなわれた。当時私は水泳部で最遅のクラブ員だったが、日夜クイックターンの練習をさせられた。
その過程で中耳炎にかかったらしが、合宿の打ち上げで常滑の海岸で素もぐりをして楽しんだため、さらに症状が悪化した。
数日後、耳垂れがでてそれが固まり外耳をふさいでしまったのである。

 本来なら、その段階で医者に行き、中耳炎の治療をすべきだが、私は過信して医者に行かず、耳掻きで塊をほじくりだした。
中耳炎なんて、こうすれば直る

 当時は気がつかなかったが、無理に塊を掻き出したため、鼓膜に穴が開いてしまったらしい。その後は海で泳ぐたびに、中耳が痛み、耳垂れが外耳をふさいだが、同じように耳掻きで掻きだしていた。

 30歳頃から症状はだんだん悪化し、毎年冬になるとひどい風邪をひくようになった。一週間程度症状が抜けず、中耳は常時痛み、そのたびに耳垂れが外耳にこびりつく症状に悩まされた。
この頃はさすがに医者に通っていたが、医者の治療は通常の中耳炎の治療をでなかった。
しかし、年々症状は重くなる。
これは、おかしい。なにか重症の耳の病気ではないかしら

 思い余って、順天堂大学の付属病院で検査を受けた。36歳のときである。
これは真珠腫性中耳炎だな、手術をしないとだめですね

 真珠腫性中耳炎の知識のない人のために説明すると、中耳炎のなかで最も悪質な中耳炎だと思えばよい。内耳に真珠腫という、まさに真珠のような塊ができて、それがだんだん大きくなり内耳を壊してしまうほど大きくなる。
内耳のそばには神経の束があるので、ここが圧迫され症状としては常時めまいがし、最終的には死にいたる怖い病気だ。

 幸いにも、当時順天堂大学のエースと言われた助教授が手術を担当してくれて、真珠性中耳炎は全快したのだが、右の耳の聴力は極端に低下し、ほとんど聞こえなくなってしまった。
でも、まあ、左の耳が聞こえるからいいや

 実はこれが過信であることはすぐに分かった。左の耳のも軽い中耳炎があり、当時でも普通の人の80%程度の聴力しかなかったが、年齢を重ねるにしたがって、聴力はますます落ちてきた。

 今では、NHKのニュース以外はまともに聞こえず、それも音量をかなり高くしないと聞こえない。通常の会話でも半分ぐらいしか聞こえないので、想像力で聴力を補っている。日常活動の不便はひどいもので、マクドナルドの女性の早口なんかは、ひばりのさえずりだ。

 こうなったのも、若い時代に健康に過信し、自分勝手な治療で満足したからだと思うと、自業自得といえる。
しかし耳がまともに聞こえない不便さは想像以上で、これが健康面での私の最大の失敗になっている。

| | コメント (1)

(23.8.13) 夏休みシリーズ NO7 会社の同期会

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは浦河から襟裳岬までの約55kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。


(19.7.15)会社の同期会

23725_032 この記事は珍しく私が勤めていた会社のことについて記載したものだ。

 会社の同期会が先日開催された。私が会社に入ったのは昭和45年だから、今から37年前の同期生ということになる。私が勤めた会社はある金融機関だったが、同期生は29名だった。
 途中で1名病死したので、28名がこの会社に留まった。そして53歳前後まで働き、そしてその後関連会社の役員等を務めているのが、最も平均的な人生航路になっている。

 同期会は毎年開催されているが、出席するのは15名前後で、メンバーは固定傾向にある。集まるのは相応の地位と名誉があってどこにでも喜んで出席する人か、当初から出世に無頓着で、自分の人生を歩んだ人で、幸か不幸か私は後者に含まれる。

 一番難しいのは中途半端に出世した人で「俺の人生はもっと華やかだったはずだ」と思っている人は、心にわだかまりがあるため、こおした同期会には出席しない。

 宴がたけなわになる頃、各人が5分程度の近況報告をするのだが、報告内容が今年はとても淡白になってきたように感じた。
 ある会社の社長をしているA氏は、以前はその業界の将来像と自分の役割について、熱っぽくしゃべっていたが、今回は「社長は、仕事をしないのが一番で、社長が先頭に立って仕事をしている会社は部下がそだたない」と言ったのには驚いた。

 実はA氏だけでなく、ほとんどの人が引退時期が来たためか、第二の人生をどう過ごすかに触れており、会社人生が最後のコーナーに差し掛かっていることを彷彿とさせた。
 かつては仕事のことしか話さなかった人が、老後生活のビジョンを述べている。

 私の場合は、すでに昨年の八月に会社を退職しており、ボランティア人生を送っているので、そのことを話したが、全員が興味を持って聞いてくれるのには驚いてしまった。
 従来は私の生き方は異端であり、出世競争を無視してマイペースで生きる生き方は、同期の人からは「まあ、山崎は特別よ」と見られていたのが嘘のようだ。

こう見渡してみると、身体も心も元気なのは同期のなかで山崎だけだ」ある総研の社長をしているB氏の評価である。
 心はともかく、身体が壮健なのは確かだ。毎日、2時間の清掃活動と、同じく2時間のJOG、それと2時間のブログ作成が日課になっており、これ以上規則正しい生活はないのだから、身体はいやがうえにも健康になってしまう。

 金融機関における人生行路をご存知だろうか。
 私が勤めた金融機関では、通常同期の人の中から2名前後が役員になり、他は53歳前後で関連会社か、一般企業の役員になって出て行くことが多い。
 定年は一応60歳だが、男性の実質的定年は55歳で、実際はそれ以前に役員候補以外は退職をする。55歳以上でまだ勤務すると年収がそれまでの60%にカットされ、役職も解かれ、退職金の割増支給もないため、企業に残る人は女性のみになっていたのが実情だった。

 実は私はこの企業に60歳まで勤めたのだが、これは異例中の異例と言える。人事部から関連企業への転出を斡旋されたが「私は、この企業に60歳まで残ります」と言って斡旋をけったものだから、人事部が頭を抱えてしまった。
 それでも今までの私の生き方を知っていた人事部長が「まあ、山崎は特別だから、いいことにしよう」と認めてくれたのには心から感謝をしている。

 昨今はさらに62歳までの定年延長が認められたが、この場合は月収がほぼ20万円程度に押さえられる。月収と年金で生活できるレベルが月収20万円の根拠になっているらしい。
 私は60歳で、この企業をやめて第二の人生を歩むことにしていたので、さすがにこれ以上勤めることはしなかったが、この20万円のレベルは60歳以上の人ではまあまあの世間相場であることを後で知った。
なるほど、世の中は厳しい」正直な感想である。

 こおして今年の同期会は終わった。不思議なことに入社時の和気あいあいとした雰囲気が、退職が近づいて再び出てきた。
これからの第二の人生は山崎みたいに生きたいものだ」誰も明確にそお言ったわけではないが、そおした雰囲気はひしひしと感じられた。

| | コメント (0)

