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(23.7.20) NHK ローマ皇帝の歩いた道 帝国の末路を見つめたハドリアヌス

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 私がなぜローマ史に興味を持つかと言うと、ローマ時代が産業革命以前の世界では世界最高の生活水準を誇り、その後西洋は中世と言う長い眠りに入ったからである。
なぜ豊かな社会が貧しい社会に取って代わられたのだろうか? GDPが常に上昇していた社会からGDPが下降するような社会がなぜ出現したのか?」とても不思議な気がした。

 これは現在に置き換えてみるとよく分かる。
日本の社会が社会保障を充実させながら存続するためには最低3%の成長が必要だ
中国は8%の成長がないと社会混乱が発生するので、この8%は最低条件だ」
「アメリカ社会において失業率を低下させるためには5%程度の成長が必須だ

政治家は口を開けば経済成長のことしか言わないし、メディアも同様だ。そして多くの日本人が成長は必要だと思っている。果たして本当だろうか。ではなぜローマから中世への移行があったのだろうか?

 ハドリアヌスが皇帝になったのは2世紀の始め、紀元117年、41歳の時である。一般にローマ帝国は紀元1世紀に大拡張し、2世紀ハドリアヌスを含めた5賢帝の時代はローマの最盛期と言われている。
先日見たアフリカから来た皇帝セウェルスハドリアヌスが皇帝になった年から約80年後に皇帝になっているので、セウェレスの時代ならともかく、この時期に帝国の末路を見たというのはいくらなんでも早すぎると思える。
だがハドリアヌスローマはこれ以上GDPを拡大するのが不可能だと知った最初の皇帝だった。

 当時のローマは人口5000万人、世界の4分の1を支配下に置き、兵士の数は約30万人だったそうだ。日本の自衛隊の兵士の数は約25万人だから、人口比で見ると日本の約3倍の軍事力だったといえる。
ローマは軍事力で周辺の蛮族を圧倒していたが、問題はこの軍事費の捻出ハドリアヌスは悩まされていたという。

 なぜなら兵士の生活はどのような辺境にあってもローマ様式の生活が保障され、食事は3食当時は2食が普通)で十分な最新鋭の装備とローマ風呂が用意され、そして金貨で給与が支払われていた。
この状況は辺境の住民から見ると、戦後日本に進駐したアメリカ軍の生活に酷似している。

 私が子供の頃住んでいた家の近くに米兵が住んでいたが、いつも買い物籠いっぱいに食料を持って帰ってきた。
私達子供はその米兵が帰ってくるのを待ち構えて「ギブ ミー チョコレート」(これが最初におぼえた英語だった)とねだったものである。
兵士は大抵とても気前よくチョコレートをくれたが、チョコレートを食べながらこれがアメリカか(これがローマか)と思ったものだ。

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 ハドリアヌス
は皇帝になると12年間に渡り帝国の各地を視察して回ったという。
これを聞いたときにとても不思議な気がした。
皇帝がローマを離れて12年間も旅をしていてはローマの政治はどうなってしまうのだろうか? もしも他の有力者がクーデターを起こして皇帝になることはないのだろうか?」

 私はローマの皇帝をその後の絶対権力者だったナポレオンやロシアの皇帝をイメージしたが、ローマの皇帝はそうした絶対権力者ではなく、ローマ軍の大将軍と言うような立場だったようだ。
ローマには元老院議員約600名程度おり、この元老院議員が現在的な意味の行政府立法府を握っており、ローマ皇帝とは敵地に出向いていって領土を拡張し、財宝と穀物と奴隷をローマに送る軍の最高指導者と言う役割だったようだ。

注)ただしローマ皇帝と元老院の立場はそのときの力関係に左右される。

 したがってハドリアヌスが12年もの間ローマをあけても問題はなく、ハドリアヌスに期待されていたことは領土を拡張して財宝をローマ送り続けることであり、そうである限り元老院は満足していたことになる。
あいつは外でよく働いている。なら皇帝にしておいても良かろう」そんな感度だった。

 しかしハドリアヌスが見た辺境はこれ以上領土拡大しても無駄と思えるほど辺鄙な土地だったようだ。
最初に訪れたのはブルタニアイギリス)だが、ここは草しか生えないような貧しい土地で野蛮人がかろうじて生息しているような場所だった。
ハドリアヌスは馬鹿馬鹿しくなって今のイギリスのスコットランドとイングランドの境目あたりに東西120km、高さ約5mの石の壁を築くように兵士に命令して言った。
この壁の向こう側からの蛮族の襲来は撃退せよ。ただしこの壁を越えて領土拡張をすることはない

 その後視察をしたドナウ川の北、ラキア現在のルーマニア)ではつくづく拡張政策が嫌に成ってしまった。
このラキアの土地はハドリアヌスの前の拡大主義者皇帝トラヤヌスが激戦の末ようやく手にした領土で、ここには当時世界最大規模の金銀の鉱山が有った。
トラヤヌスはこの鉱山を入手するためにドナウ川の岸壁に軍用道路を掘り、さらにドナウ川に1100mの石橋まで建設している。
いくら軍事活動を円滑にするためとはいえ、1100mの石橋を架けるのは現在でも難工事だ。
おそらくトラヤヌスの頭には戦後の経済発展のためにこの橋が必要だと思ったのだろう。
ラキアは永遠にローマの領土だ

