(2.7.6) 人類衰亡史序説 コロナ その 3    人は不条理に生き死ぬものだ。

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 なれというのは実に恐ろしいことだ。3月、武漢でウイルスが発生し中国人の死者が急増していたころ、世界中が恐怖に駆られていたが今ではコロナウイルスは日常の一部になりつつある。
何しろ世界中で感染者数が1千万人を越え、死者が50万人を越えてさらに激増しているが、人々の恐怖感はひところのように強くない。

一つには対処方法が確立されて、三密を防ぎ、マスクをしていれば感染はそれなりに抑えられることがわかり、さらにこのウイルス感染では死者はほぼ老人で既往症を持った人で、さらに肥満体だとわかってきたからだ。

 アメリカではトランプ大統領支持者がマスク着用を嫌がって「コロナより経済だ」と騒いでいるが、実際若者や子供や中年で健康体の人がコロナに感染しても重症化することはほとんどない。
バーが再開され人々はコロナ以前と同じスタイルで酒を飲んでいるさまがニュースでしばしば放映されている。
これでいいのだろうか」とレポーターは危惧しているが、そのようなことはお構いなしだ。
俺たちが死ぬことはない。死ぬのは老人だけさ!!

 考えてみたら老人で既往症を持っている人はおそかれ早かれ神様のお迎えが来るので、その時期が少しだけ早まっただけに過ぎない。近代医学のおかげで胃ろうや人工透析によって生きながらえていた人が、ワクチンも治療法もなくただその人の免疫力だけが最後の砦となってしまえば、自然の摂理に従うより仕方がない。
今回のコロナウイルスによって世界は不条理というものを身近なものとして意識したはずだ。

不条理という言葉はカミュがその小説の中で述べた言葉だが、人間にはどうしようもない運命というものがあって、それは個人の努力や営為では何とも動かしようもない現実があり、それにただ従うこと以外なすすべがない状況を言う。


 コロナに感染した老人で既往症を持っている人は、集中治療室に運び込まれた段階でただ死を待つだけの存在になっている。

医者も人工呼吸器をあてがう以外に対処のしようもなく、患者は「自分はなぜ今死ななければならないのだろうか」と自問しただろう。

人はいつかは死ぬのだけれどどうしようもない突然の死というものもあり、21世紀の科学をもってしても、この突然に死を宣告されるという不条理を免れることができない。
カミュの時代から100年たっても、人の運命というものは不条理なのだ。


 

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(2.7.5) 人類衰亡史序説 日本 その25    熊本球磨川氾濫

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 今や世界中で大災害が連続して発生している。中国では1か月程度の長雨で長江の三峡ダムが満杯になり、ダムの崩壊を防ぐために計画放水を実施したところ下流にある都市が水浸しになり100名近くの人が死亡した。
日本でも熊本県で4日から5日にかけて豪雨に見舞われ、この間500㎜という過去に例を見ない雨量となり球磨川が氾濫した。

梅雨の末期になると例年のように日本のどこかで集中豪雨に見舞われるが、梅雨前線に向かって線状降水帯という雨雲の塊が次々に襲いかかり、過去に例を見ない雨量となって降り注ぐ。


 日本の防災のコンセプトは過去の最大規模の災害に耐えられるように堤防の高さや強度を決めているが、このところの雨量はいずれも過去に例を見ない規模だからどうにもならない。
球磨川は過去にも水害が発生しているが、今回の水害は例を見ない規模でテレビの映像を見ていても本来は安全と思われる場所に建物は建設されていたが、そこが水浸しになっていた。

 球磨川に沿って特別養護老人ホームの千住園がたっていたが、だれもがここが水浸しになるとは思いもよらなかったようだ。心肺停止の老人が14名に及んでいるが、もしここが危険と思ったら逃げることができない養護老人を収容する施設を建設するはずがない。

しかし昨今は過去に例を見ない災害ばかりで、昨年は過去最大級の台風19号が暴れまわり、千曲川が氾濫してJRの新幹線の車両基地が水没してしまった。
JRもよもやここが水没するとは思っていなかったろうが、水没した車両は廃棄されたようで信じられないような損害だったはずだ。