(23.8.12)  夏休みシリーズ NO6 吸血鬼 亀ゴン

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは門別から浦河までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。


私の家にはカメゴンと言う陸ガメがいるのだが、その陸ガメを題材にいくつかの物語を作ってみた。

23725_030

(19.7.12)吸血鬼 亀ゴン

 先日、「陸ガメ王亀ゴン」という、シートン動物記の「狼王ロボ」を凌駕する作品を作ったのだが、意外と亀ゴンから不評をかった。

 亀ゴンから言わせると、「陸ガメ王は狼王と違い、車寅次郎にそっくりで、放送大学の優等生としては到底認めがたい作品だ」と言うのだ。

どのようなイメージならばいいのかい
厳があり、人がひれ伏す怖さが必要だ。車寅次郎は絶対に駄目だ

 仕方がない。亀ゴンのために第2作を作ることにした。
威厳と怖さの象徴のような「吸血鬼 亀ゴン」に登場してもらうことにした。

吸血鬼 亀ゴン

 トランシルヴァニアのドラキュラ伯爵にとって、由々しき問題が発生していた。ドラキュラ伯爵は処女の生血を吸うことで、その若さを保っていたのだが、過疎化が進み、トランシルヴァニアの村々から処女がいなくなってしまった。

 残ったのは老人ばかりになり、ドラキュラ伯爵は老婆の生血を吸うたびに、老いさらばいてしまい、すっかり生血を吸うことがいやになった。
もう、ばあちゃんの生血はいやだ。これからは菜食主義者になる

 ドラキュラ伯爵は有機農法をはじめ、城のあちこちに菜園を造り、新鮮なトマトや野菜を食べて幸せな日々をおくっていたが、このことにいたく憤慨している集団がいた。
ドラキュラ組合である。
このままでは、トランシルヴァニアから恐怖と威厳が消える。何とか手をうたねば

 数度の慎重な協議を重ねた結果、亀ゴンをトランシルヴァニアの地に送ることにした。
 なにしろ亀ゴンは「陸ガメ王 亀ゴン」であほ扱いされてしまったために、「威厳と恐怖」の再評価を得ようと起死回生のチャンスを狙っていたからである。

 「威厳と恐怖をトランシルヴァニアの地に与えよ
 亀ゴンはドラキュラ組合の最後の切り札だった。

 亀ゴンが颯爽とトランシルヴァニアの地に向かったのは言うまでもない。さっそく「威厳と恐怖」を示すために処女を探したが、あいにく人間の処女は皆無だった。

仕方ない、こうなれば亀の処女の生血を吸おう
トランシルヴァニアの亀社会は恐怖のどん底に落ちた。すべての処女亀が、亀ゴンの餌食になり、吸血亀に変わってしまったからである。

 亀ゴンは得意の絶頂にあった。
見よ、亀社会は振るえおののいている

 しかし、ドラキュラ組合には不満が鬱積していた。
亀社会の恐怖とは別に、人間社会は菜食主義者のドラキュラ伯爵の下で、平穏で幸福な日々を過ごしていたからである。
 そこで、ドラキュラ組合から亀ゴンに第2の指令が発せられた。

人間の中で、亀という字を名前に使用しているものの生血を吸え
 再び、人間社会には恐怖の只中に追い込まれた。亀ゴンが指令を忠実に実行したからである。
 恐怖に駆られた、亀雄や亀太郎や亀子は競って市役所に駆け込み、名前の変更処理を依頼した。

早く、名前を亀子から花子に変えて」悲鳴と怒号が飛び交った。
 しかし不幸は重なるものだ。市役所のコンピュータは名寄せが十分に行われていなかったため、5000万件の未登録の名前があった。
 このため、名前の変更処理ができなかったのだ。

 その間、亀雄や亀太郎や亀子は亀ゴンの餌食になり、亀の吸血鬼のオンパレードになってしまった。

 こうして、再び人間社会は恐怖の只中に追い込まれ、ドラキュラ組合の期待どおり、亀ゴンは威厳を回復したと言う。

 どうだろうか。これで亀ゴンの「威厳と恐怖」が保たれたと思うのだが

なお、このブログと関連する記事は以下のとおり。<a (陸ガメ王 亀ゴン)
 http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/19626_af4d.html

| | コメント (0)

(23.8.11) 夏休みシリーズ NO5 トランス蝦夷1100km

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは栗山から門別までの約75kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_069
 
かつて書いたトランスエゾの記事が出てきた。再録しておきます。


(19.5.18)トランス蝦夷1100km

 トランス蝦夷1100kmと言うマラソンレースをご存知だろうか。普通の人はほとんど知らない。ランナーでもこの種のレースに参加することはまれだ。毎年夏に北海道で開催される。選手は30名前後のマイナーなレースだ。内容をご紹介しよう。

 ステージマラソンと言う。毎日決められた距離を走り、1100kmを走破する。トランス蝦夷1100kmは2週間かけて、最北の宗谷岬から、最南端の襟裳岬までを往復する。往路と復路の道は違い、往路は北海道の西側を走り、復路は東側を走る。
一日の平均距離は約80kmだ。国土地理院の地図が渡され、それで道を確認しながら走る。
昼間は道に迷うことはまれだが、日が暮れると目印が見えなくなり、道をしばしば間違えてしまう。
制限時間があり、それを越えると失格になる。ただし制限時間はかなりゆるい。

 通常は朝5時ごろにスタートして、夕方の6時ごろに到着する。食事をして風呂に入って、翌日のコースの説明を聞いて寝る。寝る場所は設定されており、途中でリタイアしても、収容車はないので、次の寝る場所までは何とかしてたどりつかなければならない。
北海道の公営の交通事情は極端に悪いので、バスか鉄道が走っているところまでは、歯を食いしばってでも行き着かなければならない。リタイアも大変なのだ。

 このレースでは、サポート隊は許されてないので、必要なものはすべて背中に背負って走ることになる。ポイントはできる限り荷物を軽くすることで、着替えや懐中電灯のような装備は出きる限り省く。
私は当初、使い捨ての写真機や、髭剃りや、ジャージやシャツやパンツを持っていたが、最後にはすべて捨ててしまった。さすがにパンツを捨てた時は自分でも笑ってしまった。
ほとんど着たきりすずめの状態になる。疲労が重なると、重いことに耐えられないのだ。

 私はこのレースに3年前に参加したが、残念ながら完走していない。走行距離は約900kmである。最初に飛ばしすぎて、足の指に水ぶくれを作ってしまった。このレースでは早く走らないことが完走の絶対条件になる。

 毎日指の水を抜くのだが、だんだんと化膿して、小指の肉が露出するようになった。
走ると、肉が靴に直接当たり、飛び上がるほど痛い。それでも5分程度我慢して走ると、足の感覚がなくなって痛さはなくなる。しかし肉の切れ込みはだんだん深くなり、麻痺するのに時間もかかるようになる。休むと感覚が戻るので、休むこともままならなくなる。
麻痺に15分程度かかるようになって、気持ちがなえてしまった。そしていくつかのステージをスキップした。