 だがハドリアヌスはこうした拡張路線が軍事費の増大につながることに頭を悩ませていた。
ここラキアの土地には領土を守るために約5万の兵士を駐屯させなければならない。金銀の安全な運搬を保障しなければならないからだ。しかしこの金銀はあの強欲な元老院議員の懐に入り、わずかな残りでラキアの軍事費をまかなえない。もう元老院議員のために働くのは馬鹿馬鹿しいので止めよう
ハドリアヌスにとってラキアは無駄な投資物件(日本の熊と狸が遊ぶ高速道路のようなもの)に見えたのである。

 ハドリアヌスラキアの軍団5万人の総引き揚げを元老院に提案したが、大反対にあってしまった。
トンでもない。これはトラヤヌス先帝が激戦の末に手に入れた生命線だ。しかも金と銀の山があるではないか。我々ローマはこの財宝によって潤っているのに撤退とは何事だ。領土縮小なんて絶対に認められない

 当時のローマ市民には食料が十分に配給され、さらに剣闘士の競技にタダで招待され(これには地区の有力者が資金を出していた)、宴会では吐いてはまた食事を楽しんでいた時代だから、領土を縮小してGDPを引き下げることはそうした幸福な生活の放棄に映った。

ハドリアヌスのやろう、働くのが嫌になってラキアの放棄を言い出している。あまりに俺達を無視するなら暗殺だ
ハドリアヌスが134年12年間に及ぶ視察の長旅を終えてローマに帰ってきたときのローマ元老院と市民の反応は冷たいもので、凱旋門も建設してくれなかった(領土拡張をして帰ってくる皇帝のためには凱旋門をプレゼントするのがローマ市民の慣わしだった)。

 すっかり皇帝家業が嫌になったハドリアヌスはローマから約30km離れた離宮に誰も近づけることなく、暗殺を警戒しながら晩年を過ごした。
そして138年62歳で死去したが、帝国の拡張は無理と知った皇帝と、それを絶対認めようとしない元老院とローマ市民の戦いは、こうしてハドリアヌスの敗北に終わってしまった。

 客観的に見てハドリアヌスが生きた時代はローマの最盛期だから、田中角栄氏が「日本列島を改造するのは止めよう」と言うようなもので、誰も聞く耳を持たなかったことは分かる。
ハドリアヌスが死んでから55年たってアフリカ出身の皇帝セウェルスの時代になると、ローマには食料が届かず、兵士の給与は引き下げられていて帝国の衰退は誰の目にも明らかだったが、ハドリアヌスは先見の明がありすぎた皇帝といってよいだろう。

注)田中内閣から40年後の菅内閣になると、日本の衰退は明確になり菅総理は原発を停止すると言い出している。

 どのような社会も最盛期があり、その後はおだやかか急激かはともかく下降期に入るもので、GDPが常に拡大するなんて事はありえない。ローマであれば拡張する領土が存在しなくなる。
しかしローマ市民は「GDPは常に拡大させろ」といい続け、皇帝に辺境地帯で戦争を拡大させることを無理強いしていた。


なお皇帝セウェルスの時代は以下の記事を参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/23715-nhk-f3ca.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

興味深い話ですね。

現在の資本主義自体が経済成長ありきで設計されているので、行き着くまで後戻りできない状況に陥っているのだと思います。

南米の国の中には、新自由主義の実験台にされた結果、行き着くところまで行って、反米思想なり、21世紀型の社会主義が導入されたりしているようですが、反米の国の取り組みは、マスコミが嫌うのか、報道されないし、話題にもなりませんよね。

すでに欧米は良い見本にはならない状態なのだから、他を見本にするのも良いと思うのですが...

投稿: ふくだ | 2011年7月20日 (水) 22時24分

お邪魔します。古い記事に投稿して申し訳ありません。
 古代ローマと対照的なのは中国と思われます。拡張で豊かになった古代ローマとは反対に、中国は豊かで、周りにあるのは砂漠・海・寒帯及び熱帯で、かつ周囲から狙われていました。それが「自分達=文明、それ以外=野蛮という中華思想」「皇帝を中心とした中央集権」といったものを生み出したのではないかと思われます(そのあたりは更なる考察が必要ですが)。つまり中国は元々「拡張志向」ではなかったのではないかと思われます。だから明の鄭和の大航海もそれ自体は「一大国家プロジェクト」ですが、それが「中国語を公用語とする中国以外の国」には繋がらなかったのでしょう。今中国は海洋進出等をしています。外から見れば「進出」ですが、中国の意識の中では単なる口実等では無く本気で「守り」なのかも知れません。だから「秩序の構築」等には無関心なのかも。

投稿: ブロガー(志望) | 2015年11月 7日 (土) 22時12分

再びお邪魔します。
 思い出したのですが、中世に古代ローマと同様の路線を取ったのがイスラムではないかと思われます。中世の基準では先進的な宗教(異教や異端"だけ"では殺さず(無論平等ではなかったが)、女性の権利も認めた)であるイスラム教で多くの地域・人々を取りこみ、自分達の聖典であるはずの聖書すらろくに読まない・読めない欧州を尻目に繁栄しました。しかし宗教は宗教であるが故に変える事ができず、先進的な宗教で無くなり、ついには中世には保護したキリスト教コプト派(欧州では異端として追われた)を原理主義者が殺害するまでになりました。
 近世になって民主主義・資本主義がその路線に進みましたが、ついに「地球の限界」に達してしまいました。もしかしたら「地球の限界」の前に、発展できる国や地域は既に発展してしまったのかも知れません。中国やイスラム圏は一度「ご破算」にでもしないと発展できないかもしれませんが、「ご破算」にしたら発展どころか「消滅」してしまうかも知れません。

投稿: ブロガー(志望) | 2015年11月 9日 (月) 23時21分

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