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(23.4.15) 東日本大震災 新たな差別 福島原発難民

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 14日の毎日新聞の記事に「原発事故で被曝を恐れ福島県から避難してきた子供が(避難先の子供達から)放射能が怖いと偏見を持たれるケース」が発生し、船橋市教育委員会から校長に「配慮するよう異例の通達」が出されたとの記事が掲載された。

 偏見を持たれた児童は南相馬市から避難してきた小学校5年と1年の児童で、市内の公園で遊んでいたら福島弁での会話を聞いた子供達から「どこから来たの?」と問われ、「福島から」と答えると、周りにいた子供が「放射線がうつ」「わー」と叫び声を上げて逃げて行ったのだという。
この二人の子供は泣きながら自宅に戻り、両親は「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と判断し、福島市にふたたび避難したという。

 実際に世の中には風評被害が蔓延しており、福島の農産物と言うだけでスーパーではほとんど売れないし、また福島から来たというと病院での受診でさえ被曝線量を調べるスクリーニング検査の証明書の提出を求められているくらいだから、この船橋市の子供達がとった態度を一概に非難できない。

 しかしこうした偏見が理不尽なことは確かで、それにもかかわらずその偏見を是正させるのは相当の努力が必要だ。
なぜなら放射線の被曝を怖がるのは、ほとんど人間の本能に根ざすものであり合理的判断に基づくものではないからだ

 たとえば農産物についてはこのまま浴び続けると1年間に1シーベルトになる場合は出荷制限を受けているが、1シーベルトは日本人の年間の自然被曝量に等しいほどの微量の値だ。

 私などは65歳になろうとしているのだからすでに65シーベルトの被曝は受けており、CTスキャンやレントゲン検査も毎年受けているのだから、最低でも100シーベルト程度は被曝している。
さらにすでに癌年齢になっており、もし出荷制限の野菜を1年間食べ続けると10年後に癌になる確率が0.5%増加するといわれても「それが何なの」と言う年齢だ。

 だから本来は福島の野菜だろうが茨城の野菜だろうがいくら食べても問題はないのに、実際にスーパーで購入する時は福島産や茨城産の野菜は避けている。
人間にはどうしようもない本能の部分があり、特に生物種の保全にとって危険と思われることは直感的に避けてしまう傾向がある。

注)このあたりの分析は梅爺さんのブログ「梅爺閑話」に「情」と「理」の相克という内容で詳細な分析がされている。このブログは人間精神の奥に潜む「情」についての分析が秀逸だ。

 この怖いという感情を抑えるためには理性による冷静な分析と、それを自身に言い聞かせて最後はボランティア精神と言うような強い情念で押し切らなくてはならない。

 最近JAが都内で、出荷制限がされていない福島県産の野菜を格安な料金で販売し、それを消費者が「やはり福島県の人たちを支援しなくては」といいながら購入していたが、購入者には理性とボランティア精神の両方が必要なことが分かる

 船橋市の子供の例で見るように、子供たちが自らの知恵で理性的に振舞ったり、ボランティア精神を発露して福島県の児童を受け入れる態度を示すことを期待することはできない。
一般的に子供は本能のままに振る舞い放射能が怖い」と言って逃げ出すほうが普通だ。

 こうしたときには親が自分の子供達に「理性的に振る舞い、日本人同士で助け合う必要がある」ことをじゅんじゅんと諭すのが一番だ。
だが親とても理性的に振舞うには非常に強い精神力が必要で、ややもすると「やはり福島の子とは遊ばないほうがいいわよ」と言ってしまいそうだ。

 何度も言うが人間には本能に基づく恐怖心があり、これを克服するのは並大抵のことではない。
教育委員会の通達一つで収まるようなものでないことは確かだが、放っておくと日本に新たな言われない差別が発生してしまう。

 はたして日本人は「」に基づく恐怖心を克服して、「」に基づく福島原発難民への偏見の克服ができるだろうか。
そうあってほしいが、この問題は福島第一原発の事故処理と同じ程度に重大問題で、「新たな偏見」を生まないために日本人全体にかせられた精神的試練といえる。

 

 

 

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災害 東日本大震災」カテゴリの記事

コメント

そんな事があったのですか。残念ですね。
私なら、山崎さんのような分析までに至らず、すぐにその子らを殴りますね。
この、人の心の判らぬ馬鹿ものが!って、、  失礼しました。

投稿: バイオマスおやじ | 2011年4月15日 (金) 07時51分

いじめがあったのは3月中旬で、ちょうど春休みに入ったために指導が間に合わなかった可能性もあります。
もっとも、教員自身が基礎的な知識を備えていれば、上からの指導を待たずに自発的に啓蒙していただろうか。
むしろ深刻なのはこれからの学校保護者会での呼び掛けでしょうか。
校長を始め、担任まで、あえて原発に触れない空気をひしひしと感じたという報告も出ています。

投稿: 横田 | 2011年4月15日 (金) 19時47分

被爆者からの2次的な被爆はまずあり得ないことを政府や医師会などがきちんと説明広報すれば、いたずらに恐怖心をかき立てられることも減ると思います。
今回のこの様な偏見は、80年代後半のエイズの時と同様、あまりにも無知で無責任な社会の実情を見せられ情けなくなります。
特殊な情報は別として、新聞、雑誌、ネットなどで情報はいくらでも集められます。
その情報を自分で判断して決断する、できる時代です。
大人が右往左往するのはみっともない。その背中を子どもが見ていることを認識して行動しましょう。

投稿: takezo! | 2011年4月15日 (金) 23時54分

「福島原発」では福島への印象が悪くなるのに気付いたのか、NHKでは「東電福島原発」と「東電」を冠するようになってきています。
そのおり、Chikirinの日記で、名前を変えたらどうか、という提案が出ています。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110417
県の名前が付けられたのは福島と島根だけ、です。

投稿: 横田 | 2011年4月17日 (日) 22時10分

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