 

| | コメント (0)

(23.8.10) 夏休みシリーズ NO4 フラバサイト再録

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは北竜から栗山までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_063

 この記事はフラバサイトの採録です。

(19.5.16)フラバサイト再録(その副作用)

 育毛剤のフラバサイトを止めてからほぼ2週間になる。フラバサイトは実に良く効く育毛剤で、もう少しで頭頂部が隠れる寸前になっていたが、惜しいことに副作用がでた。夜中に急激に喉が渇き、ほとんどつばが出なくなるのだ。喉が焼きつくように痛い。
副作用には勝てないので、使用をやめた。

 その後2週間たち、予想したとおり急激に頭髪が抜け出した。当初は「禿でなぜ悪い」と居直っていたが、鏡を見るたびに薄くなる頭を見ていると気もそぞろになる。
何とかならないだろうか」心の弱さを露呈してしまった。
日夜考えていたら、ありとあらゆることが頭髪に関係するように見えてきたのだから不思議だ。
かつて、愛した和歌や俳句が実は禿の歌だと気が付いた。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

新解釈
「人生の秋を迎えると、傍目にはわからなくても本人にとっては自覚できる程度に、毛が抜けてくる。いまでは風が吹いただけで毛が抜けるので、風が吹くと思わず頭を抑えてしまうのだ」

夏草やつわものどもが夢のあと

新解釈
「たわわにあった夏草のような髪の毛も、今はまったくなくなってしまった。禿げ上がっている頭にも、毛根だけは残っているのだなあ」

東(ひんがし)の野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ

新解釈
「前の方から見ると、陽炎のようにわずかに頭髪が生えているが、後ろから見るとお月様のように頭が禿げ上がっている。人生の終末を感ぜざる得ないのだ」

やせがえる負けるな一茶ここにあり

新解釈
「やせかえってしまった頭髪を気にしている君よ。この一茶の頭は丸坊主ではないか。私と勝負したら、君のほうが頭髪は多いよ」

 とりあえずフラバサイトを復活したが、毎日つけると副作用に苦しむので、2日に1回にして様子を見ている。

 
禿の人生はなかなか難しい。

| | コメント (0)

(23.8.9) 夏休みシリーズ NO3 副作用がでた ハゲ対策

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは羽幌から北竜までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

23725_057


(19.5.3)副作用が出た ハゲ対策

 やはり副作用が出てしまった。育毛剤のことである。昨年の末頃から花王のフラバサイトを愛用してきた。うれしいことに髪の毛が抜けなくなって、悩みの頭頂部が隠れる寸前になっていた。しかし副作用が出たのだ。

 かつて大正製薬リアップをつけていたときは、急激に心臓が痛むようになってマラソンでスタートダッシュができなくなってしまった。幸いリアップを止めたら心臓の痛みから解放されたが、よく効く育毛剤には副作用があることを知った。

 実はフラバサイトもあまりに効果があるので、ひそかに副作用を恐れていたが、今回はひどい喉の渇きに悩まされることになった。昼間はそれでもすぐに水を飲むことで対応できるが、夜の渇きには思わず何回も目が覚めてしまう。喉がからからで、信じられないことにつばがまったくでない。大げさに言えば焼きつくような痛さだ。
枕元に水差しを用意して寝ることにしたが、あまりの乾きに耐えかねた。

 原因はすぐに判明した。私の場合は、普段ほとんど薬というものを飲まない。常備薬としては、胃が荒れたときに飲む正露丸と、風邪をひいたと思われるときに飲むルルがあるだけである。。
今回は、正露丸もルルも飲んでいなかったので、フラバサイトをやめたとたんに喉の渇きがなくなった。

 それにしても残念なことだ。効果のある育毛剤はすべて副作用があり、一方副作用のない育毛剤は効果がない。
育毛剤が駄目だとなると、考えられるのはカツラだが、実はこのカツラには決定的な弱点がある。なにしろ高価すぎる。かつてアデランスアートネイチャーを研究したときに、その価格の高さには目を剥いた。

 カツラ1個の値段は、50万から60万円程度なのだが、セールストークで「急に目立ってはお困りでしょう。ここは段階的増毛ということで、最終段階のカツラ以外に2種類の段階的カツラを用意しましょう
なんて話になって、不要なカツラを余計に必ず買わされてしまう。手入れの費用も考慮すると、 私が調べた段階で、初期投資として年間2百万円、その後毎年1個は買わせられるため、ランニングコストとして年間百万は覚悟しなければならない。

 その効果が子供たちからおにいちゃんといわれたい」だけだとすれば、これではいくらなんでも費用対効果のバランスが取れない。

 一方で私はデジタル生活をしており、すべてのソフトやシステムをほぼただで使用しているのに、カツラのために2百万円投資する気にならない。
そんなに高いなら禿のほうがましだ」居直ることにした。

 今回で、頭髪については一切悩むことはやめることにした。第一外に出るときは帽子をかぶっているので、禿隠しになる。風が強くて帽子が飛んだときは少し困るが、その程度は我慢の範囲だ。
子供たちから「
禿おじちゃん」といわれても、にこやかに笑うことにしよう。禿で死ぬことはないのだからおおらかに生きることにした。

| | コメント (0)

(23.8.8) 夏休みシリーズ NO2 英会話の巻

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは幌延から羽幌までの約85kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

22824_083

 何度かトライをした。自分としては十分に努力をしたこともある。それでもどうしても到達できない壁のようなものがあった。英会話の能力のことである。

(英会話の巻)

 英語、わけても英会話のことについて話すのはつらい。なぜこんなにも無能なのかという話になってしまうからだ。息子や娘を見てみると、高校や大学の成績は良いとはお世辞にも言えないのに、楽々と英語を話している。

 私は子供たちに比較して学生時代の成績は良かったし、英語の読解力はそこそこあるのに、英会話となるとまるで児戯に等しい。読むことはできても会話ができないという、日本英語教育の典型的な生徒になってしまった。

 自分の欠点は十分に理解していたので、英会話の訓練もかなり実施した。NHKの英語番組は欠かさず見たり、NOVAのような英会話教室に通ったり、一時はウォークマンで英会話のテープを会社の行き帰りに聞いていた。

 特に私が勤務していた会社は、海外に数支店を持っており、国際関連の取引が活発だったから、英語の習得を熱心に支援した。
はっきり言ってしまえば、「会社のもっとも日のあたる場所で仕事をしたいのなら、英語、わけても英会話の能力を磨け」ということだ。

 私もサラリーマンだから、何とか英語の能力を認めてもらい、国際畑で仕事がしたかった。私のいた会社ではトッフルリーディングヒアリングのテストが行われており、ここで最低でも600点を取ることが、国際畑で仕事をする条件になっていた。しかしどんなに努力しても私の成績は500点前後にとどまった。