 毎年毎年過去に例を見ない災害が発生するのは地球の気候が年々荒々しくなっているからで、地球温暖化の影響で過去100年間に1度(産業革命後では1.5度)上昇し、海水面も同様の温度上昇しているため、大洋から湧き上がる水蒸気の量も半端ではなくなりこれが原因で豪雨や台風が毎年のごとく凶暴化している。

 私はこのブログで経済指標として単にGDPの計測をするだけではだめで、経済損失の計算をしてGDPから差し引く必要があることを述べてきた。政府は集中豪雨、台風,地震、山火事、熱波、イナゴの被害、公害等を計測して損失を合計し、それがGDPとどのような関係になっているか明らかにすべきだ。いくら収入があってもそれ以上の損失があれば人々は貧しくなるのだから、この計測は必須だと思う。
さらにコロナのような感染症もその中に含めるべきで、経営学でいう損益分岐点分析を行うべきだ。

 直観的には21世紀に入って人々は生産するよりも損失する額のほうが増えてきて、地球全体でますます貧しくなっているというのが私の認識だが、いまだにGDPでしか物事を把握しようとしない人々が多いのにはあきれてしまう。

中国からはコロナ禍、アメリカからは金融恐慌の足音が聞こえており、地球との共生を考えない国家だけでなくすべての国家にガイヤの反撃が襲い掛かっている。

 

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(2.7.4) 人類衰亡史序説 石油業界 その2     苦境はいつまで続くか?

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 ひところ飛ぶ鳥を落とす勢いだったシェールオイル産業が苦境に陥っている。直接の原因はコロナの全世界的蔓延で原油需要が落ち込んでしまったためで、それまで日産1億バーレルもあった需要が現在は7000万バーレル程度になり、OPECプラスが合意した970万バーレルの減産では全く追いつかない。
航空機も飛ばず、クルーズ船も運航できず、観光客がいないからタクシーの需要もない。各国とも製造業の稼働率はひどい落ち込みで、中国だけが習近平氏の号令のもと再稼働にこぎつけたが、だからと言って作った製品の販売先はほとんどない。

 ひところマイナスだった原油価格はWTIが40ドル前後まで戻ってきたが、それでもこの価格で利益を発生できるアメリカのシェールオイル産業はほとんどない。トランプ政権は何とか倒産を防ごうと資金手当てに躍起となっているがすでに20社ほどの倒産が発生している。
6月に入ってチェサピークという大手シェールオイル会社が倒産したが、負債額は70億ドルだそうだ。

 アメリカのシェールオイル産業が何社倒産しても遠い海の向こうの話と言えればいいが、実はそう言い切れない事情がある。
シェールオイル産業は資金手当てのために大量の社債を発行しているが、これをアメリカの投資会社がCLOと称する仕組み債にして大量に世界中に販売している。
シェールオイル企業は資金欲しさのために高金利で社債を発行しているため、それを組み込んだ仕組み債も当然高金利になり、投資家にとっては一見するとすこぶるおいしい投資先に見える。

 リーマンショックの時に組み込まれたのはサブプライムローンという信用度の低い債券だったが、今度はシェールオイル会社が発行するジャンク債が仕組まれている。
原油価格が50ドル程度で推移すれば、それでもそうした社債は償還されるが、突然と言っていいほどの衝撃で原油価格が低下してしまった。
シェールオイル会社の倒産ラッシュが始まりCLOが無価値になる可能性があるが、そのCLOを大量に購入しているのが日本企業で、日本を代表する機関投資家がCLOを大量に保有している。

 リーマンショックから10年、このまま進めばリーマンショックと同様の金融危機が発生する可能性もあり、コロナによる経済恐慌だけでなく金融恐慌も誘発する可能性まで発生し、世界の投資家は枕を高くして寝られないことになっている。


 

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(2.7.3)  人類衰亡史序説 中国 その15  三峡ダムが危ない

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 梅雨の後半の時期になると日本各地では集中豪雨による水害の危険が取りざたされ、18年7月には広島、岡山、愛媛を中心に大規模水害が発生(西日本豪雨)したが、それと同様の水害が今中国で発生している。
中国では6月、長江流域で連日のように大雨が降り、小規模の発電用ダムが決壊しているが中国の専門家は世界最大規模の三峡ダムについても危険が迫っていると警告している。

