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(23.6.15) 文学入門 山口仲美 日本語の歴史

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 今回の読書会のテーマ本は山口仲美氏の「日本語の歴史」だった。この本を紹介したのは読書会でも常に独特の本を紹介するO氏である。
O氏によると「最近読んだ本の中で特に面白かったから」と言うのだが、小説でなく本格的な研究書であるこうした本を「面白い」と言って読む人は数少ないだろう。

注)この本は岩波新書として出版されている。岩波から出ているのだから、山口氏は日本を代表する研究者の一人と思われるが私は知らなかった。

 正直言えば私は日本語に関する研究書は苦手だ。特にそれが古語を扱っている場合は(私の古語の知識がひどくつたないため)、まったく知らない外国語の話のように感ずる。
この本の構成は、各時代ごとにテーマを決めてそれを記述すると言う方式で、たとえば奈良時代は「漢字にめぐりあう」だし、平安時代は「文章をこころみる」となっている。

注)このように時代ごとにテーマを決めて記述しているので理解しやすいと言うのがこの本の売りになっていた。

 真面目に最初から読み始めたが案の定悪戦苦闘の連続になった。奈良時代は「万葉仮名」の時代なのだが、万葉仮名なんかはとても読めたものでない。著者は試みに例文を読むように勧めていたが私はすぐさま本を閉じた。
平安時代は漢字ではなくひらがなで記されているから私でも分かりそうなものだが、なにしろ当時の言葉使いをまったく理解できないのだから、読んでいてもしらけるばかりだ。
こりゃ、奈良や平安時代なんかを相手にしていては、とても読書会に間に合わない
昔のことは諦めて明治以降の「言文一致」運動だけに集中することにした。

 私はまったく知らなかったが、明治政府の最初の苦悩は書き言葉ではなく話し言葉の統一だったと言う。
これはヨーロッパでも同じで、19世紀頃まではヨーロッパではラテン語が共通の書き言葉だったのでインテリの間では共通の書き言葉があったが、話言葉は国ごと地方ごとに異なっていたのと似ている。

 日本では漢文漢式和文これがどんなものかうまくイメージできない)で書けば武士階級やインテリ層は理解したが、話し言葉は江戸弁、大阪弁、京都弁、薩摩弁、長州弁、弘前弁等と言ったようにまったく統一されず、特に薩摩弁などは意図的に他国の人が理解できないように特殊化していた。
こうした中で明治政府は東京の山の手言葉を話し言葉の標準にしたのだという。

注)私は会話ではよく「お前」を「オメー」と言ったり「名前」を「ナメー」と言ったりするが、これは江戸の下町言葉で「アイ」を「エー」と延ばすのが特色。なぜ私が「エー」と言う言葉を使っていたかのルーツをこの本で初めて教えてもらった。

 話し言葉はとりあえず方がついたが(それでも標準語が正式に東京の山の手言葉と認定されたのは大正2年までかかった)、問題は書き言葉にあった。こちらは江戸時代から漢文や漢式和文で書けばインテリ層は理解できたので「いまさら書き言葉の統一でもあるまい」という状況だったという。

 しかし明治政府が五箇条のご誓文漢字かな混じり文(これは公文書としては画期的だったというで書いてからはインテリの文章も漢字かな混じり文になった。
広く会議を興し万機公論に決すべし」と言うあの文書である。
もっとも漢字かな混じり文は漢文の直訳調だったそうで、たとえば西周の文章などは「文は貫道の器なりと古人亦之を言えり、然るに今其所謂我の文章なる者言う所・・・・・」なんて感じだから私などは何が書いてあるのかさっぱり理解できない。

 こうした中で福沢諭吉は明治のインテリとしては特別に開けていて、できるだけ平易な漢字かな混じり文で啓蒙文を書いている。
たとえば「学問のすすめ」の最初は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり。・・・・」だからこれなら私でも分かるが、ただし話し言葉と書き言葉は福沢諭吉でも異なっていた。

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 こうしたなかで話し言葉と書き言葉を一致させようとする「言文一致運動」は主として文学者の間で試行錯誤されたという。
小説は会話と説明部分からなっているが、「会話文」と「地の言葉(説明部分)」をなんとか口語文で書きたいと言う試みである
いわば小説をすべて口語文で書こうという試みで、それを思想的に支えていたのが坪内逍遥であり、実際に口語文で小説を書いた実践者が二葉亭四迷である。
このあたりのことはさすがに文学史で学んだことがあったが、本当の意味はまったく理解できなかった。
口語文で書いたから何なの」と言う感じだった。

注)江戸時代の戯作本は会話部分は当時の口語で書かれていたが、地の部分はあくまで書き言葉だった。

 しかし本当は日本語の歴史にとっては画期的なことだったという。
特に二葉亭四迷が悪戦苦闘の末、落語家の三遊亭円朝の「怪談牡丹灯篭」の口述筆記を参考に「浮雲」を書き、これが現在につながる小説の「○○だ」調の始まりだと知った。
それまでは「です、ます体」とか「ござる体」とかいろいろな試みが行われていたのだそうだが定着しなかった。
私は今文章を心おきなく「○○だ」と言う「だ体」で書いているが其の最初の試みが二葉亭四迷だとは知らなかった。

 その後二葉亭四迷は明治21年、ツルゲーネフの「あいびき」をこの言文一致体で翻訳して世の喝采を浴びたというが、それは小説の世界の話で学問や公用文の世界では相変わらず漢文の直訳調であり、又小説の世界でも幸田露伴が江戸時代の西鶴の言葉を真似て「風流物」を書いたり、森鴎外が「舞姫」を雅文調で書いたりして、まだ「言文一致」は完全には主流ではなかったという。

 そうした中で「言文一致」の決定打となったのは尾崎紅葉で、氏が明治24年二人女房という小説を「である体」で記載したことによって完全に「言文一致」が完成したのだそうだ。
である」がなぜ決定打となったかの山口氏の説明は「である体だけが客観的に説明するのに向いている」からで、それ以外の「でございます」「であります」「です」「」は読み手に直接働きかける主観的な語尾だからと言う。

 私は最初この山口氏の説明を理解できなかった。なにしろブログを「だ体」で気楽に書いていたからだ。
「「だ体」と「である体」とどう違うの、同じじゃないの」なんて感じだったが、実は小説では異なる。

 小説では会話地の文の二つがあるが、地の文を「だ体」で記すと作者の思いが露骨に出てしまう。それを「である体」で記すと地の文は客観的な記述になると言う。

彼はあの人がすきだ
彼はあの人が好きである

 こうしてようやく二葉亭四迷尾崎紅葉の努力で現在の書き言葉が確立したことをこの本で知った。
そうした意味ではありがたい本だが、言葉と言うものの難しい性格から読んでいてもすっきりと頭に入るような書物ではない。
やはり日本語を扱った本は難しい」と言うのが読んだ率直な感想だ。

まお、この読書会の主催者河村義人さんの感想文は以下参照
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2011/06/23618-4c79.html


また、文学関連の私の過去の記事は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

 

 

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