頭が悪いのかしら、耳が悪いのかしら
 実を言うと、私の右耳は真珠腫性中耳炎の手術をした後、極端に聴力が落ちている。左の耳もあまりよくない。原因を頭の悪さにするのはつらい。耳が聞こえないことが原因とすることにした。

耳が悪いのに無理するのはよそう。英語ができなくても会社を追い出されるわけではない。今の部署に骨を埋めよう

 その後、英語のことはすっかり忘れていた。私のいたシステム部門は、国際系システムを除いて、英語はほとんど必要なかったせいもある。そうして、定年退職を向かえた。昨年のことである。

 しかし、人間の運命とは分からないものだ。息子がオーストラリアの女性と結婚したために、親戚がオーストラリア人になってしまった。
こうなると耳が悪いので、英語など知らないなんて威張っていられない。早い話が結婚式では愛想良くオーストラリアの親戚と話をしなければいけなかったし、その後のe-mailのやり取りもある。

 息子のよめさんは日本語がたどたどしいので、英語でコミュニケーションをとらざる得ない。息子の友達もオーストラリア人が圧倒的に多いので、会話は英語だ。
しかも信じられないことに、嫁さんのお母さんが日本語の勉強を始めた。70歳である。60歳の私が弱音を吐くわけには行かなくなった。

もう一度、がんばろう。何とかして最低限のコミュニケーションがとれるレベルを目指そう。そうしないと親戚とも会話ができない
 そう決心して、日常英会話の本とCDを買ってきた。今度は英会話をしなければならない必然性が高いので、うまく行くかもしれない。
 嫁さんのお母さんと競争だ。

 そんな望みにかけて最後のトライをすることにした

| | コメント (0)

(23.8.7) 夏休みシリーズ NO1 失敗記 シナリオライターの巻

 現在私は夏休みに入っており、北海道で開催されているトランスエゾ1100kmに参加しています。今日のステージは宗谷岬から幌延までの約75kmです。
レースの模様はTwitter(
http://twitter.com/#!/yamazakijirou)で確認することができます。

22824_007

(19.4.8)失敗記 その6

 これは本当の話である。私は冗談が多いので、冗談と真実との境目がはっきりしないが、実際シナリオライターになろうとして、足掛け4年間奮闘努力した。
 そして、プロになれる一歩手前で挫折した。45歳前後の話で、約15年ほど前になる。

(シナリオライターの巻)

  東京にはいろいろな教室がある。放送作家教室もその一つで、プロのシナリオライターを養成するため、現役のシナリオライターが指導に当たっていた。
 金子成人氏や、布施博一氏や、竹内日出男氏といった日本のシナリオ界を代表する人たちがかわるがわる教師になって指導をしていた。
 
 当時の放送業界は、バブルがはじけた後もなお収益を十分確保しており、テレビドラマ制作に対し十分に資金をつぎ込むことができていたらしい。そのため、新人のシナリオライターの発掘が急務だったのである。

 生徒数は正確に何人か分からない。しかし常時300人程度はいたと思う。シナリオ教室はいつも満員だった。ここで生徒はプロのシナリオライターの指導を受けながら、4百字詰め原稿用紙で60枚程度の作品を、年間2本作成することが義務づけられていた。

 そして、年に1回、教室内のコンテストがおこなわれ、私は1989年度のコンテストで、優秀賞を取った。題名は「市民ランナー1990」と言う。
当時から私はマラソンが趣味で、よく神宮外苑でトレーニングをしていた。その経験と、私が勤務していた金融機関の渉外担当の経験をミックスして、うだつのあがらない職員が、マラソンランナーとして成功していく話を作ったのである。自分史に近い。

 よくシナリオ世界では、一本だけはすばらしい作品が書けるという。自分史を書くと、個性的で他人から見て大変興味のある話が書けるからだ。
ビギナーズラックとも言う。私の場合それだったのかもしれない。

 たまたまこのコンテストの審査委員に、日テレのディレクターがいた。私の作品を読んで、自分が担当しているテレビドラマで放送してもいいと言う話が持ち上がった。
私は舞い上がってしまった。
金融機関の仕事はアキアキだ。ようやく私も自由業者になれる。小椋佳みたいだ

 その後、日テレには何回足を運んだか分からない。金融機関の事務室と違っていつも騒がしく、ディレクターも何かいくつもの仕事を抱えて、集中できないような雰囲気だった。

山崎さん、私の持っている番組は2時間ものなので、2時間になるように書き直してくれませんか
 私は、1時間ものを、2時間物にして持っていった。
山崎さん、この題〔市民ランナー 1990〕じゃだめだな、題名を変えてくれませんか
 私は題名を〔友よ、風に向かって走れ〕に代えて持っていった。
山崎さん、すまん、時間がなかったので、まだ修正版を読んでない。次回までに読んでおくから

 私は放送業界の実情に無知だったが、当時私の置かれている立場は、プロ野球の二軍選手の立場とよく似ていた。レギュラー選手が怪我や故障で戦列を離れたときに、急遽ピンチヒッターで出てくる選手だ。
ディレクターはもしもに備えて、単に時間延ばしをしていたに過ぎない。しかし私の場合、いくら待っても出番が回ってこなかった。
このような状態が、ほぼ1年位続いた

 その間、私は何本かのシナリオを書き、いくつかのコンテストで、最終審査まで行ったが、いづれもその段階で落ちた。
この世界は、入選も落選も紙一重で、何かの偶然で入選したり落選したりするのだ。

 だから、もっとも確実な方法は、すでに社会的評価の定まった、シナリオライターを師として、そのライターの引きでデビューを果たすことだった。いわば徒弟制度のようなものだ。
しかし、45歳を過ぎて、徒弟になるのはつらい。その後もシナリオを書いていたが、だんだん情熱は薄れ、いつの間にか書かなくなってしまった。
まあ、シナリオなんて書かなくても、今の仕事で生きていける
 
 こうしてシナリオライターになる夢は破れた。

 だが、定年後、信じられないような時代が始まった。ブログと言うシステムが普及し、私は毎日ブログを書く生活をはじめた。書いても収入にならないことを除けば、かつて夢見たシナリオライターの生活そのものだ。

 うぅーん、だから、60歳になり、夢が実現したと喜ぼう。

| | コメント (0)

(23.8.6) 最後のレース トランスエゾ1100km

P7231046  
マッスルさん撮影 山崎編集

 明日から私がウルトラマラソンの最後のレースにしようとしているトランスエゾ1100kmが始まる。なぜ最後かと言うと身体が言うことを聞かなくなってこれ以上ウルトラマラソンをするのが無理だと思うからだ。
特に右足の坐骨神経痛は常時痛み、本当はマラソンのような競技を止めて水泳のような足に負担がかからないスポーツに変えるべきだと思っている。