 現在、三峡ダムは水位上昇に備えて毎秒3.5万トンの放水を実施しており、これによってダムそのものの決壊を防ごうとしている。この計画放水に驚いたのがダムの下流域にある諸都市で、特に宣昌市(人口約4百万)では洪水が発生し、武漢では橋が流され、すでに2000万人に被害が及び、死者は80人になっていると中国当局が発表している。
洪水防止を目的に建設された三峡ダムなのに、やたらと放水するから水浸しになってしまったじゃないか
いやこれは計画放水だ。それをしないと本当に三峡ダムが決壊する。そうなると水浸しどころではなく土石流で長江下流の諸都市が全滅する。どっちが悲惨か考えてみろ

 長江では16年にも大きな水害が発生している。4年ごとに水害に見舞われているが、これは最近の異常気象が原因で日本でもひどい被害が発生しているが、問題はこの異常気象の原因を作っているのが中国ということにある。
現在はコロナ一色だが、その前は地球温暖化一色だった。特に温暖化ガス排出量は中国がとびぬけて多く、粗悪な石炭を使用して発電等を行っているため中国の気象は年々荒々しさをまして水害が日常茶飯事になろうとしている。

 こればかりは自業自得というより言葉がないが、経済発展のために地球の環境をないがしろにしたつけを払わされており、今ではGDPの増加より災害による損失が多くなってしまった。
コロナでもその秘密主義が災いして世界中にコロナを蔓延させ、世界のGDPは計測をするのが嫌になるくらい減少させたが、中国という国は常に世界に災いをもたらしている。

 地球温暖化による大洪水もコロナを世界に蔓延させて世界経済を大恐慌以上の減速に陥れたのも、すべて中国共産党のわがままが原因で、世界は中国によって窒息させられつつある。歴史上これほどの悪質な政体は20世紀のヒットラードイツとスターリンソビエトぐらいで、21世紀は習近平中国が世界史を暗黒に突き落としつつある。
世界史は民主主義が勝利するように進むと考えるのはあまりに浅はかで、中国共産党が世界を支配することもあり得、これとの戦いに勝利しないかぎり人類に幸は訪れない。

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(2.7.2) ボランティア人生の終焉

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 あまり書きたくはなかったのだが、定年後約14年間にわたって続けてきたボランティア活動を一つずつ終了させている。
四季の道の毎日の清掃も、周辺の公園のベンチのペンキ塗りも補修も、四季の道の草刈りも、そしておゆみ野の森の草刈りも停止してしまった。
最後に残ったボランティアは子供に勉強を教えていることだけだ。

 理由は単純で体力がこうした活動に追いつけなくなり、気力でカバーしきれなくなってきたからだ。4年前にひどい眼病を患いさらに白内障が悪化して常に霧がかかったような状態になってしまった。幸い2年前に白内障の手術をしてそれ以来視力は回復したが、一時は失明するのではないかと思ったほどだ。さらに今年の初めには長らく患っていた脊椎間狭窄症の手術を行い、今は自由に自転車に乗れるほど回復したが、草刈り機のような重いものを長時間扱うことはできない。

 体のあちこちに支障が起こり気力もなえて、今までしてきたボランティアからひとつづつ足を洗っている。もうすぐ74歳だから体がまともに動かないほうが普通で、これからは肉体を酷使する活動はあきらめることにした。
まあ、それでも14年間にわたってボランティア活動をしたので良しとしよう・・・」

 サラリーマンとして約37年間生活のために働き、14年間社会のための活動をしたのだから、まあ一人の人間の行動としてはまずまずだろう。
後しばらくは今教えている高校生の勉強をサポートし、それが終われば14年間にわたって作成してきたブログの再構成作業をし、とりだめた写真の整理をして人生を終えたいものだと思う。

