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(23.7.11) 文学入門 国語元年 井上ひさし

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 今回の読書会のテーマ本は井上ひさし氏の「国語元年」である。レポーターは私でこの本(シナリオ)を選択したのも私である。
この本を読書会で読もうとしたのは前回の読書会のテーマ本、山口仲美氏の「日本語の歴史」のなかに、「日本の話し言葉が東京の山の手言葉に統一されるまで、大正の始めまでかかった」と記載されていたからだ。

 当初明治政府は共通会話に熱心に取り組み、学務局を設置して統一の話し言葉の制定に取り組んだが、すぐにその困難なことを悟り学務局を廃止してしまった。明治7年のことである。
このシナリオはそうした時代背景のもとで、全国話し言葉の統一を命じられた文部省4等書記官南郷清之輔の実らない苦労と、その結果としての精神の崩壊を描いている。

 もっとも井上氏の脚本はどれも愉快なものだから、出場人物はかなりハチャメチャでこの南郷家に全国各地の方言を持った人々が集まり、いわば日本の方言の縮図となっている。ノリは「ひょっこりひょうたん島」だ。

 主人公の清之輔は婿養子で、元々は長州藩の足軽の子で松下村塾出身であるが、気が弱く緊張癖があって、幕末の動乱時期は何も手柄をたてていない。しかし長州藩が明治政府の要職を占めるようになり本人は友人のつてで思いよらぬような重職についてしまう。
文部省4等書記官とは今で言う文部省の課長クラスであるが、こと話し言葉の統一に関しては局長級の権限を与えられる。当然言葉は長州弁をしゃべっている。

 養子先の南郷家は薩摩藩出身で、当主の重左衛門は西郷隆盛と縁があり薩摩をこよなく愛している。
清之輔の妻になったも薩摩弁を日常ではしゃべり、子供の重太郎も薩摩弁である。清之輔はこの家では立場が弱く、長州弁を妻にも子供にも強要できない。

 この家の女中頭は元旗本の妻女で江戸の山の手言葉をしゃべる加津であり、その他昔からいた女中は江戸下町言葉をしゃべる。奉公人の二人は東北地方の津軽弁遠野弁であり、居候の学生は名古屋弁、そこに語学アドバイザーとして押しかけた京都の公家公民公家言葉、泥棒に入って居ついた虎三郎会津弁、そしてこの物語の語り手になる最近やってきた女中のふみ山形弁という設定になっている。

 この国語元年は1985年にNHKの「ドラマ人間模様」の時間枠で放映されたそうだが私は見ていない。その後も舞台劇として劇場で演じられているので知っている人も多いようだ。
このシナリオは300ページ近くもあり、1ページに約500文字が記されているので、四百字詰原稿用紙で約375枚程度になる長編だ。

 私もかつてシナリオを書くトレーニングをしたことがあるので分かるのだが、四百字詰原稿用紙で50枚の作品に約3ヶ月かかった。ましてやこの作品では現在の標準語の横にルビで方言まで記載されており2倍の分量になる。
当然ドラマでは出演者はその方言をしゃべることになる。
井上氏の方言研究は本物で参考文献が37冊も掲載されていた。読むだけでも大変だっただろう。

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 あらすじ
は山形から女中のふみがこの南郷家にやってきたところから始まる。ふみの山形弁はここではまったく通じることがなく、さっそく言葉の上での行き違いが始まる。
ここ南郷家では薩摩弁が幅を利かせており、主人公の清之輔の長州弁は肩身が狭い。
叔父からは常に薩摩弁をしゃべるように強制されている。

 ところがある日清之輔が一気に立場を逆転することが可能な好機が訪れた。文部省の田中閣下から清之輔に全国話し言葉統一の仕事をするよう拝命を受けたからだ。
松下村塾の劣等生で戊辰戦争ではまったく役立たずだった清之輔の汚名挽回の好機だ。清之輔はおお張り切りでこの仕事に没頭する。

 当初は長州弁を基礎に話し言葉の統一を図ろうとするが叔父の重左衛門から大反対をされる。絶対に薩摩弁を使えというので大喧嘩が始まる。
そこに国学の師と称する公家の公民が勝手にやってきて清之輔のアドバイザーとして居候を決め込む。
この公民は酒を飲むこと以外には興味がないのだが、人の懐に飛び込んで相手を篭絡することがうまい。清之輔はすっかり公民を師と仰ぐ。