 そうしたわけで私の最後のウルトラマラソンになるわけだが、この競技は北海道の宗谷岬と襟裳岬の間約550kmを往復する競技だ。
1日あたりの平均距離は約80kmで朝の4時か5時頃スタートして、夕方の6時か7時ごろごろに宿に着き、また翌日同じパターンを繰り返す。

 宿に着くとすぐに衣類を洗濯し、風呂に入り夕食を済ませて翌日のレースのミーティングが行われるのがいつものパターンだ。
重要なことは毎日念入りに洗濯することで、手を抜くと衣類から異様な臭いが発散するようになり、靴下なんかは思わず顔をそむけるほど臭くなる。
また足の手当ても大事で、私の場合は小指に水ぶくれを作ることが多いのでその手当てが必要になる。

 こうした2週間に及ぶレースで最も重要なことは、絶対に全力で走らないことでもし全力を出し切ってしまうと翌日はまったく走れなくなってしまう。
だから常に身体に余裕を持たせながら、楽しみながら走るのがコツで、間違っても順位を争って飛ばすようなことをしてはならない。

 この教訓がなぜ必要かと言うと、過去3回このレースに参加したのだが、順位を争うあまり途中でつぶれてしまったからだ。飛ばすと当然のことに足に負担がかかり、象足足が象の足のように膨れる)になったり、水ぶくれが直らず肉が飛び出したりして結局は走れなくなってしまう。

注)私は過去に TO宗谷550km 1回、TO襟裳 550km 1回、宗谷・襟裳往復1100km 1回、参加したが完走したのは TO襟裳 550kmの1回だけである。

 私の人生における最後のウルトラマラソンだから、せいぜい楽しみながら走ることにしたい。特に今回はTwitter状況報告をしながら走るつもりだ。嬉しいことにちはら台走友会のメンバーがTwitterで応援してくれることになっている。
ただし場所によったら通信が不可能な場所もあるので完全中継は無理かも知れないができるだけ報告するようにしたい。

 北海道は概して涼しいのだが、内陸部を走るときは非常に暑くなる。特に旭川周辺は最悪で、「何でこんなに暑いんだ」と思ってしまう。
ウルトラマラソンでは暑さは大敵で、こうした時は身体に水をかぶりながら走るのだが、水が切れるとたまらなくなるのでほとんど修行のようなものだ。

 レースの中で1箇所102.7kmと言う距離があり、この制限時間は朝の3時スタートで夜の10時だから19時間だ。私はこの距離を走りきれずいつも完走を逃しているので、是非応援者はこのとき応援してほしい

 なお正式なコース案内が来たので以下に記載しておく

  ■ to えりも     2010年8月 7日(日)~ 13日(土)
 ■ to そうや     2010年8月 13日(日)~ 20日(土)
 ■ アルティメイト・ジャーニー2010 年8月  7日(日)~ 20日(土)

コ ー ス
 ■ to えりも(宗谷岬~えりも岬) 約538km
 ■ to そうや(えりも岬~宗谷岬) 約554.3km
 ■ アルティメイト・ジャーニー(宗谷岬~えりも岬~宗谷岬) 約1089.3km

区間・距離
<to えりも538.4km> 区間距離/スタート時刻/制限時間
 Stage 1 宗谷岬~幌 延    72,6km 5:00 18:00
 Stage 2 幌 延~羽 幌    82,8km 4:30 19:30
 Stage 3 羽 幌~北 竜    85,3km 4:00 20:00
 Stage 4 北 竜~栗 山    88,1km 4:00 20:00
 Stage 5 栗 山~富 川    72,1km 5:00 18:00
 Stage 6 富 川~浦 河    84,0km 4:00 19:30
 Stage 7 浦 河~えりも岬  53,5km 5:30 15:30

<to そうや 558.7km> 区間距離/スタート時刻/制限時間
 Stage 1 (8) えりも岬~忠類 82,1km 5:00 20:00
 Stage 2 (9) 忠 類~新 得 85,0km 4:00 20:00
 Stage 3(10) 新 得~富良野 80,0km 5:00 19:00
 Stage 4(11) 富良野~旭川大学 67,0km 5:00 17:30
 Stage 5(12) 旭川大学~美深 102,7km 3:00 22:00
 Stage 6(13) 美 深~浜頓別 81,3km 5:00 19:30
 Stage 7(14)  浜頓別~宗谷岬 60,7km 5:00 16:30


なお具体的なマップについては以下のURLを参照
http://transyezo.web.fc2.com/trans-yezo/2010/report5.html

 

| | コメント (2)

(23.8.5) アラブの春は終わったのか? リビア カダフィ政権の頑張りとシリア アサド政権の強攻策

P7231111  
マッスルさん 撮影 山崎 編集

 (23.9.8)追加
 私の予想はカダフィ政権については外れてしまった。カダフィ政権は首都トリポリを追い出され、カダフィ大佐自身もリビア国内を逃げ惑っている。
ただエジプトやチュニジアとは違い、カダフィ政権を支持する軍はなかなか抵抗をやめない。

 フランスとイギリスを中心とするNATO軍はカダフィ大佐の追い出しに成功したが、リビアが今後安定するかどうかは予断を許さない。反カダフィ派は一枚岩でないからだ。
カダフィ派の巻き返しも予想され、アフガニスタンのような状況になることが予測される。

 なお、シリアのアサド政権については予測どおりの推移をたどっている。

(本文)

 チュニジア、エジプト
と続いた「アラブの春」はリビア、シリアの独裁政権の踏ん張りで春が終わってしまったかのようだ。
リビアのカダフィ政権は首都トリポリに立てこもって、反政府軍と都市の取り合いをしており、NATOによる空爆も誤爆が続いたりしてさっぱり効果をあげなくなった。

 当初はすぐにでもカダフィ政権が崩壊するものと思っていたが、すでに半年あまり経ってもカダフィ大佐は意気軒昂だ。
俺はリビアの父だ。リビアを離れる時は死ぬ時だ」一歩も引く気配がない。

 元々反政府勢力は軍事訓練もしていない一般市民のかき集めだから(ただし寝返った政府軍兵士もいる)、カダフィ大佐の政府軍とまともに戦えば勝てるわけがない。
頼りはNATOの空爆だが、これは首都トリポリの住民を殺害するわけには行かないのでピンポイントの空爆が必要だが、その能力は米軍にはるかに劣る。
住民を殺害するたびにカダフィ大佐側からの、「非人道的空爆だ」とのキャンペーンがされてすっかり戦意を失っている。

 なぜカダフィ大佐ががんばれるかの最大の理由は、確実にターゲットをしとめる能力の有るアメリカ軍が参戦していないからだろう。
リビアへの投資は主としてイタリア、フランス、ドイツ資本が主体で、アメリカから見れば「それはヨーロッパの問題」と言うことになる。
それでなくてもアメリカはイラクアフガニスタン勝算なき闘いを続けており、後はどのような形で「不名誉な撤退」を避けられるかだけが問題になっている。
とてもリビアまで手が回らない。