 昔といっても高校生のころだが人生を夢見ていたころが今は懐かしい。当時は小説家のような自由業を目指したいと思っていたこともあり、また一時はシナリオライターのトレーニングもしたが今では単なる夢に過ぎなかったことがわかる。
またある日、新宿にあった海外青年協力隊の本部を訪れ「ぜひ青年協力隊員として派遣してもらいたい」と応募しようとしたときのことだが、私の大学の先輩と称する本部の職員がそっと私を呼び「ここは大卒で国内にいくらでも就職が可能な青年のくるところではない。君はどこでも就職できるのだから海外青年協力隊に応募しないほうが良い」とサジェスチョンしてくれた。

 もしあの時そうした先輩がいなければまた違った人生を送ったはずだと思うと一回限りの人生をサラリーマンで過ごしたのが良かったのか疑問に思う。人生は何回もやり直せないという一回限りの生だが、それが今となってはとても残念に思うことがある。

あれもこれも」ではなく「あれかこれか」といったのはキルケゴールだがその意味を74歳になってようやくわかるとは・・・・・・

 

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(2.7.1) 日々是平安

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 毎日が何事もなく過ぎていく。かつてはこの何もないことが苦痛だったが、今は心地よい。
私の日課は常に同じパターンの繰り返しで、その繰り返しが崩れるときは体調が悪化した時だ。だから常にルーチンワークを大事にし、そこから外れないように生活を制御している。

 朝は5時から6時の間に目が覚め、朝方は1時間程度BS1の海外ニュースを見ている。世界のニュースをひとしきり見た後は、筋肉トレーニングを30分程度行う。筋肉がある間は人は死なないものだというのが信仰に近い確信になってしまい、腕立て伏せとスクワットを中心に、体形を整えている。
まだ当分生きていそうだな!!!」鏡を見ながら確認する。
そのあと高校生に勉強を教えているのでその予習を2時間程度行う。今は主として国語で共通試験を解かせているので、前もって自分でも解いておくことにしている。教えるのが数学の場合は同じく共通試験の問題を解いている。
もし孫が来るときは予習時間を短縮し孫と近くの公園に小エビやトンボをとりに行く。孫は昆虫に夢中でヤゴなどをとると手のひらにおいて眺めまわしている。孫との遊びは老人にとってこの上ない喜びだ。

 それが終わると2~3時間程度自転車に乗る。ここから長柄ダム方面や土気の昭和の森方面に行くのだが、途中の稲の青々としたさまを見るのが何より好きだ。時々キジが前を横切り、青大将が行く手を阻むことがある。私の走っているコースは自転車選手がよく練習に使っていて私を瞬く間に追い抜いていくが、当然競争などしない。
家に帰り風呂を浴びそして2時間程度グダグダする。体が疲れてしばらく休まないと復活しない。休んだ後3時ごろからはこのブログを記載する。資料集めが必要な場合はそれを入れて3時間程度かかるが、通常はⅠ~2時間以内でブログを記載する。これは自分が生きた証として残しておくためにやっていて、子孫に対する伝言だ。

 夕方になると教えている高校生がやってくる。大体2時間から3時間の範囲で教えている。時に4時間程度教えることもあるが、3時間を超えると頭がもうろうとしてきて、限界だということがわかる。
理科系の学科(数学、物理など)のほうが教えるのが簡単で、当初国語は大変苦労した。今では教え方のコツをつかめたのでようやく苦労からは解放された。
英語は文法が全く分からないので教えるのは控えていたが、読むのは相応にできるので長文読解を中心に教えている。時々忘れてしまった単語が出てくるが前後の関係から何となく推定ができるので読解だけなら何とかこなせられる。

 終わるのは9時半で夕食をとって10時には寝てしまう。このパターンが大きく崩れることはなく、毎日が淡々と過ぎていく。瞬く間に74歳になろうとしており一年がたつのは早い。しかしこの年になると年をとってもさして変わりがないのでもはや年齢を超越し始めている。

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(2.6.30) ボランティア教師奮闘記  倫理とは何か

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  私は若干軽率なところがあって、頼まれれば嫌といえない性質が自分を追い込んでしまうところがある。
現在2名の高校三年生に勉強の指導をしているが、うち一名が国公立大学を受験するため、社会科系の学科を共通試験で二科目受験しなければならない。
先生、私は日本史と倫理・政治・経済で受験することにしましたが、倫理については何も勉強してません。教えてくれますか」と頼まれた。