 公民のいい加減なアドバイスにしたがって清之輔は訛りの観察に着手する。そうすると東北地方の人は「」と「」を区別しないことに気づく。そして東京の下町言葉では「」と「」の区別ができないことを理解する。
これは発音が明瞭でないために起こる問題で、各人が口形練習をして明瞭な発音をすれば全国話し言葉の統一は可能になると清之輔は考え、家人全員にこの口形練習を強要する。

 そんな時盗人の虎三郎がこの屋敷に忍び込む。金銭を盗んでいこうしたが実際は金を落としていくような間抜けな強盗である。
この強盗から清之輔は話し言葉にそんなに苦労するなら、全国一律の書き言葉を話し言葉として採用したらどうかとアドバイスを受ける。
さらにいくら口形練習をしたとしても国ごとに名詞が違っていてはいくら発音が明瞭になっても互いに意志が通じない。たとえばスイカを名古屋ではモモと言うので薩摩の人にはわからない。

 やはりどこかの言葉を共通口語にしようとしたが、どこの言葉を採用するかでもめる。元会津藩士虎三郎に「会津訛りを共通口語にしなければ子供を殺す」とおどされ、清之輔は上司の田中閣下に「会津訛りを共通口語に」と伝えて大目玉を食う。
なんで賊軍の会津訛りを共通口語として採用するのか!!!!」田中閣下は名古屋弁である。

 田中閣下に怒られたことで清之輔は方針を変え、共通口語を維新の功労あった藩の言葉をそれぞれ採用する案に傾く。この案をもって役所に颯爽と出向いていくが虎三郎が夜半、田中閣下の家に押し入り「なぜ会津訛りではいけないか」と脅し上げていたため、虎三郎と清之輔はグルだと怪しまれてしまい、10日間の休職に追い込まれる。

 休職中も統一言葉の作成に没頭し、清之輔は官軍の言葉だけで標準化が図れると確信したが賊軍にだけ有る言葉についてどのようにするかが問題になった。清之輔はこの賊軍の土地の言葉、たとえば「ニシン」を新しい言葉で置き換えてしまえばいいと考える。
こうしてようやく案ができたのだが、こんどは叔父から大反対される。
薩摩弁は当然採用したのだが悪意有る言葉だらけだったので叔父の重左衛門が怒り狂って、清之輔の労作を破り捨ててしまう。
10日間寝食を忘れて作成した案がこうして無駄になってしまう。

 清之輔は段々と精神に異状をきたすようになり、最後は自分で言葉を作ってしまおうと決心してそれを実験し、この言葉ならうまく行くと思って役所に出仕した。
しかし「そのような言葉使いはできない」と田中閣下から永久休職を告げられ、清之輔がいた学務局も閉鎖されたところでこのシナリオは終わる。
清之輔はその後精神病院に入院し、20年間この病院にいて明治27年に死亡すると言う話だ。

 さて、この井上やすし氏の国語元年をどのように評価したらよいのだろうか。実際の日本の話し言葉は東京山の手(江戸の武士階級)の言葉がほぼそのまま採用されることによって現在の話し言葉になっている。
言葉は無理に統一しようとしても失敗したのはエスペラント語の歴史を見ても分かる。

 世界の共通語は現在はアメリカ英語だが、その前はイギリス英語で、さらに遡るとフランス語スペイン語が標準で有った時代もあった。
古代ローマでは当然ラテン語だった訳で、ここ極東では中国語だった。

 結局経済的にも政治的にも中心になる国の言葉をその周辺が採用するパターンで、これは日本国内においても変わりがない。
東京が日本の中心になったため山の手言葉が標準語となったといえる。
この国語元年はとても面白いシナリオで読んでいて飽きないが、結論はすこぶる明確で、自然と政治的・経済的に便利な言葉が共通語になると言うことだろう。

なおこの読書会の主催者河村義人さんの読後感想文は以下の通りです。私の感想文とはだいぶ異なりますので参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/


なお、私がシナリオライターになろうとして苦労の末失敗した記事は以下参照
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/oyuminoshikinomichi/2011/02/1948-8609.html

 

  

 

 

 

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