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(23.4.7) 東日本大震災 裸足の僧侶の心深き読経

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 思わず涙が出て目頭を押さえてしまった。いつものように朝、NHKの東日本震災と福島原発事故のニュースを見ていたときに、信じられないような感動的映像が目に入ったからだ。

 岩手県山田町の津波の洗われた被災現場を、一人の若い僧侶が素足に布製のわらじだけで被災地を回り読経をしながら死者を弔っているのだ。
粉雪が舞い、おそらくは氷点下に近いこの地で、薄い僧装束と素足同然の姿で死者を弔うその姿には、仏教がもっていた本来の仏の教えと言うものの真実の姿を見た思いがした。

 紐が足に食い込み血が流れていたが「被災者のことを思えばこの程度のことは・・・」と小原氏(正確な名前は分からなかった)と称するその僧侶は述べていた。
瓦礫の前で僧侶の読経にあわせ手を合わせていた婦人が、「誰もお経を唱えてもらえないまま死んだ人がいるので、本当にありがたいことだ」と言っていたが私も素直にそう思う。

 瓦礫に向かい、海に向かいただひたすら読経をし、自ら眠るところはテントに泊まっていたが、本人の寺も崩壊したか流されたかしていたらしい。
しかし寺がなくても信仰はその人本人に宿ることをこの僧侶は教えてくれる。

 私のように普段は信仰心がまったくない人間でも、この僧侶が示している高い精神性は理解できる。
思わず姿勢をただし、私はこの僧侶の映像に向かい手を合わせた。

 普段多くの日本人は宗教に無関心で、特に仏教は「葬式仏教」と言われるぐらい揶揄され、葬儀に支払うお布施と墓の手当てだけが重要問題になっている。
しかしこの地で仏の祈りをしているこの若い僧侶はそうした打算とはまったく無関係な世界で、ひたすら死者の魂を弔ってくれているのだ。

 この姿は遠い昔、鴨長明方丈記で記載した飢饉のあとの仁和寺の僧侶隆暁の行為を思わせる。
Wikipediaのよると 隆暁の行為は以下のようだった。

養和の飢饉  平安末期]

養和年間(1181-1182)2年間にわたって飢饉があり、多くの死者が出た。旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。

仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和二年四月・五月の左京だけで、四万二千三百余に達したという。


 この飢饉の後さらに1185年には大地震が発生していて、今回の東日本大震災と同様な複合的な被害が京都周辺に発生していたことがわかる。
死者の数やそのすさまじさは東日本大震災に匹敵し、僧隆暁の悲しみは岩手県山田町で死者を弔っているこの若い僧侶と同じだ。

 自衛隊や消防庁や警視庁、それにアメリカ軍を始めとする各国の救助隊に私は心から感謝しているが、その中で最も感動したのはこの若い僧侶の粉雪舞い散る中での素足の読経だ。

 人は食べ物や衣類や住居がなくては生きていけないが、それとともに高い精神性がなければ生きることも死ぬこともできないことを、この僧侶は教えてくれている。
心が救われたと思うのはこのような人に遭遇したときだと、私は素直に思った。

この僧侶の映像は以下のURLをクリックしてください。
http://www.47news.jp/photo/images/TR2011040400056.jpg

 

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コメント

同感です。

投稿: かぐや姫 | 2011年4月 7日 (木) 05時44分

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