 私が倫理の勉強をしたのは今から60年ほど前だから、当然何の記憶も残っていない。しかし今は予備校の講師が作成する恐ろしくわかりやすい参考書が出回っているので、それを読めば遠い昔を思い出すだろうと思った。
いいよ、教えましょう」いつもの安請け合いをしてしまった。
しかしそれからが大変で参考書を購入してほぼ1か月間の集中トレを行って、何とか教えられるレベルまで到達した時は心底ほっとした。

 倫理の勉強をしながら昔の高校生時代を思い出してしまった。
先生、倫理と哲学は異なっているのでしょうか、それとも同じでしょうか」倫理の授業の最初に私が質問した問である。
その時、教師が何と答えたか記憶にないが、さぞや回答に困ったことだろう。いまだに倫理と哲学の相違について私にはわからず、とりあえず同じものだろうと割り切っている。

 私が倫理という科目を学んで一番驚いたのは思想にはマルキシズムだけでなく、その他に実存主義やプラグマティズムといった思想があるということだった。当時は左翼全盛時代で教師の多くが左翼の支持者であり、左翼でない者は人でないというような雰囲気があり、思想もマルキシズム一色だったから実存主義なる言葉には衝撃的だった。
しかしこの実存主義とは一体何なんだキルケゴールニーチェが言う実存は何度聞いても本を読んでも理解できなかった。
キルケゴールが一人の人間(実存)として神と一対一に対応するといわれても、ニーチェが「神が死んだ」といったといわれてもさっぱりだった。

 私は当時は全く知らなかったが、思想も歴史の一側面であり歴史の流れを無視して純粋に哲学だけを取り出して理解しようとしても理解不能になってしまう。
19世紀のドイツで、当時最も隆盛だったマルキシズムが人間を労働者と資本家に二分していた。しかしその中間に位置するインテリ(大学教授等)については、単にプチブルと言って切り捨てたのに対し、インテリの反撃がこの実存主義だということに気付いたのはそれからかなり時間が経過してからだ。

我々はあの汚らしく粗野な労働者ではない。何よりも自己という大切なものを持っている我々は、神と一対一で対応するか、神を捨てて超人として生きるのだ
19世紀末のドイツインテリの矜持が実存主義だと気づくまでにはずいぶん時間がかかっている。
簡単に言えばマルキシズムに対抗してインテリを救おうとした思想が実存主義といわれたものだ。
しかし1990年代にソビエトロシアが崩壊し、思想としてマルキシズムも崩壊すると、その影として生きていた実存主義も崩壊し、現在ではどちらも歴史の舞台から退場している。

高校生の時思想を歴史のながれの枠内の一部だと教えてくれたら、あんなに苦労もなかったのに・・・」少し残念に思ったが、今私の生徒には西洋哲学史も東洋哲学史も歴史の一部分であり、歴史を越えた思想などないと教えている。
思想は歴史を超越するものと思っていた青春時代が今は懐かしいくらいだ。

 

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(2.6.29)  ボランティアで勉強を教えている。 日本語論文の変遷史

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 私がボランティアで子供に勉強を教え始めたのは今からほぼ10年前のことだ。
当初は無料で教えていたが、そのうち教材費やその他の資材費がかさみ年金生活者の身には負担になったので、今はコストが賄える程度の費用を負担してもらっている。
はじめのころの生徒は中学生で、中学の教科はその子に応じてすべて教えていた。そのうち中学生が高校生になり、今度は高校の教科を教えることになった。

 私が趣味で勉強を続けていたのは数学だけだったから「高校生に教えるのは数学だけだぞ」と念を押してみたものの、「先生物理がどうしても理解できません」などと言われるとほっておくわけにいかない。予備校の先生が記載した恐ろしく理解しやすい教材を購入して、ほぼ1か月間程度自身に特訓を課して物理も教えられるようになった。
そのうち化学も生物も地学も同じように1か月程度の特訓で何とか教えられるようになった。
まあ、やれば何でも教えられるもんだ」自分でも驚いている。

