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(23.7.15) NHK 異端の王 アフリカから来た皇帝 セウェルス

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 私の長い間の悩みはローマ史をトータルとして理解できないことだ。なにしろ期間が長い。たとえば帝政になった紀元前27年から東西にローマ帝国が分かれた395年まででも約400年、さらに西ローマ帝国が滅びた476年までであれば約500年も有る。
帝政の前の共和制の時代だって300年近くあり、東ローマ帝国の滅亡は1453年だからここまで含めると日本の歴史ぐらいの長さになってしまう。
だから、さっぱり分からないのも無理はない。

 私の場合古代ローマといえばほとんどがハリウッド映画しか浮かんでこず、ベンハークレオパトラハンニバルや、最近ではグラディエーターのイメージしかない。
小説では「背教者ユリアヌス」という辻邦生の小説を読んだことがあるが、ローマ史の中での位置づけはあまりよく分からなかった。

 一方ヨーロッパの知識人は何かと言うと現状を古代ローマと比較して考える癖があり、「ローマでは」と言うのが口癖でありローマ史に対する知識は相当なものだ。日本でも塩野七生氏のようなローマ史研究の第一人者がいて「ローマ人の物語」というような本を書いているが、なにぶん大部なので読む気力がわかない。
どうにかしてローマ史を知る手がかりはないものだろうか
悩んでいたらNHKが最適な番組を放映してくれた。
異端の王 アフリカから来た皇帝 セウェルス」と言う番組だ。

 ローマ皇帝になったアフリカ人がいたというのだ。場所は今のリビアカダフィ大佐の国だ。
当時と言っても2世紀の後半だがローマが最盛期を迎えた頃セウェルスはローマの属州だったリビアのレプティス・マグナと言う街に生まれている。
当時アフリカはローマの穀倉地帯で、ローマに小麦とオリーブを供給する基地だった。ローマの小麦の3分の2はアフリカから送られてきた。

 セウェルスはここレプティス・マグナで地方の名家の息子として生まれた。日本で言えば地方の豪族の息子と言うイメージだ。
当時ローマは100万都市であり、全世界の人口の4分の1、約5000万人を擁していた世界帝国だ。
都市には上下水道の設備や公衆浴場・集会所・コロセウムがあり、そして何よりローマと地方を結ぶ道路網が整備されており、案内役の青柳氏によると18世紀の産業革命前までは古代ローマの生活がどの時代の生活よりもレベルが高かったという。

注)過去の歴史を見ると一人当たりGDPで古代ローマ時代で最高になり、その後中世になって急激にGDPは縮小している。GDPは歴史的に見ても常に上昇するとは限らない。

 セウェルスが生まれたレプティス・マグナと言う町は1300年の間5m近い砂に埋もれていたそうで、発掘された都市は非常に雄大なものだがそれでもローマ市の20分の1、人口5万程度の規模に過ぎない。
現在の日本のイメージで言えば東京に対して新潟程度のイメージであり、地方都市出身のセウェルスが花の都ローマで一旗あげたいと思った気持ちはよく分かる。

 当時のローマは世界帝国だから属州の有力者もローマの元老院議員になる資格はあった。元老院議員の資格は25歳以上の裕福な市民で行政経験があるものだったそうだ。
18歳でローマに出てきたセウェルスは道路の維持管理のような市役所の職員のような仕事を7年間行い、晴れて元老院議員になった。セウェルスの親戚にすでに元老院議員がいたからその引きがあったのだろう。

 だが地方の名門の出であっても中央のローマ市民でないセウェルスはその後、20年余り地方の行政官のどさ周りをしている。
なにか平安時代の藤原氏以外の中小貴族が国司として地方周りをしていたがそれと同じだ。中央政界には通常はローマ市民しか進出できない。