 さらにアメリカ軍にとって頭が痛いのは、オバマ政権が今後10年間で3500億ドル約27兆円)の軍事予算削減を議会に約束していることで、「金もなく名誉もないなら、もはや海外派兵はこりごり」というのが軍中枢部の本音だ。

 それがはっきりと目に見える形で現れているのがシリアに対するアメリカの態度だ。
シリア
では反政府勢力がアサド大統領の大弾圧で死亡者が数百人規模と増大しているが、オバマ大統領の非難声明も単なるリップサービスに終わっており、本音は「勝手にやってくれ」と言うところだ。

 NATOもシリアへの空爆は反対で、国連安保理の決議がなければ参戦しないと予防線を張っている。シリアは旧ソ連時代からロシアとの関係が深く、ロシア軍の海軍基地がおかれているほどで、どう見てもロシアが決議に賛成するはずがない

注)実際国連安保理は議長声明を出してシリアを非難したが、これは拘束力のないリップサービスに過ぎない。

 アサド大統領はアメリカもNATOも介入しないことが分かっているので、思うままに反体制派を弾圧している。
アラブ独裁政権が崩壊するパターンは決まっていて、軍部が独裁者を見限った時だ。
この点カダフィ大佐アサド大統領も用心深く、正規軍の他に一種の親衛隊を組織し、装備は正規軍よりも充実している。
しかもこの親衛隊の指揮官は一族の者かきわめて忠誠度の高い部下を配置しているから、おいそれと寝返ることはなく、死ぬまで戦う。

 結局世界の警察官アメリカが出てこないと戦況は変化せず、一方アメリカはリビアにもシリアにも介入するつもりはないので、この膠着状態は今しばらく続きそうだ。
こうして「アラブの春」は一時の熱狂がさめ、第一次世界大戦の西部戦線のように塹壕戦のにらみ合いになってしまった。


注)アメリカは今後自国の安全が脅かされるような緊急の事態が発生したとき以外は、海外に軍隊を派遣することはなくなるだろう。したがって地域紛争はその地域で解決しなくてはならなくなるので、いつまでたってもだらだらと継続することが予想される。

なお「アラブの春」にかかる記事は以下の通り
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat42912271/index.html



 

 
 

| | コメント (0)

(23.8.4) 円高と日本輸出産業の崩壊 

P7231050  
マッスルさん 撮影 山崎 編集

 急激な円高はアメリカの債務上限枠問題が解決すれば収まるかと思ったら一向に納まる気配はない。
今日(3日)は77円台で推移しているが、これは国内の輸出産業が想定している平均的円相場の82円より5円も円高だ。

 トヨタなどは1円の円高で年間300億円の営業利益が飛ぶといわれているのだから、これだけでも1500億円の営業利益が失われたことになる。
トヨタはかつてのような2兆円を越す営業利益を確保していた企業ではなく、11年度は5000億円程度の営業利益しか稼げない企業だから、1500億円は痛い。

 しかもこれはトヨタだけでなく日本の輸出産業全体にいえることで、「もはや企業努力の限界を越えた」と政府・日銀に泣きを入れている。
政府・日銀も「現在の円相場は実力より高く評価され過ぎている」と為替介入をちらつかせているが、実際はアメリカやEUと協調した為替介入は不可能になっている。

 今年の3月、東日本大震災の直後は各国と協調して円売り・ドル買いの介入したが、それは原因が日本を襲った未曾有の自然災害だったからで、各国の人道的支援と言う側面が強い。
しかし今回の円高はアメリカの景気が減速していること、さらにオバマ政権は債務上限枠を共和党にようやく認めてもらった見返りに、国庫債務の削減を約束させられており、政府の手足が縛られた取り決め(したがって財政的に景気対策を打てない)になっていることに原因がある。
結局オバマ政権はFRBに金融緩和を依頼する以外に手はなく、そうなればドル安は今後とも続くとの読みだ。

注)金融政策とは簡単に言ってしまえばお札の増刷で、ドルを傾向的に安くする政策といえる。

 一方ヨーロッパも問題山積みで、ギリシャ、ポルトガル、アイルランドEUIMFが金融支援をしているものの返済の目当てはまったく立っておらず、ギリシャのようにさらに追加の金融支援を要請するありさまで泥沼に陥ってきた。
したがってEUも金融緩和策を継続せざるを得ず、ドルと同じようにユーロも減価していく。

 なぜアメリカとEUの景気が立ち直れないかの根本的な理由は、リーマン・ショックを引き起こしたサブプライムローン債権金融機関にとっては債権になり、評価方法を変えて隠している)の償却ができていないからで、これは日本の失われた10年とまったく同じだ。
なんてことはない、日本はバブル崩壊後10年以上たって竹中平蔵氏の辣腕によってようやく不良債権の処理が済んだが、アメリカもEUもそれをそっと避けてきたのだから、今からが失われた10年だ。

注)日本の不良債権処理を当時のアメリカ政府は「遅すぎて少なすぎる」と非難してきたが、今アメリカとEUがこの「遅すぎて少なすぎる」ジレンマに落ち込んでいる。
これを日本経済シンドロームと言うが、そのうちにアメリカ経済シンドロームとう言葉が必要になるだろう。

 だからいくら政府・日銀が「円高水準は実力以上に評価されている」といっても市場は聞く耳を持たない。
今後とも円は円高に振れ、日本輸出産業は日本での生産で(日本でしかできない特別なものを除けば)まったく利益が上がらなくなってくる。
すでに多くの企業が日本での生産を諦め海外に進出しており、トヨタのように日本での自動車生産300万台死守と言っている企業は奇特な企業になっている。

注)トヨタは日本で生産するとしても今後は部品を海外から調達する計画であり、日本の部品工場も海外進出を余儀なくされている。

 何度も同じことを言って恐縮なのだが、日本の輸出産業が日本で生産する基盤は失われた。それを基本的な認識にしない限りどのような対策を打っても無駄だ。
企業が生き残るには需要がありかつ通貨が安くそこそこインフラが整備された国に生産拠点を移すか、この円高で相対的に安くなった外国企業を買収する以外に生き残る道はない。

 企業そのものは世界企業として脱皮していけば生き残れるが、その分日本国内の職場は失われる。
したがって新大卒や新高卒の職場はますます狭められていくので、多くの新人(有名大学卒で国内産業に就職できる人以外)はこれも世界に出て行く以外に職を求めることは不可能だ。

注)マクドナルドの店員のように自給1000円未満の職場はあるが、学生アルバイト以上の収入を得ることは難しい。

 本来日本に輸出産業に代わる職場(円高であればドル高時代のアメリカのように通常は金融業が隆盛になる)ができれば問題が解決するが、残念ながらそうした職場が確保される見込みはない。
経済と言う面では日本経済はジリ貧(企業としては拡大がありうる)になることは確かで、静かに衰亡していくというのが実態だろう。