 現在教えている生徒はたまたま国語が苦手でテストでは他の教科はトップクラスの成績なのになぜか国語は平均点以下だ。
国語なんて、日本語なのだからそう難しいわけはないはずだが・・・・・・
これも予備校の教材を購入して古文と漢文を勉強してみたらなかなかタフだ。古文も漢文も外国語のようなもので相当のトレーニングをしなければ理解できない。
こりゃ、大変だ。相当まじめに勉強しなければ理解できないのは当然だ
毎日の日課として古文と漢文の特訓をはじめた。主としてセンター試験の問題を解きまくっていたのだが、どうにか理解できる程度まで到達したのでようやく教えることができるようになった。

 しかし国語は現代文のほうがタフで、センター試験でも論文と小説が一題づつ出ていたのだが、日本の論文が恐ろしく難解に記載されている場合が多いことに初めて気が付いた。

かつてといってもインターネットが普及しフェイスブックやツイッターやブログ等でだれでも意見を発信できる前のことだが、論文が掲載されるのは総合雑誌や新聞や週刊誌といった既成メディアに限られ、そこに自らの主張を掲載することができるのは一部の評論家とか大学教授といったインテリの中のインテリだけに限られていた。

インテリはインテリ用語で意見を述べない限りだれも相手にしてくれない。
この文章は稚拙ですな」なんて感じで分かりやすい論文などまず真っ先に没になる。分かりやすさではなくわかりにくさで評価されるのだ。

 そのためインターネット以前の論文は雑誌の編集長さえ理解できない難解な用語と構文を使って、何が書いてあるか普通の人は絶対理解不可能な論文が幅を利かせていた。マルクスの資本論のようなものだといえばイメージがわくだろう。
雑誌の編集長も理解できないから、本当は没にすればいいのだが知性を試されたような気になって「これは実にいい論文ですな」などといって自らの知識のなさを隠そうとする。
こうして「あの雑誌の編集長には理解できない難解な文書を書くと掲載してくれる」ということになり、ますます掲載される文章が難解になっていった。

 そうした論文がセンター試験等に出されるのだから、生徒が理解不能に陥るのは当然だということに気が付いた。
なるほどね、試験の論文などは哲学書を読まされるのと同じくらい衒学的なのか・・・・・」生徒に同情してしまった。
しかし同情だけでは教えることができないので、難解に記載されていた内容をできるだけ平易に解説している。
本当は大したことでないのを大げさに書いてあるだけだよ」と言って生徒を慰めているが、インターネット以前の論文は難解さだけが特色だ。

 一方インターネット以後の論文は非常にやさしくなってきた。インターネット以後では論文が自由競争になりだれでもどこでも発信可能になっているため、理解できないような衒学的な論文はだれも読まない。一方インターネット以前は編集長というインテリがインテリ用語で掲載された論文以外をシャットアウトしてきたため、内容に比較して記載方法が衒学的であればあるほど優れた論文とみなされていたということだ。

子供に勉強を教えていると思わぬことに気づかされる。

 
 

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(2.6.28)  人類衰亡史序説 アメリカ その14    コロナ感染症の拡大が止まらない

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 北半球は夏になりヨーロッパやアジアでは感染者数も死亡者数も減少してきたが、北半球にあるアメリカは信じられないことに感染者数が増大しロスアンジェルスやアリゾナやテキサス、フロリダといった各州がひところのニューヨーク州のような様相を呈し始めた。
そしてこれから冬を迎えるブラジルではアメリカと競争するように感染者数と死亡者数が増えている。
ジョンズ・ホプキンス大学の統計によれば、世界の感染者数がますます増加している国はアメリカとブラジルで、この二か国で世界の感染者数と死亡者数の約4割を占めている。今やコロナ問題とはアメリカとブラジルの問題に収斂しつつある。

 この二か国の特色は大統領がともにコロナを軽視して「インフルエンザとさして変わりがない」と豪語し、さらにマスクをつけず、つけないことがコロナに打ち勝つシンボルになっている。そして経済を優先して経済再開を急がせているのも同様だ。
ヨーロッパや日本では三密を避け、マスクをつけることを忘れないが、アメリカのトランプ支持者とブラジルのボルソナロ支持者はマスクをつけず3蜜を避けようとしない。
ワクチンもなく治療法もない状態でこうした態度はなにか中世ヨーロッパの死の舞踏のような様相を呈してきた。

