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(23.4.11) 東日本大震災 避難生活はどうなるのだろうか? 福島原発難民

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 避難所で暮らしている被災者の数が徐々に減少している。4月9日現在で約15万人になっており、一頃は30万人程度いたのだから大幅な減少だ。
現在は被害の大きかった宮城に約6万人、岩手に約5万人、福島に約3万人で、この3県以外で最も多くの被災者を受け入れているのは新潟県で約1万人である。

 避難所で暮らしている被災者の数が毎日減少しているのは仮設住宅の建設が進んだり、公営住宅への入居が進んでいたり、親類縁者を頼って故郷を離れたり、かろうじて残った住居に戻ったりしているからだろう。
やはり体育館や公民館で集団でいつまでも暮らすのには限界がある。

 映像で見ていても分かるが間仕切りがないとプライバシーなどはまったく守ることができない。男性の場合は裸になってもそれほど問題がないが、女性が満座の中で裸になることなどはできない。

 また夜になると特に年よりはいびきがうるさい。これはいたし方がない生理現象だが神経質な人にとってはたまらない苦痛だろう。
それに年よりはおならを良くするのだが、こうした場所では近所迷惑もはなはだしい。

 また幼児の夜泣きは家族でさえ苦痛なのだから、そばで寝ている人から「うるさい、外で泣け」など言われたら、母親は夜も眠ることができない。
それでも健康な人は耐えられるが病弱な人はこうした場所で生き続けるのは難しい。
あれやこれやで体育館等での避難生活には限界がある。

 一方で政府も県も懸命に仮設住宅の建設を進めているが、仮設住宅を建設する場所は高台にある学校の校庭等場所が限られる。特に岩手から宮城に渡る三陸海岸は元々平坦地が少なく、平坦な場所は津波の被害で瓦礫の山となっており仮設住宅など建設できない。

 国や県は致し方なく他県に集団で移り住むことを提案しても、ほとんどの住民は故郷を離れたがらない。とくに老人はコミュニティーが壊れると生存そのものが脅かされるので、他県など真っ平だと思っている。

 そうした中で福島原発の30km圏内の避難者だけは特別な動きをしている。他の津波や地震の被害についてはすでに確定しているのに対し、福島第一原発については今後どのように推移するか分からないからだ。

 近くの市町村に避難しいても、「放射能レベルが上がったので、さらに遠くに避難しろ」なんていわれかねないから、最初から福島圏内を避けて新潟県に避難している人が多い。
隣の宮城や茨城は同じように震災被害にあってとても福島県の原発避難者の面倒は見切れないので、そうした被害がない新潟に避難先が集中した。

 幸いに新潟県は過去に何回も大規模な地震災害に見舞われ、県や市町村レベルでの地震災害対策が最も進んでいる県だ。
非常用物資の手当ても十分だし、災害が発生した場合のマニュアルも良く整備されており実地訓練も十分になされている。
日本の中でも最も地震対策が進んでいる県の一つで、福島県からの原発難民も実に手際よく受け入れていた。

 福島県の人にとって隣県にこうした地震対策が非常に上手な新潟県があったことは不幸中の幸いだったといえる。
もし新潟県がこうした災害対策が不十分な県だったら、さらに遠くの府県にちりじりに再避難をせざる得なかったはずだ。

 大災害が発生すると普段の心がけの違いが如実に出てしまう。福島原発30km圏内の住民にとって、この場所に住むことができなくなることは想定外だったが、新潟県にとっては大地震の後の避難民対策は想定内だったことになる。

 しかし福島原発周辺の避難者にとっては、これからが本番になるところがつらい。新潟の避難所はいづれでなくてはならない。一方福島第一原発の事故処理はまったく展望が見えておらず、いつになったら解決するのか誰にも分からない。

 また原発からの放射能漏れが完全に防げる体制ができたとしても、今まで地表に降り注いだ放射性セシウムの除去作業と言う厄介な問題が残っている。
スリーマイルの例では原発の安全性が完全に保障されるまで10年の歳月を要している。
またチェルノブイリでは25年経った今でも30km圏は立ち入り禁止だ。

 今後ともこの福島原発被災者にとってはつらい流浪の旅が残ってしまった。

 

 

 

 

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