注)なぜ日本の金融業が斜陽産業かというと、国債の購入を政府・日銀から強制されており、いわば第二の税金(利息は払うが実際は強制されているので税金と同じ)徴収機関になっているからで、税務署となんら変わらないから


なお、この記事と関連する記事は以下の通り
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-4a0a.html

| | コメント (2)

(23.8.3) ワールド・ウェーブ インドとのEPA(経済連携協定)の発効 日本は韓国に勝てるか

P7231039  
撮影 マッスルさん 山崎編集

 昨年10月に調印したインドとのEPAがこの8月1日から正式に発効された。
NHKのワールド・ウェーブ・トゥナイトではこれを記念して特集を組んでおり、河野アンカーキャスターと言う言葉でなくアンカーと言う言葉を使っている)がインドに出向いて中継を行っていた。

注)EPAとはFTA(自由貿易協定)より概念が広く、FTA以外に人の交流の促進や、投資環境の整備(互いに投資しやすくする法制度の整備等)を含めた包括的な協定。

 インドは中国の次の経済大国と期待されている巨大市場だが、ここは韓国企業が戦略的に進出しており、サムスン、LG電子といった韓国企業の独壇場になっている。

 インドと日本は政治的には共通の敵中国に追い詰められており、互いに連携して中国を封じ込めないとインドはインド洋を中国の内海にされ、一方日本は尖閣列島から追い出されてしまう。
そのため「日本とインドは互いに手を携えて中国と対抗しよう」と手を握ったものの、こと経済協力となると韓国に大きく水をあけられている
韓国は日本より1年も前にインドとFTA(自由貿易協定)を締結しており、日本が関税に苦しんでいる間にシェアを大幅に伸ばしてきた。

 番組では日本が得意としていたシャベルカーなどの建設機械の分野で日立建機が韓国の現代建機に抜かされそうになっており、現地の責任者が「EPAの発効で関税がなくなればようやく現代建機と戦える」と胸をなぜ下ろしたシーンを紹介していた。

 又家電分野ではここも安さとインド市場では十分な品質で日本製品を圧倒しており、たとえばエアコンの韓国メーカーのシェアは50%に達している。
最も日本メーカーも手をこまねいているだけでなく、パナソニックの現地責任者がインド人好みのクーラーを作るために現地調査を熱心に行い、ヒット商品を作ることに成功していた事例が紹介されていた。

 インドでは日本仕様と異なり、本質的な部分がしっかりしていれば細かなサービスは不要な商品がよく売れるそうで、これを日本の営業マンは「こだわりと割り切り」と称していた。
たとえばクーラーであれば冷やす能力が高く、音が小さく安全であればよく、リモコン操作や風向きを変えるような細かな仕様は必要ないのだそうだ。

 なぜ日本のメーカーがインドに注目するかと言うと、ここは12億人の人口の中で約1億5千万人(日本の人口より多いが中間層と言われる日本人と同じような生活レベルの人々であり、今後この中間層が急拡大するからだ。
ニューデリー郊外のグルガオンと言う町を取材していたが、ちょうど日本の幕張のような町並みになっており、次々の高層住宅が建設されていた。

 そのうちの一つを河野アンカーが紹介していたが、280㎡のマンションが約6000万円だと聞いてびっくりしてしまった。
私が20年前に京王沿線の堀の内と言う場所で手当てしようとしたマンションが93㎡で6800万円だったからである。
そんなに広くて安いのならインドに住もうかしら」思わずそう思ったほどだ。

 最も河野アンカーの紹介の趣旨はこうしたマンションが次々に売られて、すでに70%の契約率になっており、インド中間層の購買力は確実に上がっているという説明のための訪問だった。
インド人の生活レベルは確実に上がっており、一方08年の段階で日本の最大の投資先は中国を抜いてインドになっているのだそうだが、まだまだ韓国企業には水をあけられている。

注)リーマン・ショック後韓国のウォンは対円相場で約40%程度の値下がりをしており、日本製品は韓国製品にまったく太刀打ちできなくなっている。

 しかしインドの中間層は今後ますます増加するし、中国と異なり人口構造は若者が中心なので、韓国に伍して戦えば非常に有望な市場だ。
何回も言って恐縮だが、インドは戦略的には日本のベストパートナーであり、日本に対する親日感はとても強く、フレンドリーだ。

注)日本は第2次世界大戦中、インド独立運動を指導していたチャンドラ・ボースを支援した経緯がある。

 日本製造業が総力を挙げてインド進出を図り、特に鉄道や道路部門のインフラ整備に協力しながら、インド経済の発展に資すれば、政治的にも経済的にもインド市場が日本の最重要拠点になることだけは確かだ。

なおインド経済については以下の記事を参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-998e.html

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat41656754/index.html

 

| | コメント (2)

(23.8.2) ノルウェーの深い霧  右翼テロ事件

23725_007  

 ヨーロッパの深部で右翼の台頭が始まっている。
22日、ノルウェーオスロとオスロ郊外の孤島で発生した爆発・銃撃事件80名近くの犠牲者が出たが、犯人は右翼思想の青年だった。

 ブレイビグと言う32歳キリスト教原理主義者を名乗るこの青年は、オスロの首相府の近くで自動車に仕掛けた爆弾を爆発させ、さらにそこから自動車で1時間程度離れた孤島で開催されていた与党労働党(移民政策に寛容な立場をとっている)の青少年キャンプを襲って、1時間あまり銃撃を繰りかえした。

 犯人は自らのブログに犯行をにおわせる書き込みを数年にわたって実施してきており、計画的に爆弾を製造し、拳銃・ライフル・ショットガンは合法的に所持していたという。
日本では銃の保持は禁止されているので、なぜノルウェーのような平和な国でライフルやショットガンが保持できるのか不思議だが、世界的な常識では日本の方が特殊なのかもしれない。

注)なおノルウェー警察はアルカイダ等のイスラム原理主義者はマークしていたが、キリスト教原理主義者のマークはしていなかったので、ブレイビグは自由に爆弾製造ができた。

 ノルウェーは小さな国だが豊かな国だ。国土は日本と同じぐらいの広さで、人口は北海道程度の5百万人弱で、10年度の一人当たりのGDPは世界第4位である。
もっぱら北海の石油とガス、それに漁業が主産業で、リーマン・ショックで経済はマイナスの落ち込んでいたが11年度は3%程度の経済成長が見込まれていた。
失業率は3%前後だから他の西欧諸国の10%前後に比べればはるかに安定しており、日本より失業率は低い。

 オスロでは毎年ノーベル平和賞の授与式が行われており、まったく平和な国家とのイメージだったので、そこにヨーロッパでは最大規模のテロが発生したのだから、驚かないほうがおかしい。
なぜ、スペインやイギリスでなくノルウェーにテロが発生したのが?」国民は茫然自失している。