 世界から見れば実に愚かしい対応で、ヨーロッパやアジア各国は経済が再開され航空機を飛ばせるようになっても、アメリカとブラジルには航空機を飛ばすことができない。
現在は完全に閉じた経済は不可能でアメリカといえど鎖国経済は無理だが、今の状態は鎖国体制を引いたも同然の状況で、「アメリカとブラジルは黒死病が流行っているので近づいてはいけない」というような雰囲気だ。

 今回のコロナについていえば世界的な規模で抑えない限り蔓延は防げないが、アメリカとブラジルが感染拡大に無頓着でいる以上、コロナの感染リスクは今後とも数年は継続しそうだ。

世界中がアメリカとブラジルを避けるということで、これでは世界経済が急速に収縮する。

1929年に始まる世界大恐慌に匹敵する被害を世界経済にもたらし、世界中に失業者があふれかえるだろう。

中国などは例によって国家統計局の尻をたたいてV字回復を演出しようとしているが、国際貿易が日に日に減少していく状況下で、いくら統計数字をいじくっても無駄というものだ。

 コロナショックは一世紀に一度起こるか起こらないかのリセッションであり、この状況を克服する処方箋は通貨の大膨張以外には考えられない。しかし人の移動も貨物の移動も制限された中で通貨だけを膨張させる手段が果たして効果があるのか疑問だ。

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(2.6.27) 人類衰亡史序説 日本 その24   リニア新幹線は本当に必要か?

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 昨日リニア新幹線の静岡工区の工事に関し、静岡県の川勝知事とJR東海の金子社長とのトップ会談が開催された。
JR東海としては2027年に開業するためにはすぐにでも静岡工区のトンネル開削工事に取り掛からねばならないので、工事に反対している川勝知事の了解を得ようとしたものだ。
静岡県が反対している理由はトンネル工事に伴い多量の地下水が失われ、大井川に流れ込む水量が減少してしまいこの水を生活用水に使用している60万住民の生活に支障が出る可能性が高いというものだ。

 会談は物別れに終わり、結果的に2027年の開業を延期せざる得ない状況になっている。
金子社長は建設にまっしぐらだが果たして本当にリニア新幹線を新たに建設する必要性があるのだろうか。
特にコロナ対策で自宅待機を余儀なくされ、他県をまたがる移動が禁止されていたころは現在の新幹線は一車両に一人か二人しか乗客はいなかった。
問題は今後コロナが収束した後新たにリニア新幹線を建設しなければならないほど、新規需要が増加するかどうかだ。

 確かに東海道新幹線の乗客数は毎年2%前後増加してきたが、これはコロナ禍が発生する前までの数字に過ぎない。
今後とも増加するかはかなり怪しい理由がいくつもある。
最大の理由は、コロナ後の新生活では出来うる限りテレワークを利用し、会議のための出張はやめてテレビ会議に移行させるというものだから、業務用需要は低減することが予想されることだ。
一方旅行需要はコロナ騒ぎが収まれば回復が期待できるが、日本人の旅行者は次第に減少していく。理由は少子高齢化で日本人の人口が低減するからで、人口が少なくなりかつ老人比率が減れば旅行者は必然的に減少する。北海道のJRを見ていれば明白だ。

 残りは海外からの旅行者だが、今後とも旅行客が増える保証はない。簡単に言えばコロナのような感染症が定期的に発生し、そのたびにロックダウンが繰り返されとても海外からの需要が一本調子に増加するような状況にない。
ましてリニア新幹線の90%はトンネルで、観光客が楽しむ車窓からの景色などどこを探してもないし、コンクリートの壁を見ていても面白いものではない。
フジヤマが見られないなら、今までの新幹線のほうがいいわ」観光客にとってリニア新幹線は全く魅力がない。

 ビジネス需要は傾向的に逓減し、日本人の観光客は減少し、海外からの観光客にとって景色が見られないリニアは魅力がないとしたら、いったい何のためにリニア新幹線を開業しなければならないかと不思議な気がする。
需要が見こめないなら、開業が2027年以降になることは幸いで、いったん頭を冷やして考え直すのが賢明というものだ。
 

 

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