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(23.7.25) NHK クローズアップ現代 新しい金融 市民ファンド

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 先日(21日)のクローズアップ現代を見て感心してしまった。
新しい金融「市民ファンド」が立ち上がり東日本大震災で壊滅的打撃を受けた中小企業に復興のための資金を提供しているという。

 私はこうしたことは政府地元の金融機関がするのだと思っていたら、実際には公的な支援は遅々として進まず、また地元の金融機関も対応できない理由があるのだという。

 国の場合は公平と言うことが最も大事になるので、多くの被災企業にできるだけ公平に資金が行き渡るようにするため、その作業に時間がかかる。
また地元の信用金庫はこの災害で多くの貸し倒れ債権が発生し、かつ支店網が震災と津波でずたずたに切断されているため融資に応ずることができないのだそうだ。

 一方企業家の中にはすぐに事業を再開したい人、有る程度時間がたってからの再開を望む人、廃業を決意した人等いろいろなバリエーションがある。
この中ですぐに事業を再開したい企業家は資金がなくて途方にくれているのが実態だそうだ。

 こうした状況を見て東京のベンチャー企業が社会貢献を目的にしたファンドを立ち上げた。
映像では気仙沼ふかひれを加工している石渡商店の事例が紹介されていた。
私は知らなかったが気仙沼はふかひれ生産では日本一で、特に石渡商店のふかひれは外国からの賓客を招いた晩餐会でも出されるほどの珍味なのだそうだ。

 この石渡商店は津波で工場が被災して復興を危ぶまれていたが、30歳の社長が熱意をこめて再興を果そうと努力していた。
しかし資金がなく、国も地元の金融機関も対応してくれないため途方にくれていたのだそうだ。

 そこで東京のベンチャー企業元々はミュージッシャンの発掘を目的にしていたが、その後社会貢献にかかるファンドを扱いだした)が社会貢献ファンドを投資者に求めたところすでに746人から出資がなされたのだそうだ。
こうして石渡商店は市民ファンドの力を借りて事業再開にこぎつけることができた。
最初の商品はファンドを提供してくださった方に贈りたい」とおそらく石渡氏の奥さんと思われる方がコメントしていたが、必要なところに必要な資金をタイムリーに配分するという意味で、このベンチャー企業の役割は大きい。

 もう一つの事例は岡山県の山村の話で、たった一つの資産である森林が後継者不足等の理由で荒れ果てていたのを、森林再生プロジェクトを立ち上げファンドを募ったところ、約9000万円の資金が集まったのだそうだ。
これで村は最新鋭の機械を購入して労働力がなくても木材を搬出できる体制を整え、村内にある家具類の制作会社とタイアップして村の振興に努めていた。

 コメンテーターが盛んに強調していたことはこうした「共感や人のためにリスクをとって人を助けるファンドと言うものは世界でも珍しく、日本特有のものだ」と言うことだった。

 今回初めてこの市民ファンドのシステムを知ったのだが、確かに日本人には金もうけそのものを目的にしたファンドよりも、社会的有用性があるファンドを支持する傾向がある。
アメリカに多くある金儲けに特化したファンドを「はげたかファンド」と呼ぶが、そうしたファンドを好まない性格だ。

 私はかつて経済学を学び始めた頃、「企業にしろ個人にしろ経済主体は利益を極大化しようと行動し、そうした極大行動を前提に経済学を構築する」といわれた時は驚いたものだ。
当初私は近代経済学を構築するためのやむ終えない単純化だと思っていたが、ヘッジファンドに見られるように本気だったのにはさらに驚いた。

 だからこの「共感や人のためにリスクを取る」と言う行為はコメンテーターが述べていたように本当に日本人独特のもので、これが21世紀の日本再生の取り組みになる可能性がある。
私は個人的にこのおゆみ野の遊歩道を世界で一番美しい遊歩道にしようとしているが、実際は人的にも資金的にも限界があって、目標到達が遅々として進まない。
市民ファンドを立ち上げおゆみ野市民に協力を募るのも一つの方法ではないかとこの番組を見て感じている。

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コメント

欧米だと、国民に寄付の習慣が根付いているから、NGOが町づくりをしているそうですよ。

日本人の方が、公共の資本に関して無関心だと感じています。

(山崎)欧米にはキリスト教の影響があって寄付の文化があり、また税制面でも寄付が優遇されています。日本では織田信長が宗教団体との死闘を制してから、宗教が日本人の主要な生活様式にはならなくなりました。
そのため寄付の文化がなくなったのだろうと思っています。

ファンドは元々は利益を追求するものですが、寄付の文化がない日本では寄付とファンドとの中間形態として、この公共的なファンドが成立する可能性が高いと思われます。

投稿: ふくだ | 2011年7月25日 (月) 21時56分

仏教が葬式仏教と呼ばれるように形骸化してしまったのは、江戸時代だと思っていました。

宗教に関係なく、寄付するかどうかは国民の道徳観の問題ではないでしょうか?

寄付する習慣は、単に人生の先輩方が見本を示してこなかっただけの話であって、今からでも始められるはずだと思います。

(山崎)いつもコメントをくださりありがとうございます。
西欧のキリスト教にしろ、またイスラム教にしろ、人の行動を律する基準なのですが、日本では先に述べたとおり織田信長が宗教団体の牙を抜いたために、宗教心と言うものがほとんどなくなっている例外的な国家になっています。

 道徳も深い意味では宗教に根ざしており、そうすることが神の御心にかなうというの行動の指針になっています。
日本人がなぜ寄付行為を積極的にしないかの深い理由は、神に祝福されないからで、神なき道徳だけで寄付行為をさせるのが至難の業だからだと私は考えています。

投稿: ふくだ | 2011年7月26日 (火) 22時29分

久しぶりにコメントします。
おもしろそうな試みです。実行してみてはいかがでしょうか?

(山崎)応援してくださいますか?

投稿: ジェーン・エア | 2011年7月27日 (水) 10時32分

回答ありがとうございます。

キリスト教だから寄付をする、という話は聞いたことがありますが、だからといって、日本人は寄付をしなくていい、という言い訳にされてしまう、ということが困るので、しつこく書き込みしてます。

欧米では、学校でボランティア活動に参加させたりして、奉仕の精神を教えようとしているのに対し、日本人は努力すらしていないことが問題だと思うのです。

自分自身としては、寄付もボランティアもしていますが、キリスト教徒でもなければ、熱心な仏教徒でもありません。

単に、世の中に対し、恩返しと恩送りがしたいだけです。

こんな風な道徳観を、他人に強要すべきものではないと思っていますが、宗教の問題だから、日本人には関係無い、と判断していただきたくないのです。

投稿: ふくだ | 2011年7月27日 (水) 22時22分

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