 犯人のブレイビグはイスラム系移民がノルウェー人の職を奪い、キリスト教文明に挑戦していると主張しており、自らを聖戦の騎士と位置づけている。
キリスト教徒とイスラム教徒の戦いの最前線にいると自らは思っており、イスラム移民によって乗っ取られつつあるヨーロッパを救うためのレコンキスタを実施したつもりだ。

 ストルテンベルグ首相は犠牲者に哀悼の意を表し「ノルウェーは小さな国だが誰も我々を爆弾や銃撃で黙らせることはできない」と述べた。
首相は今後とも移民政策については開かれた立場をとると表明したが、こと移民に関する限りヨーロッパ人は段々と非寛容になってきている。

 際立って移民の多いドイツには主としてトルコからの移民が多く住んでおり全人口の20%程度になっているが、他の国でも多くの移民を受け入れており全人口の10%程度の人口になっている国がおおい。
ノルウェーもほぼ10%程度の移民を受け入れてきており、ヨーロッパは伝統的にアフリカとの関係が深くイスラム圏の移民者が多い。

 最近はどこの国でも移民排斥を声高に叫ぶ右翼政党の躍進がすさまじく、ノルウェーの隣のフィンランドではこの4月の選挙で民族主義政党が議席を6倍に伸ばしている。
イギリスもドイツも国内の右派勢力が台頭し、キャメロン首相もメルケル首相も「多文化主義に失敗した」と公言するようになった。

 リーマン・ショック前まではEUは未曾有の好景気を謳歌していたので、イスラム圏からの移民は西欧人が嫌がるダーティー・ワークをしてくれる便利な労働力だった。
しかしリーマン・ショック後状況が一変してしまった。
ユーロ安で輸出産業が好調なドイツを除けば、ヨーロッパではギリシャ・ポルトガル・スペイン・イタリアといった南の国の経済が破綻している。

 まだ余裕の有るドイツとフランスがこうした国の救済に乗り出しているが、次々に出てくる国家破綻をいつまでも救えない。
ヨーロッパ経済に暗雲が立ち込めると安価な便利な労働力だったイスラム教徒に対する目が厳しくなる。
もともとイスラム教徒との間では十字軍の昔からキリスト教徒は鋭く対立してきたし、非合法で西欧に居座っているイスラム教徒も多い。

 今回の事件はアルカイダのようなイスラム原理主義者の犯行ではなく、キリスト教原理主義者の犯行だったことが今までのテロとはまったく異なる。
テロが新たな段階に突入した感じだ。

 ヨーロッパ経済はリーマンショック以降失われた10年に突入しており、EU全体では経済は停滞し、今後ますますキリスト教原理主義者の移民排斥運動がヨーロッパを覆うことは間違いなさそうだ。
こうしてヨーロッパの窓が今静かに閉じられようとしている。

 
 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

(23.8.1) NHK ワールド・ウェーブ 開発進む日本の翼 ホンダと三菱重工の挑戦

23731_001  

 先日(29日ワールド・ウェーブの特集を見て、さすがにホンダは元気だと感心してしまった。特集の内容は世界の航空機市場にホンダ三菱重工が乗り出しているのだという。

 ホンダが参入するのはビジネスジェットの分野で、アメリカの富裕層がステータスシンボルとして乗っている最大でも10人乗り程度の小型機で来年から発売されるという。

 一方三菱重工が参入するのは客席100人以下の旅客機の分野で、これは旅客機としては小型機と分類され、カナダボンバルディアブラジルエンブラエルがこの市場を握っている。
旅客機の大型機・中型機はボーイングエアバスががっちり市場を握っているのでとても参入ができないが、小型機の分野ではまだ競争が可能で、近年中国とロシアがこの分野に一足先に参入するので、日本も2014年からMRJと言う航空機を参入させることにした。

 なぜ日本のメーカーが飛行機製造分野に進出するかと言うと、日本の製造業の競争力が極端に落ちてしまいかつては得意だった家電やメモリーや液晶や太陽光発電等の分野で韓国や台湾や中国にまったくかなわなくなっているからだ。
こうした分野で韓国等と競争しても勝ち目がないので、高付加価値で技術力勝負の航空機分野に進出するのだという。

注)日本の製造業の国際競争力は1990年は世界1位だったが、2011年には26位に落ちている。

 かつてホンダオートバイメーカーだったが果敢に小型自動車分野に進出して成功した経緯がある。当時は「オートバイメーカーに車が作れるのか」と疑念の声があり、当時の通産省が待ったをかけようとしたがその圧力を跳ね返した日本でもバイタリティーに溢れる会社だ。
今回公開された小型ジェットを見てみたが、いるかのような斬新なデザインで、燃費効率が20%程度アップし、居住性もとても良いのだという。
金額は1機4億円で、同型の機種に比較しても安いのだそうだ。
すでに100機以上の予約があるというからかなり有望で、ぜひとも日本製造業の底力を見せてもらいたいものだ。

注)ただしこのホンダの会社はアメリカのニュージャージー州にあって、企業としては現地法人になる。なぜアメリカかと言うと主要な市場がアメリカだということと、日本で製作すると円高の影響で安価な飛行機を作れないからだろう。

 三菱重工MRJの場合は、挑戦と言うよりもどちらかと言うと追い詰められた選択と言う側面が強い。
従来三菱重工はボーイング社の下請けで、最新鋭のボーイング780約35%の生産を行ってきた。
下請けとしては高く評価されてきたが、今後中国が航空機産業に進出するとその下請けを中国に奪われてしまう危険性が高い。
そのためボーイングの下請けでなくなっても自立できるように小型機に進出するのだそうだ。

 ホンダ小型ジェットにしろ三菱重工MRJにしろ技術では世界トップなのだそうだが、いずれも先行したメーカーがあるのだから競争はかなり厳しそうだ。
しかし日本の製造業が生き残るにはこうした最先端の商品開発に果敢に挑戦する以外に道はない。

 何度も記しているように日本では傾向的に円高になり、日本の輸出産業は毎年のように収益が圧迫されるのだから、韓国や台湾や中国との競合製品をいくら製造してもシェアを奪われるだけだ。
ただ政府に「円高対策をせよ」と言っているだけでは企業はジリ貧になるだけだし、実際そうなっている。

注)韓国や台湾や中国は基本的にはドルにペッグさせる為替政策をとっている。したがって円高になると日本の輸出品より常に韓国、台湾、中国の製品が価格が安くなってしまう。

 日本製造業が久しぶりに見せた挑戦であり、ホンダ三菱重工の日本の翼が世界に羽ばたくことを願って已まない。
この闘いに勝利すれば日本に新たな産業が生まれることになり、日本製造業がふたたび世界の製造業となる可能性が高い。
成功することを祈りたいものだ。

注)かつて日本はゼロ戦と言う名機を生むほど航空産業のレベルが高かったが、戦後7年間航空機製造を止められたことと、1962年に投入したYS11が経営的に失敗したことから、その後は航空機産業への進出に消極的だった。

 

 

| | コメント (1)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »