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(23.4.25) 東日本大震災 第2の敗戦 戦後65年の総括

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 今回の東日本大震災は、戦後65年をかけて築いてきた日本のありようを根底から覆すという意味で第2の敗戦といえる。
敗れた相手はアメリカ軍でなくマグニチュード9.0の大地震であり、それに起因する津波だったが、本当の意味で敗北感に打ちひしがれたのは福島第一発電所のレベル7の大事故だった。

 地震や津波は確かに想定外の大きさだったとは言え、三陸沖を震源地とする大地震が発生することは予測の範囲だったし、そのための備えとして防波堤の建設もしていたし、退避訓練も行われていた。
大きすぎたということを除けばいつかは必ず発生する地震であり津波であったといえる。

 一方で福島第一発電所の事故はありえない事故として突如発生した。日本の原発は絶対に安全であり、事故に対する備えは十分にできており、万一大地震が発生しても原発は自動停止し冷却が行われるといわれていたからだ。

 しかし目の前で発生したことは冷却を行うための自家発電機が水浸しになり、原子炉内の燃料棒がむき出しになって溶融し始め、あわてて外部から水を注入したら大量の水素が発生して水素爆発し、原発周辺に放射性ヨウ素と放射性セシウムを撒き散らしたあの姿だった。
だれだ、日本の原子力発電は絶対安全だなんていってたやつは・・・・
これは本当の意味で想定外であり、戦後65年の日本のありように対する挑戦だったと言って良い。

 かつてチェルノブイリ発電の事故を「遅れたソ連の老朽化施設の賜物だ」とみなしていた日本の原子力関係者は、それが驕りだったことを身にしみて感じている。
そして私自身について言えば、原発が日本の発電量の30%を占めている現状を追認し、原発の必要性を認めていたことを恥じた。
何かが間違っていたのだ。こんなはずじゃなかったのに・・・・・
そう、戦後の65年の何かが間違っていたのだ。

 福島原発の30km範囲の人々は、今流浪の旅が始まっている。マスコミにはそうした言葉を使用しないが私はこれは原発難民だと思っている。
戦後65年経って、日本はソマリアやスーダンやエチオピアといったアフリカの戦争地域の人々が経験しているあの避難民の生活を味わっている。
豊かで安全だと思われていた日本に難民が現れたのだ。

 東京電力は自らの驕りの結果、汚染水一つまともに処理ができずのた打ち回るような苦悩の最中にあるが、本当の意味での東京電力の苦悩はこれから始まる。
30km圏内の避難民や、風評被害で出荷ができない農業者や漁業者、それに放射線の測定を義務付けられた工場に対する補償、および撒き散らされた放射性物質の除去には、おそらく東電の収益力をもってしても対応が不可能だろう。

注)補償問題は海外の漁業者(ロシア、韓国、台湾、中国)からも請求される可能性がある。

 戦後65年の原子力行政の結果レベル7の大事故と、東京電力と言う戦後日本を支えてきた電力会社の実質的倒産なのだから、これは明確に第2の敗戦といえる。

 どこで間違ったのだろうか?
戦後65年、私達は豊かになることが善で有る世界に住んでいた。豊かさとはGDPの拡大であり、そのためにはすべてが許される世界だった。
実際は1990年前後のバブル崩壊以降、日本の豊かさはピークを打っていたのだが、その後の20年は「それでも豊かになろう」とする愚かしくも悲しいほどの努力だったといえる。

 国庫をはたいて無用な公共投資を続け、日本中に飛行場や道路や港湾や公園等を建設し、そして無駄にエネルギーを浪費するために東京電力等の電力会社に原発を推進させてきた。
石原都知事が「真夜中に自動販売機やパチンコを稼動させている意味があるのか」と直言したが、本当は意味はないのだ。

 菅総理は盛んに「日本の再生」を唱えて、震災前の日本を取り戻すことを約束しているが、震災後の日本は第2次世界大戦の敗北がそうであったように地震前と地震後はまったく異なった社会になっているはずだ。

 なぜなら今回の復興のための補正予算一つを取ってみてもその財源が枯渇しており、基礎年金の国庫負担分の流用や、子供手当ての増額の取りやめ、高速道路無料化の中止は、「国民の生活が第一」と言っていた民主党政権のマニフェストの棚上げだからだ。
民主党はもはや国民の生活を守ることができなくなっている。

注)民主党のマニフェストは戦後日本の弱者を救うための大盤振る舞いであり、財源を無視した大風呂敷だったが、間違いなく戦後日本の福祉国家の到達点を目指していた、それは貧しい人も豊かにしようとした政策だった。

 菅総理のいう「日本の再生」が、かつての日本を再生するものでは何の意味もない。かつての日本とは単なる無駄と無理の世界だからだ。

 この東京電力による計画停電で、大まかに言って私達の世界はほぼ20%程度無駄なのがよく分かった。
電車が間引き運転されてもさして困ることはなく、動く歩道が動かなくなっても歩けばよく、スーパーのエスカレーターが止まっていれば階段を登ればいいだけだった。
そして夏に猛暑が来れば無理に働かないで木陰で寝ているのが一番だろう。

 戦後65年の崩壊の兆しは随所に現れている。
政治であれば民主党と自民党と言う戦後政治を支えてきた2大政党の退潮と、地域政党や減税を掲げるみんなの党の躍進に見られ、経済で言えば東電とトヨタと言うこれも戦後日本を支えてきた企業の衰退に現れている。

 また財政はすでに崩壊しており、一般会計予算の半分が赤字国債で調達されている。我が国は税金国家ではなく借金国家なのだ。
そして今回の大震災に伴う復興資金は、結局は年金や福祉や公共投資を削って捻出せざる得ないところに追い込まれるだろう。

注)政府は増税や赤字国債を発行して従来の予算はできるだけそのまま維持しようとしているが、増税には反対が多く、また赤字国債の発行は日本国債の国際的評価が低下するリスクがある

 戦後の日本はすべての人が豊かになろうと努力してきた時代だった。
だが豊かさには限界があり、それを無視して無理と無駄を押しすすめると原子力発電所の事故と言うほぼ対応が不可能な災厄に見舞われることを思い知らされた。

 今私達の目の前に見えている世界は、豊かさの追求が終わり、謙虚に生きることを求められる世界なのだ。
もう一度強調しよう。
再び過去の日本が再生することはありえず、GDPの拡大を望むような世界は再び現れることはない。


(別件)「おゆみ野四季の道」および「おゆみ野四季の道 その2」のカウンター10000を加算しました。

 

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