 しかしローマの政情がセウェルスの野望を遂げるチャンスがめぐってきた。セウェルスが元老院議員になった頃はちょうどローマの最盛期の五賢帝の最後の皇帝、哲学者だったマルクス・アウレリウスの時代だったが、180年にアウレリウスが死ぬと息子のコンモドゥスが皇帝になった。
このあたりの事情については映画「グラディエーター」に画がかれていたので知っていたがコンモドゥスは一種の精神障害者であり、政治を省みることなく自分に反対するものを残忍な方法で殺す等、父親とは正反対のとんでもない男だった。

 このためコンモドゥスは部下に暗殺(それ以外に政権交代の方法がない)されるのだが、その後ローマの政治は現在の日本のように末期的な状態になってしまった。
もっとも問題なのはローマには食料が届かず(ローマ市民には無料で小麦が配られていたが北朝鮮のように配給ができなくなった)、辺境地帯ではブルタニアやドナウ流域やシリアで蛮族が一斉に進入してきた。ローマをつぶすチャンスが訪れたのである。

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 こうした危機の時代セウェルスパンノニアと言うドナウ川流域現在のオーストリア付近)で総督をしていたのだが自分が率いている5万の軍団をバックに皇帝争いに名乗りを上げた。
同じく皇帝争いに名乗りを上げたものにブルタニア(現在のイギリス)の総督アルビニスシリア総督ニゲルがいた。信長が本能寺で死去した後の羽柴秀吉、柴田勝家、徳川家康との戦いのようなものだ。

 このときセウェルスはローマに一番近い位置にいたこともあるが、軍団をローマに進駐させ(これはローマ市に軍団を入れてはならぬという規則に違反している)、元老院議員を脅しあげて皇帝になり、反対するシリア総督ニゲルとブルタニア総督アルビニスを打ち破って皇帝の地位を築くことに成功した。
193年、セウェルス46歳の時である。

 セウェルスの治世はその後20年間に及ぶが、ローマ市民から「帝国の再建者」と呼ばれるように、5賢帝の時代のローマが最高だった時代の再現を図ることに成功した。
特にローマの食糧事情が悪化していたのをアフリカの穀倉地帯を整備して再びローマ市民に小麦の配給を復活させ、コロセウムで剣闘士同士の殺し合いや猛獣との闘いのような娯楽を提供し、兵士の待遇改善によって辺境地帯を警備する軍団の士気を高め、そして何より軍人に結婚を認めてそれまで兵士は結婚できなかったことへの不満の解消を図った。

注)ローマ市民にとってはパンとサーカスを保障してくれる皇帝が最高の皇帝である。どさ回りが長かったため辺境を守る兵士の気持ちも分かり、ローマ帝国を守る底辺の人々の待遇改善をはかった。

 こうした措置によってローマ軍は往時の屈強な軍団によみがえり宿敵パルチア王国現在のイラク・イラン地方にあった)を破り、さらにブルタニア(イギリス)に遠征して野蛮人を平定しようとしていた時にヨークで病気で死去した。享年64歳だったという。

 セウェルスのような田舎者がローマ皇帝になれたのはローマが衰退期に入り、とくにコンモドゥスのような政治を省みない皇帝が続き、ローマの経済が崩壊したためであるが何か日本の現在の状況とよく似ている。
こうした時は異端の王が必要で、NHKは皮肉をこめてこの放送を放映したのではないかと思われるほどだ。

注)菅総理も異端の王であり、現状を無視して原子力行政をひっくり返せるのはこうした人しかいない。

 しかしセウェルスの死後皇帝になった息子のカラカラローマの公衆浴場にその名前を残している)は暗殺され、再びローマは衰退の歩みを止めることができなかったという。
私はこの番組を見て2世紀後半から3世紀はじめ頃のローマ帝国をようやくイメージすることができた。

 実際のローマ帝国はその後まだ200年余り、395年東西に分かれるまで続いているのだから、この時代は帝国の最盛期をやや過ぎた時代だったが、なにかローマ史理解の足がかりができてとても嬉しい気持ちがした。


 

 

  

 


 

 

 

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